「千と千尋の神隠し」は1995年に公開された近藤喜文監督による劇場用アニメーション作品である
今回は本編中に登場した個人的名言、名台詞を集めてみた。また、名言や名台詞は通常とは異なる言い回しが用いられることも多く「英語でどう言ってるんだろう?」と疑問に思ったことがあったので、英語表現についても調べてみた。ちなみに「千と千尋の神隠し」の英題は・・・
である。アカデミー賞授賞式で「spirited away」という表現を聞いたときにはなんのことやら意味がわからなかったのだが、実は「spirit」という単語には「生命」、「精神」、「魂」、「強い酒」といったよく知られた名詞としての用法と「ひっそりと持ち去る」といった動詞としての意味が存在している。
実際「Cambridge Dictionary web版」によると「spirit」の意味は以下のように書かれている:
to move someone or something out of or away from a place secretly
したがって「spirited away」を直訳するなら「ひっそり連れ去られた」という意味になり、そこから転じて「神隠し」となったものと思われる。
ということでここからは本編を彩った台詞とその英語表現について見ていこう。
*以下の英語表現は市販のBlu-rayの英語字幕をもとにしています。英語吹替も少し参考にしています。
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「千と千尋の神隠し」の名言、名台詞と英語表現
荻野千尋の名言、名台詞と英語表現
「ここで働かせてください!」
Let me work here.
ハクの助言どおりにただただ「ここで働かせてください!」とだけ言い続けた千尋の姿には必死さと健気さが感じられる。
その一方、度重なる湯婆婆のからの妨害にもめげずに「ここで働かせてください」と言い続けた姿には確かな力強さを感じる。そういう意味で千尋は「生きる力のある子」として最初から描かれているということになるのだろう。
字幕の英語表現としては特におもしろところはないのだが、吹替版では「I was wondering if you could give me a job.」となっている。これは「お仕事を頂けませんでしょうか?」という英語における敬語表現になっている。
どちらかというと「Let me work here.」というつっけんどんな感じのほうが訳としてはあっているとは思うが、こういう敬語表現もあるという発見があるという点においては良い。
「お父さん、お母さん、きっと助けてあげるから、あんまり太っちゃ駄目だよ、食べられちゃうからね。」
Listen to me! I promise I’ll save you. Don’t to get too fat or they’ll eat you.
なんとか湯婆婆との契約を果たした翌日、ハクに連れられて「豚小屋」を訪れた際の千尋の台詞。
大変な状況にあっても両親のことを忘れていない千尋の健気な台詞とも取れるのだが、ある意味でラストに繋がる伏線とも取れる。
このシーンと合わせることによって意味をなすのが、「クサレガミ」の一件で仕事での成功体験を収めた直後の夢の中で千尋が豚の中から両親を探せずにいるという事実である。
つまり、千尋の親に対する認識は次のように変遷していることになる:
- ハクの言葉によって食事を貪っていた豚を親と認識。
- ハクに連れてた豚小屋でも豚を両親と認識しどの豚が親かも認識している。
- 油屋での成功体験の後の夢でも豚の中に親がいるとは思っているが、どの豚が親か分からない。
- 最終的に豚の中に親がいないとわかる。
この変遷を考えると、物語のラストで千尋が豚の中に親がいないと分かったことにある程度意味づけや解釈を与えることができるような気がする。この辺のことについて個人的に考えたことを以下の記事にまとめている:
皆さんは「千と千尋の神隠し」のラストをどのように考えただろうか。
英語表現としては特におもろいところはないと思う。
「私がほしいものは、あなたにはぜったい出せない」
You can’t give me what I want.
暴走したカオナシに大量の金に差し出された際に千尋が発した台詞。
千尋にとっても河の主の一件は大きな成功体験だったが、カオナシもそれを本質的にサポートしており「自分のしたことで誰かが喜んでくれた」という大きな成功体験を得たのだろう。
かくして彼にとって「何かを与える」ということが世界とつながる唯一の方策となったわけだが、千尋の台詞によって「望まぬものを与えることは自己満足に過ぎない」という強烈なアンチテーゼを食らってしまった。
しかもこの時千尋がほしかったのは「もの」ではなく、ハクを救うという「こと」であった。あのときのカオナシにはどうすることもできなかっただろう。
銭婆のもとで成長し、千尋のような存在に寄り添えるカオナシになることを祈るばかりである・・・が、神様は成長などするのだろうか?
