「ホーム・アローン(Home Alone)」は1990年に公開されたクリス・コロンバス監督作品である。1992年には続編「ホーム・アローン2(Home Alone 2:Lost in New York)」が公開されている(監督は前作と同じくクリス・コロンバス)。
ある年代(つまり私と同世代)の人にとっては忘れ得ぬ名作であると思うし、私自身小学生の頃には何度も繰り返し見た大好きな映画だった。
現代的に「ホーム・アローン」という作品はナンバリングタイトルとして「ホーム・アローン5」まで存在しており、6作目として「ホーム・スイート・ホーム・アローン(Home Sweet Home Alone)」がDisney+のオリジナル作品として存在している。
しかし、私の思い出の中にあるのはマコーレー・カルキンが主演した「ホーム・アローン」と「ホーム・アローン2」である。
今回は、子供の頃に繰り返し見たマコーレー・カルキン主演の「ホーム・アローン」がなぜ面白かったのかを語っていこうと思う。
その作業には「子供の頃にどう思っていたか」を思い出す作業と「おっさんになってどう思うか」という二面性があるのだが、それをごちゃまぜに語ることになる。
まずは「ホーム・アローン」のあらすじを振り返るところから始めよう。
以下、あらすじと言っても全部話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください。
「ホーム・アローン」のあらすじ
「ホーム・アローン」
マカリスター一家パリへ
物語の主人公は8歳の少年ケビン・マカリスター。彼の家はクリスマス休暇を利用したパリ(伯父の家)への出発を翌日に控え、荷造りにてんやわんやの状態であった。しかも、別のおじ一家も合流しており、総勢15人が一同に会していた。
そんな夜、些細なことからケビンは兄のバズと喧嘩をしてしまう。原因は間違いなくバズだったが、ケビンは一方的家族全員から避難され、その夜は一人屋根裏部屋で寝ることになった。
翌朝、見事に寝坊してしまったマカリスター一家は、屋根裏にケビンを残し、空港へ出発。パリ行きの飛行機に乗ってしまう。
飛行機の中でようやく落ち着きを取り戻すことができたが、母 ケイトがケビンをおいてきてしまったことに気がつく。
王国誕生
家族がいなくなった家で、ケビンは一人目を覚ます。誰もいないことに困惑するものの、前日の夜の一件を理由に「みんな消えてしまえばいいんだ」とサンタに願ったケビンは、その願いが叶ったと大喜び。一人になったことを寂しがることもなく、自らの王国となった自宅での生活を全力で楽しんだ。
しかし、8歳のケビンは重要な事に気がつく。家族がいない今、炊事、洗濯、食料調達、その全てを自らがこなさねければならないことを。
バズのへそくりの在り処を知っていたケビンはそれを資金源に日用品を購入。日々の「生活」を始めるのだった。ただ、バズのへそくりを失敬する際、少々彼の部屋を「破損」してしまっていた。
一方パリに着いたマカリスター一家はケビンの安否確認をしようと警察に連絡するが、偶然が重なりケビンの状態が分からずにいた。
パリに着いたばかりではあったが、ケイトはアメリカに戻る決断をする。
泥棒撃退
ケビンの王国は盤石な体制にはあったが、そこに二人の泥棒ハリーとマーヴが目をつけていた。
ハリーは事前の調査でマカリスター家がクリスマス休暇で留守になっているこを知っていたのだが、ケビンのとっさの気転によって二人はマカリスター家への侵入を3度にわたり阻まれた。
しかし、遂にケビンが一人ぼっちであることがバレてしまう。
ハリーとマーヴは再度マカリスター家への侵入を画策。その時刻を夜9時としったケビンは、二人を撃退すべく自宅に様々な仕掛けを施した。
その仕掛けは「子供の夢」そのものであったが、ハリーとマーブを見事撃退。二人は警察に逮捕された。
その夜ケビンは再びサンタに願う。家族を返してほしいと。
クリスマスの奇跡
クリスマスの朝、目覚めたケビンの前に母ケイトが現れる。クリスマス休暇でほとんどの交通機関が埋まっている中でケイトは懸命にケビンのために帰ってきた。
