「かぐや姫の物語」は2013年に公開された高畑勲監督による劇場用アニメーション作品である
今回は本編中に登場した個人的名言、名台詞を集めてみた。
とりあえず、私が個人的に思う「かぐや姫の物語」の3大名言、名台詞を挙げておくと、
- ずっとずっと捨丸兄ちゃんの手下だよ!
- よもや私の申し出を断る女がいるとは思わなかった。
- 俺はおまえと逃げたいんだ!
である。何れも「かぐや姫の物語」の深刻な内容に反して絶妙に笑ってしまう台詞となっている。皆さんはどうだろうか。
また、名言や名台詞は通常とは異なる言い回しが用いられることも多く「英語でどう言ってるんだろう?」と疑問に思ったことがあったので、英語表現についても調べてみた。ちなみに「かぐや姫の物語」の英題は・・・
となっている。英語版のWikipeidaによると、原作の「竹取物語」は「The Tale of the Bamboo Cutter」となっているようである。日本語の「竹取物語」と「かぐや姫の物語」以上に見事な対比が実現されており、物語の主軸が変わっていることが明確にわかるようになっている。
*以下の英語表現は市販のBlu-rayの字幕をもとにしています。また吹替版も参考にしています。
「かぐや姫の物語」の名言、名台詞と英語表現
かぐや姫の名言、名台詞と英語表現
「タケノコは、いつまでも捨丸兄ちゃんと一緒だよ。ずっとずっと捨丸兄ちゃんの手下だよ!」
I’ll always be here with you, forever and ever. I’ll be one of your gang.
捨丸が必死のジャンプで崖から落ちつつキジを捕獲。タケノコが心配して崖の下に降りて「ミイラ取りがミイラ」になった直後、再び成長を遂げたタケノコに対して「何処かへ行ってしまう気がする」といった捨丸対して放った台詞。
私の認識しているところではこのシーンで声優が朝倉あきさんにスイッチしている。つまり、タケノコのこの時点での成長は何かしらの一線を超えたということになるだろう。
そして、捨丸にとってのタケノコも極めて「異性」として極限に認識された瞬間かもしれないのだが、その瞬間にタケノコから返ってきた言葉は「手下」だった。
「ちがうちがう そうじゃ そうじゃなあい」というあの歌詞が頭を巡った。
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結局この瞬間の「齟齬」が改められるのは、「かぐや姫」と呼ばれるようになったタケノコを月の民が迎えに来ることが決定したあとだった。
本編中の「炭焼の老人」の発言を根拠にするなら、それまでに10年あまりの時間を要した。しかも、捨丸にとっては「夢」と終わったのである。
でも人生、こんなものかな。こんな「齟齬」があるだけで、もしかしたら幸せなのかもしれない。
英語表現としては「forever and ever」がポイントだろうか。意味合いとしては「forever」と同じで「永遠に」という意味になるが「and ever」をつけることによってそれを強める形になっている(ようはこっちにほうが少々気取った表現になるということだと思う)。吹替版でも「Your little bamboo will always be here with you forever and ever. And I’ll always be a part of your gang forever and ever too.」となっており「forever and ever」が使われている。
「高貴の姫君は人ではないのね!」
Then a noble princess isn’t human!
「かぐや姫」のお披露目会を前に、眉の毛を抜こうとする相模に放った台詞。
この直前に「眉毛を抜いたら汗が目に入ってしまう」とかぐや姫が述べており、眉毛の重要性を極めて正しく認識していることがわかる。さらに、眉毛を剃ることによって奪われることを明確に表現していた。
そして結果として「かぐや姫の物語」における「罪と罰」の「罰」の部分が浮き彫りになっていると思う。
原作の「竹取物語」においても何かしらの「罪」があったと名言されているのだが、結局「かぐや姫」の「罪」とは何だったのか?そのことについては以下の記事にまとめている:
皆さんはどう思うだろうか?
英語表現としては「noble」だろうか。「高貴な、気高い」などの意味になり、それほど難しい単語ではないが使用頻度が少ないため忘れてしまいがちかもしれない。吹替版でも全く同じ表現となっていた。
「私月へなんか帰りたくない!」
I don’t want to go back to the Moon!
物語の終盤、御門からの望まぬ抱擁を受けて、自分が月の民であったことを思い出しつつ「月へ帰りたい!」と願ってしまったかぐや姫の以上を察知した嫗に放った台詞。
我々は「竹取物語」を前提に映画を見ているのでこの一言の衝撃に無自覚でいられるのだが、極めて重要なことは「かぐや姫」が「月の民」であることがあの世界の人々にとって明らかになったのはこの瞬間であるということである。
翁も嫗も捨丸も斎部秋田も五人の公達も御門も、全員あの存在にただならぬものを感じていたのだが、それが「ああ、やっぱり」となった。
しかし・・・「月から迎えが来る」という言葉だけでそれを信じるとう状況に違和感を覚えることもあるだろう。この辺のことも含め「かぐや姫の罪と罰」について以下の記事にまとめている:
さて、彼らはなぜあれほど頑張ることが出来たのだろう?