英語表現としては特におもしろいところはないのだが、私の聞いたところ吹替版ではこの台詞に当たる部分が完全になくなっている。
もとの日本語でのこの台詞の前後を確認してみると、
「あなたはどこから来たの?」「あたしすぐ行かなきゃならないところがあるの」「あなたは来たところに帰ったほうがいいよ」「私がほしいものは、あなたにはぜったい出せない」「お家はどこなの?」・・・
むしろ妙な部分で挿入されていることにも気がつく。吹替版としてはその違和感をなくすために切ったということかもしれない。
ハクの名言、名台詞と英語表現
「怖がるな。私はそなたの味方だ」
Don’t be afraid. I’m a friend.
物語の序盤、訳の分からない状態に困惑する千尋に向かってハクが発した台詞。
よくよく考えると何故あんな不可思議な世界に千尋の味方がいるのか全くわからないのだが、
- 千尋の苦境に寄り添う見る側の思い、
- こういう場合には救いのヒーローが現れるという常識、
- 緊張の緩和になるという効果、
によって、ハクが千尋を助けてくれるという事実をなんなく受入れてしまう。しかもなお一度受入れてしまうとその後全く疑問を持たないのでハクという存在に全く違和感がない。ただ、ハクのこの行動には最終的な「答え」が一応存在している。
つまり「ハクは幼少期の千尋があやまって落ちた河の神だった」という「答え」である。
個人的には「ああ、なるほど!」といったところだったのだが・・・ハクの正体についてはこれだけでは終われなさそうな雰囲気がある。以下の記事でその辺のことをまとめている:
ハクは一体何者だったのだろうか?
英語表現については「I’m a friend.」としているところが特徴だろうか。日本語的に考えると「味方だ」を「君の友達だ」と変換することは結構難しいと思う。一応「ロングマン現代英英辞典 web版」で「friend」を調べてみると、3つ目の意味として
NOT AN ENEMY : someone who has the same beliefs, wants to achieve the same things etc as you, and will support you
と出てくるので、所謂「味方」でもあっているのだろう。
吹替版では「Don’t be afraid. I just want to help you.」となっており「味方だ」を「助けに来たんだ」と言い換える事によって表現している。
「名を奪われると、帰り道が分からなくなるんだよ。私はどうしても思い出せないんだ。」
Without your real name, you’ll never find your way home. I no longer remember mine.
しれっとハクの口から語られた言葉であるが、物語全体を見通すと結構切ない台詞となる.
表面的な意味を考えるなら「元の世界に変えるために『千尋』という名前を決して忘れるな!」ということになるがその一方、ハク自身も名前さえ取り戻せば帰る場所にたどり着けると思っているふしが見て取れる。
ところが、ハクは物語の終盤で「ニギハヤミコハクヌシ」という名前を取り戻すものの、もはや帰る場所はない。彼はすでに埋め立てられた河である。名前を取り戻してもどうにもならない。
ハクのその後については「希望的観測」を以下の記事の「おまけ」として書いている:
一応根拠らしきものを提示して書いたつもりだが、皆さんはどう思うだろうか。
英語表現としては特におもしろところはなかったが、吹替版では「If you completely forget it, you’ll never find your way home. I have tried everything to remember it.」となっていた。
「元気が出るようにまじないをかけて作ったんだ」
I put a spell on them to give you back your strength.
特に「すごい!」という程の名台詞ではないのだが「食事とは自分以外の誰かのために作るもの」というある意味での「食事」の本質を捉えているとも思う。
私は長いこと一人暮らしをしており、自分のためだけに食事を用意する日々を送っている。それはひどく無責任でいられる自由な日々であるとともに「俺は何をやっているんだ?」という自問と戦う日々である。つまり、俺は俺のために食事を作っても全く元気にならない。
私もいつか、誰かのために食事を作れる日が来るだろうか。そう願いたいが、現実は残酷である。でも俺はその日を夢見るのである。
英語表現としては「put a spell on」だろうか。「put a spell on~」で「~に魔法をかける」となる。吹替版もほとんど同じであった.
湯婆婆の名言、名台詞と英語表現
「千!よくやったね、大儲けだよ! ありゃあ名のある河の主だよ。みんなも千を見習いな!」
Sen, you’re a wonder! You made us a fortune. That was the guardian of a great river. Everyone, learn from Sen!