そこへ他の家族も現れる。結局ケイトだけでなく他の家族もケビンのために帰ってきていた。
家族が目にしたのは短い間に成長したケビンの姿。喧嘩をしてからあっていなかったバズも「家を燃やさなかったのは偉かった」と冗談交じりにケビンをねぎらうのだった。
しかし・・・自分の部屋がケビンによってめちゃくちゃにされていることに気がついたバズに、ケビンはこっぴどく叱られるのだった。
「ホーム・アローン」にはマーリー爺さんという登場人物がいる。ケビンはバズから彼を「シャベル殺人鬼」と教えられ恐れていたのだが、ケビンの人間的成長と合わせてものの見方が変わり、結果的にマーリー爺さんが少々家族との問題を抱えた老人に過ぎないことを知ることになる。
その上で、子供であるケビンの素朴なアドバイスにより、最終的にマーリー爺さんは疎遠になっていた家族との繋がりを取り戻すことができているし、ハリーとマーヴとの対決を最終的に手助けしてくれてもいる。
マーリー爺さんを通じて他者への認識の歪みを正していくことも、ケビンの人間的成長を表すものになっている。
「ホーム・アローン2」
絶望のフロリダからニューヨークへ
「ホーム・アローン」から1年後。マカリスター家はクリスマス休暇のフロリダ(マイアミ)旅行に向けて再びてんやわんやの状態であった。
しかしその夜は単に荷造りがあるだけでなく学校でのクリスマス会があった。そこで再びバズとケビンとの間で事件が起こる。
1年前の同様に、そのきっかけを作ったのはバズであったが、再びケビンが一方的に責められる事となった。そんな中、ケビンは自発的に屋根裏で寝ることを選択する。
翌朝、再び寝坊をかましたのだが、今回はケビンを置いていくことなく空港へ向かう。
ただ、今回は空港内ではぐれてしまい、他の家族がフロリダに向かう中、ケビンはニューヨーク行きの飛行機に乗ってしまう。
そして、フロリダについた家族はケビンがいないことに気がつくのだった。
素晴らしきニューヨーク
ニューヨークに着いたケビンも自分がやらかした事に気がついたのだが、そもそもフロリダ旅行をよく思っていなかったケビンはその状況を悪用しニューヨークを楽しむことにした。
くしくもケビンは、父のリュックに入った財布とクレジットカードを持っていた。
そんなケビンはプラザホテルに宿泊することを画策し、見事ホテルマンを騙しきり、父のクレジットカードを使って部屋をゲット。
リムジンでニューヨークを探訪、ケビンはその状況を楽しみ尽くすのだった。
一方、両親は警察に相談しケビンの行方を追っていたが、ケビンがクレジットカードを持っていることを知った警官がカードの利用履歴を追う作戦を立案する。
結果的にクレッジットカードに「盗難届け」が出される状態となったが、その事実に気がついたホテルマンが「泥棒」としてケビンを追い詰め、逃げ出したケビンは結果としてニューヨークを彷徨うことになる。
ハリー&マーヴ再び
偶然と呼ぶべきか奇跡と呼ぶべきか、1昨年にマカリスター家に押し入りケビンによって退治された泥棒ハリーとマーヴは脱獄を成功させて、ケビンと同時期にニューヨークに来ていた。
今回二人が狙いを定めたのは「ダンカンのおもちゃデパート」。クリスマス期で最も稼ぎながら、銀行が休みになるために現金がたんまりある場所としてハリーが立案した計画だった。
そんな二人はプラザホテルから逃げ出すケビンを捕まえる。1年前の復讐を考えながらも、マヌケなマーヴが今回の計画を話してしまう。
危機的状況にあったケビンだが、なんとか二人から逃げ切ることに成功する。
そんなとき、ケビンがプラザホテルでクレジットカード使ったこと、そしてホテルで発生したことがマカリスター家に伝えられ、一家はニューヨークへ向かう。
ニューヨークへついた一家はホテルの失策を理由にプラザホテルの部屋を得るが、母ケイトは一人ケビンを探し夜のニューヨークを奔走するのだった。
第二次クリスマス大戦
ニューヨークを彷徨うケビンは再びハリーとマーヴとの対決を決断する。「ダンカンのおもちゃデパート」のクリスマスの収益が全て恵まれない子どもたちのために使わることを知っていたケビンは彼らの犯行をどうしても止めたかった。