英語表現としては特におもしろところはなかったが、吹替版では「They’re coming to take me back to the moon.」となっており主語が見事に変わっている。
「喜びも悲しみも、この地に生きるものは、みんな彩りに満ちて、鳥、虫、獣、草、木、花、人の情けを・・・」
There’s joy, there’s grief… All who live here feel them in all their different shades! There’s birds, bugs, beasts, grass, trees, flowers… and feelings.
物語のラスト、結局「かぐや姫」が何を愛したのかをもう一度明確に表明した演説。逆にいうと、彼女が望んだ「多様性」の世界ではなく「人の世」に巻き込まれたことが「罰」だったということもできる。
それが罰になっているということそのものがこの「かぐや姫の物語」における現代分析であるとともに批判である。そのことについては以下の記事に個人的に考えたことをまとめている:
彼女の「罪と罰」を考えるとき、この物語のしんどさが見えてくると思う。
英語表現としては「grief」がポイントだろう。あまり聞き慣れない単語であるが、基本的には「深い悲しみ」という意味となる。「悲しみ」を表現する単語としては「sadness」、「sorrow」といったものがあり、使い分けは少々難しい。一応「Cambridge Dictionary web版」の助けを借りると、
the feeling of being unhappy, especially because something bad has happened
(a cause of) a feeling of great sadness
very great sadness, especially at the death of someone
色々と用例も探ったが、結局「sorrow」と「grief」の違いを見出すことが出来なかった。我々としては少々幼稚かもしれないが「sadness」を用いるが無難かもしれない。ただ「sorrow」だけは自動詞として使うことが出来て、「For years she sorrowed over her missing son.」で「何年にも渡って彼女は息子の死の悲しみにくれている」となる。
吹替版では「There is grief and sorrow here. There is also joy and happiness. All who live on this earth experience the in different shades. All feel compassion.」となっており「grief」と「sorrow」の両方が使われており、やはり何か違いがあることが示唆される。その後にある「joy」と「happiness」の関係がヒントになるかもしれないが・・・俺にはわからん。分かる人誰かおしえておくれ!
翁(おきな)の名言、名台詞と英語表現
「これはきっと天がわしに授けてくださったものに違いないぞ。」
Heaven must have sent her to me as a blessing.
これは様々な御伽草子で共通していることだと思うのだが、目の前にある不可思議なものを「自分のもの」と思うことによって物語が進むのである。
「竹取物語」も「かぐや姫の物語」もそんな「翁の思い」から全てが始まっている。
つまり、人は根源的に「強欲」なのである。それが誰かのものだと思えないときがある。そういう動物である・・・そうだろ?
英語表現としては「blessing」がポイントだろうか。意味としてはまさに「神の恵み、幸いなこと」という意味になる。この場合「gift」とか使いたくなるが、「天からの授かりもの」だから「blessing」が正しいということになると思われる。吹替版でも「This must be a blessing from heaven. I’m sure of it.」となっておりやはり「blessing」が使われている。
「この衣にふさわしい暮らしを姫にさせよ。高貴の姫君に育てよ。そう天がお命じになっている」
It wants us to give her a life that suits these robes. To make her a noble princess.
「かぐや姫」の物語において「翁」という存在を極めてネガティブに捉えた人は多いだろう。私自身もそうだった。かぐや姫に感情移入する限り、翁の判断はすべて間違っている。この物語はそうなっている。
ただ・・・翁の思いを理解しようとしなければこの物語を消化したことにはならないだろう。
翁としても「衣が竹から吹き出る」という現象が発生しない限りタケノコを普通に育てようとしたのである。
だって、翁は竹藪で発見した「黄金」は隠したのである。翁はそんなものをもらっても、てめえの子供をどうこうするなんて思えなかった。ただ、「反物」が来てしまったときに「ああ、そうか、やっぱりそうなんだな『このお金でその子を育てなさい』ではなく『この衣にふさわしい人に育てなさい』ということなのだ」と翁は考えたことになる。
悪いのは月の民。そう考えるべきだろう。
英語表現としては特に面白いものはなかった。吹替版では「To give princess a way of life that is appropriate to this robe. raise their princess of noble rank. That is what heaven expects of us.」となっていた。
「年が明けたらすぐに、髪上げと名付けの儀式。そのお披露目の宴を催せば、姫様は晴れて高貴の姫君ですぞ。いやっははーっ、めでたい、めでたい。」
We’ll have the naming ceremony after New Year’s. After your coming-out banquet, you’ll be a true princess! This is wonderful!