千尋が「クサレガミ」と思われていた神様に対する仕事を見事に成し遂げた直後の湯婆婆の台詞。
千尋が「働かせてください!」といったときには無限大の拒否感で迎えた湯婆婆とは思えない発言ではある。ただ、経営者の気持ちをわずかに想像すればなんのことはない。
経営者が評価する従業員は利益をもたらす従業員という資本主義社会の一般論を見事に表現しているシーンになっている。
これは「書類審査」、「面接」というもので誰かを判断することの難しさを痛感している人の感覚とも言えるかもしれない。
結局やってみなければ分からない。これがすべての答えである。だからこそ、雇った誰かが成果を上げてくれるととても嬉しいと言うこともできる。その人事判断が「あっていた」ということになるから。
逆に言うならば「雇われの身」である以上、その組織の偉い人に喜んでもらうしか生きる道はないということになる・・・なんとも面倒な話だ。
字幕版だと「名のある河の主」を「guardian of a great river」としているのだが「guardian」であっているのだろうか?あの存在はどちらかというと「河そのもの」であり「守護者」とか「管理者」というものではないと思う。吹替版では、単に「spirit」とだけ表現されている(正確には湯婆婆の口から「that spirit is rich and powerful」と評されている)。
結局我々日本人が言うところの「河の主」に対応する英単語が存在していないのかもしれないし、私の認識が間違っているかもしれない。
何れにせよある言語を別の言語に翻訳するのは非常に困難なことである。それがある種の風俗、習俗といったものに関わる感覚的なものであるならなおさらである。「河の主」に対する訳についてはあまり文句をいうべきではないかもしれない。
釜爺の名言、名台詞と英語表現
「手ぇ出すならしまいまでやれ!」
Finish what you started.
釜爺と共に仕事をするススワタリの一匹が、重い石炭につぶれてしまったのを千尋が助けたときに釜爺が発した台詞。
少々口は悪いが、結局のところ「手伝って良い」ということでありハク以外にも千尋に味方をしてくれる人がいるのだという安心感を我々に与えてくれている。
実際めっちゃいい人だった。
英語表現としては特に面白いものはなかったように思われる。吹替版でも「Finish what you started, human.」となっていた。
「わしの…孫だ」
She’s my granddaughter.
食事を持ってきたリンに対して釜爺がついた嘘。
平然と嘘をつく潔さや、子供である千尋を守ろうとする優しさが相まってなんとも微笑ましい。この嘘に応えるリンの姿も見事で「阿吽の呼吸」で千尋をバトンタッチするいいシーンとなっている。
英語表現としては特に面白いものはないと思う。吹き替えも同じ表現だった。
「えーんがちょ、せい!えーんがちょ!!」
Sen, we have to purge the spell.
私は子供の頃にこの「えんがちょ」という言葉を使ったことがなかったのだが、これは主に子どもたちが使う言葉で「汚いものを触った人」等に向けられる言葉である(参考:エンガチョ(wikipedia))
この言葉自体を使ったことはないのだが、別の言葉を使って攻撃されたことはあるし、逆に誰かを攻撃したこともある。子供とは誠に残酷な生き物である。
英語表現としては「えんがちょ」の直訳などないので、字幕版では「purge the spell」で「呪いを払う」と言った感じにしており、吹替版では「All right, before it rubs off on you.」で「よし、その影響がでるまえに」という形にしてうまいこと逃げている(「rub off on ~」は「~に付着する」とか「~に影響を与える」という意味)。
リンの名言、名台詞と英語表現
「おまえトロイからさ、心配してたんだ。油断するなよ、わかんないことはおれに聞け。な?」
You pulled it off! You’re so thick, I was worried. Keep your wits about you. If you need anything, ask me.
名前を奪われながらもなんとか「油屋」で働くことを許可された千尋に対してリンが放った台詞。
この台詞が来るまでリンは絶妙に宙ぶらりんな存在なのだが、この台詞によって「安心して良い人物」という事が確定する。
思えば千尋は、ハク、釜爺、リン、銭婆など多くの人物に守られながら物語を疾走した(湯婆婆も千尋を雇ってあげてるだから実質的に守ってあげている)。ある種のご都合主義ではあるのだが、子供が成長するためには多くの手助けが必要であるということも明確な事実だと思う。
ある程度の年齢になってから「千と千尋の神隠し」を見る時、「自分はリンたちのように生きることができているか?」という自問こそが本質になると私は思う。
で、実際の私はどうかというと・・・ただ天を仰ぐ日々である。
英語表現としてはまず「pull it off」だろう。これは「うまくやる、成功する」という意味となっている。自分で使うタイミングはなさそうだが、映画ではよく使われそうなので覚えておくと良いかもしれない。
また「thick」は通常「広い、厚い」という意味になるがそこから転じて「(頭が)鈍い」などの意味にも使われる。相当中のいい友達以外には決して使うべきではない英語表現と思われる。
「Keep your wits about you」は「油断するな」「冷静さを失うな」という定形表現となっている。
吹替版では「I can’t believe you pulled it up. You’re such a dope. I was really worried. Keep on your toes and if you need anything, ask me, okay?」となっていた。「thick」の代わりに「dope(間抜け)」が使われ「Keep your wits about you」の代わりに「Keep on your toes」が使われている。「Keep on your toes」も「Keep your wits about you」と同じ手「用心しろ」という意味となっている。