ケビンは「ダンカンのおもちゃデパート」に押し入った二人を叔父の家(1作目のころからパリ在住、ニューヨークの家は改装中だった)に誘導した。
もちろんそこにはありとあらゆる仕掛けが施されており、結局ハリーとマーヴは警察に捕まることとなった。
大仕事を終えたケビンだったが、彼は大都会ニューヨークで再び一人ぼっちになってしまった。
クリスマスの奇跡
たった一人のケビンはロックフェラーセンターのクリスマスツリーの前にいた。そして1年前と同じことを願う。家族に合わせてほしいと。
そこへケイトが現れる。
ケイトはケビンが大好きなクリスマスツリーのそばにいることが分かっていたのだった。
ケビンさえ見つかれば一家にとっては思いがけず転がり込んできた素晴らしきニューヨーク。プラザホテルでの日々を楽しんでいた。
大団円に思えたその刹那、ケビンがそれまでに使ったルームサービスの967ドル分の領収書が部屋に届く(公開当時は1ドル126円くらいだったので12万円くらつかったことになる)。結局ケビンは父からこっぴどく叱られるのだった。
「ホーム・アローン2」にもマーリー爺さんに対応する存在として鳩おばさんが登場している。
マーリー爺さんがバズから与えられた恐怖であったのに対して、鳩おばさんへの恐怖心は完全にケビンの内面から発生したもであり、それはケビンの中にある「偏見」を表す存在となっていた。
結果的に和解するばかりか、二人は生涯の友人となる。
一見すると1作目と発生していることは同じだが、最初にあった恐怖心が外的に与えられたものか内在的なものであったのかということに差があり、ケビンの人間的成長をきちんと異なる視点で描いていることになっている。
「ホーム・アローン」の面白さ
物語に引き込む不条理と孤独
子供の頃を一生懸命思い出してみると、「ホーム・アローン1,2」の中で最も私を惹きつけたのは、映画のスタート時にケビンが食らう「不条理」とそれに伴う「孤独」だろう。
おそらく私に兄がいることも原因だったのだが、勝手にピザを食べた上にそれを悪びれないバズの姿や、バズの悪ふざけが根本原因で発生したはずの事件に対する叱責は、ケビンに対する強烈な同情と自己投影を生み出した。どうして皆分かってくれないのかと。あれだけ人がいる「home」ケビンは孤独だった。
「ホーム・アローン」という映画はその孤独を「家で一人」、「ニューヨークで一人」という状況でひっくり返して見せる。作劇として見事なものだよね。
まあ、流石に一人ぼっちのニューヨークでプラザホテルのホテルマンを騙しきるとは「神話」や「英雄譚」の域に達しており、1作目と2作目では根本的な物語性は異なっている。
それでも「ホーム・アローン」という物語が子供の感じる「不条理」や「孤独」に寄り添ってくれていることは間違いない。
そんなところが子供の頃の私の心を掴んだのだろう。
巧妙に描かれる幻想の世界
「ホーム・アローン」では子供が感じる「不条理」や「孤独」がその基本ラインにあるのだが、もう一つ乗っかっているのが「幻想としての恐怖」だと思われる。
1作目と2作目で描かれた恐怖は主に以下の3つ:
- 地下室のストーブ
- マーリー爺さん
- 鳩おばさん
しかし、マーリー爺さんに関しては完全にバズの嘘であったし、鳩おばさんも単なる印象に過ぎなかった。
そしてケビンが感じた「恐怖」がなんであったのかを明確に教えてくれているのが地下室のストーブである。
私も子供の頃に何故か怖い扉や階段があった。それがなぜ怖いのかが分からないのだがとにかく怖い。
ケビンにとってのストーブもそれと同様でそれが怖い理由は根本的にはない。あえてその理由を言葉にするならば「子供の幻想」というしかないだろう。
そしてケビンはたった一人で生活する中で人間的な成長を遂げ、その「幻想としての恐怖」を乗り越える。
ケビンにとってストーブはただのストーブであるし、マーリー爺さんは殺人鬼ではない。鳩おばさんは友となった。