「かぐや姫の物語」の本編中、ず~っとミスり続けた翁のハイライトと呼ぶべきシーンの台詞。
ここまで来ると翁がどのように「ミスっている」かが見えてくる。つまり、翁は「大量の黄金」、「吹き出る反物」という2つの現象を目にした事によって「眼の前のお子を高貴な姫にすることが自分の使命」と思っていたのである。
別の言い方をすると、翁は「仕事」としてタケノコを「姫君」にしようとしていたということになる。
翁は「自分がどう思うか」ではなく「社会がどうであるか」を首軸に物事を考えたことになる。だって、使命だから!
ということは、「かぐや姫の物語」を通じて、「社会構造に従属する男」も描いていたということになるだろう。構造の中にいた翁は悪いことしたといえるだろうか?
私は言いたくない。悪いのは翁ではない。悪いのは社会構造である。憎むべき相手を間違ってはいけない。
つまり、私達が変わらなくてはならない。
英語表現としては特に面白いものはなかった。吹替版では「This banquet will make you a truly noble princess. So right after the new year, we’ll have a celebration of the putting up of hair and the naming ritual. This is wonderful!」となっていた。「ritual」は聞き慣れない単語だと思うが「儀式」という意味になる。
嫗(おうな)の名言、名台詞と英語表現
「あんな美しい娘になるよって、天が前もって見せてくださったんでっすよ、きっと。」
That was Heaven telling us who she’ll grow into.
かぐや姫を竹藪で発見したときには、ものすご~く小さいながらもすでに姫君の姿であったかぐや姫が、嫗に抱かれるやいなや赤子の姿になってしまった。そんな状況にある種の不信感を抱いた翁に対して嫗が放った台詞。
さて、嫗としてはある種の「軽口」として言った事かもしれないが、翁にとっては極めて状況を合理化する言葉であっただろうし、その赤子を「姫」として育てなくてはならないと強く思わせたきっかけであったかもしれない。
別に嫗を攻めたい訳では無い。この言葉がその後の翁の空回りっぷりを生むなんて通常の人間には想像もつかないだろう。
ただ、この世の中で起こっていることは、こんな小さな、そして誰もその先を想像も出来ないようなことがきっかけになっているかもしれない。
この世はカオスであり、無限個のバタフレイエフェクトの集合体なのだろう。誰もその先を読むことなど出来ない。
「かぐや姫の物語」はそんな物語であったかもしれない。
英語表現としては「It is A ~ing」と類似の表現が使われていることだろう。学校で学んだのは「It is A to~ 」で「It」が「to」以下を受けていることになり「to以下はAである」という意味になる。通常は「It is fun to play tennis(教科書的!)」などの使い方で「テニスをするのは楽しい」と訳すことになる。「to」以下や「ing」以下が長くなる場合にこのような表現を使うことになる。
吹替版ではよりそれが如実で「I have to believe that’s Heaven showing us “What a beautiful princess” she’s going to become someday when she’s all grown up.」となっており「ing」以下がとんでもなく長くなっている。
「そうよね、でもあなたのせいじゃない」
Of course not. But it’s not your fault.
五人の公達の求婚を見事に受けきったと思いきや、3年もかけて準備した様様な嘘と対峙することを余儀なくされ、それだけでも心労が絶えなかったのだが、石上中納言(いそのかみのちゅうなごん)の死を受けて強く自分を攻めてしまう。
そんなかぐや姫に嫗がかけた言葉が「あなたのせいじゃない」であった。
本編中かぐや姫には様々な事件が発生したが、その度に嫗は心のなかで「あなたのせいじゃない」と言い続けていたのかもしれない。
一方–同情の余地はあるものの–延々と独り相撲を続けてきた翁の姿を思うと爪の皮を煎じて飲ませたい思いになる。
ただ、嫗の思いも翁の思いも同じ「親の思い」であることにかわりはない。翁にはぜひとも「状況」ではなく「かぐや姫自身」を見てほしかったと強く思われる。男親には無理なことかもしれないが。
英語表現としては特に面白いものはなかった。吹替版では「And maybe true but it’s still doesn’t make it your fault. 」となっていた。
捨丸(すてまる)の名言、名台詞と英語表現
「いいじゃないか、見つかってても!それがなんだ。そんなことどうだっていい。俺はおまえと逃げたいんだ!」
So you’ve been found. So what?! Who cares? I want us to run away!