銭婆の名言、名台詞と英語表現
「一度あったことは忘れないものさ……想い出せないだけで。」
Everything that happens stays inside you… even if you can’t remember it
なんとも素敵な言葉なのだが、この台詞は、千尋にとってこの不思議な世界での出来事がどういうものになっていくのかということを示唆したものとなっている。
物語のラスト、トンネルから出た千尋は実のところこの世界のことを忘れている。それは以下のように絵コンテを見れば明確にわかる:
1つ目の画像はハクと分かれて両親と再会したときのシーン、2つ目の画像はその後にトンネルからでた直後のシーン。
極めて残念なことなのだが、千尋は基本的に自分が体験したことを思い出せない状況にある。しかし、銭婆の台詞は「千尋はこの日々を決して忘れていない」ということを表している。
少なくともラストの千尋は車の中でぐずっているような子供ではない。その日々を忘れてしまって入るが、そこでの人間的な成長は決して無くなることはない。
「千と千尋の神隠し」とはそのように終わる物語である。
英語表現としては特におもしろところはなかったが、吹替版では「Once you’ve met someone, you never really forget them. It just takes a while for your memories to return」となっていた。
「魔法で作ったんじゃ何にもならないからねぇ。」
It’s not the same when you use magic
銭婆の自宅で、千尋やカオナシと共に手作りの編み物を作っているときの銭婆の台詞。
言わんとすることはわかるのだが、正直なところ魔法で何かを作ることもとてもすごいことに思えてしまう。魔法の力だって一朝一夕に手に入れられるものではないだろうし、それを自由自在に操って何かを作ることに「意味がない」とは到底思えない。
このように考えてみると、この台詞は結局「宮崎駿監督の思い」ということなのだろう。
アニメーションはず~っと手書きで作られてきたわけだが、そこにどんどんデジタルな手法が導入され、現代ではデジタル処理なしのアニメなど存在しないだろう。
私の知る限りにおいては、宮崎作品においても「もののけ姫」からCG等の手法が取り入れられていると思う。
私なんかは使えるものは何でも使ってしまえばいいのにと思うのだが、「紙に書く」ということをライフワークとして繰り返してきた宮崎監督としては思うところがあってもおかしくはないだろう。
別に宮崎監督としても「手書きが絶対的な正義」と思っているわけではないだろうが、状況に対して抗いたい気持ちというものがあったのだろう。
字幕版では「魔法を使った時とは別の味が出る」くらいの表現になっている。吹替版ではこれに直接対応する部分はなく「Let’s read the threads together」つまり「一緒に糸の目を見ましょう」という表現で手作りをする感じを出している。
「ちひろ。いい名だね。自分の名前を大事にね。」
Chihiro? What a nice name. Take good care of it.
名前は自分の成果物ではなく親から与えられるものである。にも関わらず「いい名前」と言われると何故かうれしくなる。構造上褒められているのは名前をつけた親であるのにも関わらず。
結局「名前」というものは否応なしに自分のパーソナリティの一部になっているということなのだろう。したがって、自分がどのような音声で呼ばれるかということは人間にとってとても重要なことになってしまっている。
そういう意味で「名前を奪う」という湯婆婆の行為はある意味人を支配する上で本質的なことということなのだろう。この件に関しては以下の記事でまとめている:
構造上は、湯婆婆が「贅沢な名」として奪った名前を銭婆が「いい名」として返したということになる。
それはスタジオジブリの権力者として誰かに「あだ名」をつける側に立ってしまっている宮崎監督の「懺悔」と考えることもできるのではないだろうか。
何れにせよ、誰かを「あだ名」で呼ぶ時、人は極めて慎重であるべきということになるのだろう。
英語表現としては特におもしろいということはないのだが「いい名前だね」という表現そのものがとても美しいものなので「What a nice name.」はそのままおぼえておいても良いかもしれない。吹替版では「What a pretty name」となっていた。
荻野明夫の名言、名台詞と英語表現
「任せとけ、この車は四駆だぞ!」
Don’t worry, we’ve got 4-wheel drive.
怪しげな道を突き進む父に「大丈夫?」声をかけた千尋に対する返答。
「四駆だからなんだ。そういうことじゃねえんだよ。」と映画を見ている人が一同にツッコミを入れたと思うのだが、この台詞に見るお父さんの屈託の無さが結局は可愛らしい。
「千と千尋の神隠し」はお父さんの暴走がなければ始まらない物語であった。そういう意味では、「お見事!」と褒めてあげても良いのではないだろうか。
英語表現としては「4-wheel drive」。「四輪駆動」といえば「4WD」だが、これは「4-wheel drive」の略であるが、それを認識している人はあまり多くないように思う。
吹替版では「we’re fine. I’ve got 4-wheel drive」となっていた。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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