物語のスタート時点でケビンを襲ったものは確かに「不条理」であったが、ケビンがストーブ、マーリー爺さん、そして鳩おばさんに感じていた恐怖もまさしく「不条理」である。
「ホーム・アローン」という物語は他者から与えられた「不条理」から始まり、自分自身が「不条理」を与える存在となり、人間的成長を遂げる事によってその2つの「不条理」を乗り越える物語となっている。
誠にうまくできた映画である。
どうしても面白い「暴力を伴う笑い」
「ホーム・アローン」の面白さをその巧妙な構造に見出すことができるのだが、なんやかんやとコメディになっているも極めて大事なことだろう。
というか本当はそっちが好きで子供の頃の自分は「ホーム・アローン」を見ていた気もする。
映画の音声に合わせて人を騙してみたいと思ったし、ホテルマンをだまくらかして豪遊したいと思った。
そしてコメディとしてのハイライトは「vs ハリー&マーブ」。なんとも子供の夢が詰まったカラクリのサーカスだった。
ただ、現代的には「ホーム・アローン」で描かれる「笑い」は少々問題視されるかもしれない。問題の本質はそこに暴力が伴うことだが、「ホーム・アローン」がどう考えても子供向けの作品であることはもっと問題になるのだろう。
一応そこに暴力が伴ってもいい理由として「あいつらは泥棒という『悪いやつ』」を提供されてはいる。ケビンは自分の怒りや欲求に従って暴力を行っているのではなく、それはある種の「天誅」であり「正当防衛」である。
「過剰防衛」と思えるかもしれないが、そこは「子供だから」という理由も用意されている。
しかしさ、なんというのかな、そういうしち面倒くさいことではなくてさ、面白かったよな?ケビンがあの手この手でハリーとマーブを懲らしめる姿は。
「笑い」のあり方は、特にテレビにおいて変わることを余儀なくされてはいるのだが、どうだろうか、すでに生まれてしまった作品については多めに見てくれないだろうか。
三作目を作る気のない「ホーム・アローン2」
「ホーム・アローン」における「暴力的な笑い」について私は基本的には擁護的なのだが、そんな私でも「ホーム・アローン2」に関しては養護しきれないかもしれない。
皆も思っただろ?あの高さから投げ落とされたレンガが当たったら死ぬと。
しかもハリーはその仕返しとしてケビンにレンガを投げつける。
全く持って「子供に見せられれない映画」である。
いい年になって「ホーム・アローン2」における「vs ハリー&マーブ」を見ると「こいつら続編作る気ねえな」と思えてしまう。
もしマコーレー・カルキンが主演する続編が作られていたとしたら、ハリーとマーヴは確実に死ぬ。死ななければ整合性が取れない。
しかも、物語の完成度で言えば1作目の方が高い。というか、本来2作目はいらない。これは上で既に述べたように「他者からぶつけられる不条理」、「自分が他者にぶつける不条理」そして「2つの不条理の克服」という構造が1作目で見事に描かれているということである。
スタッフも2作目を作るときには困ったことだろう、1作目があまりにもうまくできているから。
だた、ある種の「伏線と回収」というか「考え尽くされたプロット」としての完成度は「ホーム・アローン2」も変わらない。序盤に描写されたものが過不足なくその後の展開に使われている。
「ホーム・アローン2」でにおける唯一の飛躍は、プラザホテルのホテルマンを騙すくらいの知恵があるのに、ニューヨークについた時点でフロリダの家族に連絡を取らないことくらいだろう。
あれ程の知恵があるケビンが「ツリーのないフロリダのクリスマスは嫌だ」という理由だけで父親のクレジットカードを勝手に使ってまでニューヨーク豪遊をするのはおかしい。
ただ、それを押し通さなけば「ホーム・アローン2」はなかったわけで、私はそれでよかったと思う。
そのように考えれば、結果的に「ホーム・アローン2」で発生している「暴走」もこの作品の面白さになっている。
色々語ってきましたが、早い話が「ホーム・アローン」は面白い。そういうことです。
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