月からの迎えが来ることが決定的になったかぐや姫が嫗の起点で再び故郷の山に戻り、奇跡の再開を果たした捨丸に実質的な愛を告白をした後の捨丸の台詞。
表面上はなんともロマンチックな台詞だった。彼に妻子がいなければ。
結果として「家族捨丸」などといった不名誉な呼称で語られることになった捨丸だったが、かぐや姫個人の幸福追求という点では彼の判断は間違ったことではなかっただろう。
そして、ふと気がついてたった一人「夢か」と起き上がった彼は十分な罰を受けたのではないだろうか。捨丸はそれこそ夢のような時間を過ごしたのに「変わらない日常」に返されたのである。しかも、彼が経験した「夢のような時間」は自分の「妄想」として受け入れなくてはならない。
あの後の捨丸は「ここではないどこか」、「タケノコのいるどこか」を夢見ながら生きていくのかもしれない。もう「タケノコ」はいないのに。
それを「罰」と思えば彼のことを少しは許してあげられるのではないだろうか・・・。
英語表現としては「So what」がポイントだろう。意味としては「それがどうした」、「だから何」という意味になる。つまり、極めて挑発的な表現なので、基本的に我々としては使わないほうが良いだろう。ただ、この場合はこの挑発的な表現が極めてロマンチックなものになっているということである。吹替版でも「So what even if you have been found? So what! I don’t care about that. I want to run away with you!」となっていた。
石作皇子(いしつくりのみこ)の名言、名台詞と英語表現
「姫、私と共に参りましょう。ここではないどこかへ!」
Princess, come with me to some place that is not this one.
かぐや姫に謁見した五人の公達の多くが、嘘とはいえ何かしらの「もの」をこしらえていたわけだが、プレイボーイ石作皇子(いしつくりのみこ)の判断は違った。
彼は持ち前の弁舌によってかぐや姫を落としにかかったのである。しかもうまくいく寸前のところまでいった。しかし、彼の弁舌の毒牙にかかった女性の怨念が全てをご破産にしてくれたのである。
この台詞は結果として彼の人間性のダメっぷりを表してはいるのだが、その一方で、この物語の重要キーワードを明示してくれてもいる。
都に来てからのかぐや姫はず~っと「ここではないどこか」を求めていた。お披露目の会でその「ここではないどこか」へ疾走したが、すでにそこは自分の求める「どこか」ではないことがわかってしまった。
そこへ来て彼の「ここではないどこか」は本当に新たな「どこか」であることを期待させる言葉になる。本当に絶妙な線をついてきた。
結局色男とは、相手の望む言葉を発する男なのだろう。
私としても見習いたいところだが、それが出来ないから私は色男ではない。そんな自分を愛しましょう(合掌!)。
英語表現としては特に面白いものはなかった。吹替版では「Princess, I want you to come with me to that place.」となっていた。
斎部秋田(いんべのあきた)の名言、名台詞と英語表現
「かぐや姫様に対面いたしたその瞬間、老いたるこの身すらブルルと震え、さながら枯れた泉がよみがえったかのよう」
The moment I stood before her… this aged body began to tremble…as if a dry fountain had come back to life.
五人の公達を前に、斎部秋田がかぐや姫に初めてあったときのことを語った時の台詞。
さて、どうだろうか。どれほど美しい存在であってもこうなるだろうか?実際に斎部秋田がかぐや姫に謁見している描写はたしかにそうなっている。
つまり、かぐや姫の「美しさ」には何か秘密があるということになる。
その辺のことについては以下の記事にまとめている:
斎部秋田はなぜ震えてしまったのだろうか・
英語表現としては「tremble」がポイントだろうか。嘗て覚えてなんとなく意味をしっている気がするが突然「tremble」と出されるとわからなくなる。もちろん意味は「震える」となる。あと、全く馴染みのない単語としては「fountain」があるが意味は「噴水」、「泉」となる。
吹替版では「I must confess that the moment I stood before princess kaguya. This old man’s body began to tremble. As if a dry fountain had come flowing back to life. 」となっていた。
御門の名言、名台詞と英語表現
「よもや私の申し出を断る女がいるとは思わなかった。おもしろい。ますます会いたくなったぞ」
I never dreamed a woman would ever turn me down. Fascination. I wish to meet her all the more.
特に言うことはないのだが、あえて正直な所を述べるなら・・・こんな人生を歩んで見たかったということになるだろうか。
この後かぐや姫にとって極めて屈辱的なシーンに繋がるわけだが、当時の世情を鑑みるに、御門があのような行動に出てしまったことは悪いことではあるがおかしくはない(現代的には悪いしおかしい)。
しかしだ、通常の人生とは「ほとんどすべての申し出が断られることをスタート地点として、それでもなお賢明に生きる」ことがである。立場ゆえの苦しみもあったと信じたいが、「かぐや姫の物語」における御門はただただ腹立たしい。
ありえないほどに顎が尖っていたことが救いであろうか。そう思おう。
英語表現としても特に面白いところはなかった。吹替版でも「No woman has ever turned me down before. Very interesting. Now I truly want to meet her all the more. 」と腹が立つ表現となっていた。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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