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シン・仮面ライダー】オーグメントの絶望の謎と「アイ」が隠した本当の戦略-本郷猛は何故勝利して良いのか-

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「シン・仮面ライダー」は2023年に公開された庵野秀明による劇場用作品である。

庵野秀明による「仮面ライダー」がどのようなものになるのかと期待と不安の中で劇場に足を運んだことを覚えているが、この作品の特徴のひとつは秘密結社「SHOCKER」の基本戦略にあると思う。今回は所謂「怪人」に対応する存在が「オーグメント」と呼ばれ、人間であったときに大きな絶望を感じた存在として描かれる。

作中で「SHOCKER」を牛耳っているのは人工知能「アイ」であり、組織の創設者である大富豪の「人類を幸福に導くこと」という命令を実行するために、「最大の絶望を経験した者の救済」を具体的な方策として採用している。

一方で、「正義の味方」である「仮面ライダー」は、その「アイ」の思惑と対立する存在となっているため、少々意地悪な見方をすると、「せっかく絶望の淵から這い上がった人間を叩きのめしてしまっている」と考えることもできる。

しかし、色々と思いを馳せてみると、やはり「仮面ライダー」あるいは本郷猛は「SHOCKER」に勝利してよいという結論に至った。

今回はその観点に立って、人工知能「アイ」には実のところ隠蔽している真の目的があること、そして何故本郷猛や「仮面ライダー」は「オーグメント」を倒してしまってよいのかということを考えていく。そして、最終的には「『仮面ライダー』とはどういう存在なのか」という問題についてひとつの答えを出そうと思う。

それを考える上で、「オーグメント」が感じていた絶望が極めて本質的な問題となると思う。まずはその「絶望」の正体を探っていこうと思う。

  • オーグメントの絶望と内面の齟齬
    コウモリオーグ、ハチオーグ、そしてチョウオーグなどに代表される“改造人間”たちは、過去に抱いた強い絶望を力の源にしている。 表面上は世界や他者へ怒りをぶつけているが、その根底には「自分が望むほど優秀ではなかった」「友達を信じきれなかった」といった内面的葛藤があり、 その行動とのあいだに複雑な齟齬が生じている。
  • SHOCKERの戦略と人工知能「アイ」の目的
    本作では、秘密結社SHOCKERを支配する人工知能「アイ」が「最大の絶望を経験した者の救済」を掲げ、オーグメントを誕生させている。 その真の狙いは人類を幸福へ導くことである一方、「復讐の連鎖」を生み出し、最終的には人類滅亡に至る可能性を秘めている点が大きな特徴である。
  • 本郷猛(仮面ライダー)が勝利してよい理由
    「アイ」のモデルは絶望者を救済しながらも、犠牲を拡大するリスクを伴う。 一方、本郷猛は具体的解決策こそ提示しないものの、“最大多数の利益”と「自分を信じる心」を守る象徴として戦い、 いわば“弱い心”を断ち切ろうとする役割を担っている。 これによって、オーグメントを倒しつつも正義の味方としての正当性を確保しているのである。
  • 人間讃歌」としての仮面ライダー
    仮面ライダーは“不条理を払拭し、ゼロ地点へ戻す”存在であり、具体的な力を授けるわけではない。 そのぶん人間の自主性や努力を尊重し、「孤高のヒーロー」として人間そのものを肯定する。 こうした視点に立つと、人間の尊厳を守り抜く姿こそが、本作における仮面ライダーの本質であるといえる。

オーグメント達の絶望の謎

コウモリオーグ

全てのオーグ達の中で「コウモリオーグ」の絶望が一番わかりやすかったかも知れない(ただ、その上で十分に考える余地がある)。

彼は劇中で以下のように発言している:

「疫病は素晴らしい。社会の腐敗を暴き、人類の幸福に必要なエレメントを示してくれる。」

「バットヴィルース」はわしの最高傑作だ。増え続ける人口を作為的に減らし、選ばれた価値のある人間を幸せにする作品だ」

「緑川、なぜ誰もわしを理解しないのだ。」

更に、ルリ子の「ヴィルース研究、父が忠告したのにまだ続けてるの?」という発言を合わせると、次のことが見て取れる:

  • コウモリオーグは元々科学者(ウィルス研究)、
  • ウィルスによる人類の淘汰を是としている、
  • 人類の淘汰と進化を推進するウィルスを研究していた、
  • 誰にもその価値を理解してもらえなかった

つまり、「コウモリオーグ」の絶望は「誰にも理解されなかったこと」という事になる。

ただし、ここで重要な疑問が生じる。もし「コウモリオーグ」の絶望が上のようなものであるなら、彼はオーグメントになる必要がない

彼に必要なのは実験設備、助手、そして資金であって、コウモリとなって空を飛ぶような超人的な力ではない。

では、何故彼は「コウモリオーグ」となったのか?

本編で言及されていないのでその理由は想像するしかないのだが、3つほど可能性が考えられる:

  1. 実験設備、助手、資金を提供する代わりにオーグメント研究の実験体となった。
  2. コウモリオーグ」になることによって高い知性を得た。
  3. 上記2つの合せ技。

おそらくは3つ目の可能性が一番高いと思われる。というのも、「アイ」は「大きな絶望を抱えたものの救済」を行っているわけだから、「コウモリオーグ」には少なくともその研究を完成させてもらわなくてはならない。しかし、実験設備と助手と資金があったからと言って、研究が完成されるとは限らないわけだから、それ以上のファクターを提供する必要がある。

それが「オーグメント」となることによって強化された知能だったのではないだろうか。

もしそうなら、本郷猛との戦いで全く歯が立たなかったことにも納得ができる。コウモリと合体したから飛べることは飛べるのだが、だからといって強大な力があるわけではない。彼は人より頭が良かっただけなのである。

しかしそうなると、彼の本当の絶望は「自分の正しさを人に認めてもらえなかったこと」ではなく「自分が望むほど優秀ではなかったこと」になるように思われる。

別の言い方をするなら、彼は「自分の不甲斐なさ」との戦いに敗れたという言い方もできるかも知れない(少々厳しすぎるけど)。何かオーグ達の絶望の裏にはこれと同じようなものが隠れているように思える。

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ハチオーグ

ここからは「ハチオーグ」が抱えていた絶望について考えていこうと思う。キーワードとなるのは「友達」そして「奴隷」となるだろう。

「ハチオーグ(ヒロミ)」について緑川ルリ子は、「友達に一番近い存在」と評していたが、「友達はいない」と言い張っていたルリ子がそのように言うのだから、間違いなく「友達」とである。「ハチオーグ」もそう思っていたに違いない。

そんな「ハチオーグ」の発言を振り返ってみると、

支配こそ私のささやかな幸せ。服従こそ奴隷たちの幸せ。そのために必要なのは、社会にも自然にもストレスをかけない効率的な奴隷制度による統制された世界システムの再構築とその実現。」

更に「ハチオーグ」は、小さな町を実験場として、人々を洗脳システムでいのままに動かしていた。更に、部下のプラーナをバンバン吸収していた

「オーグメント」達の行動が、その絶望の裏返しだとすると、彼女が過去に以下のような状態にあったと類推できる:

  • 圧倒的多数の人間に「支配」されていた、
  • それによって酷く苦しんでいた。

ここに「友達」という補助線を足してみると、「ハチオーグ」あるいはヒロミは嘗て、酷いいじめに遭っていたのではないだろうか。

そのいじめの発生場所が学校だったのか会社だったのか、それ以外のコミュニティだったのかはわからない。しかし、そような過酷な状況の中で生きる気力を奪われていた「ハチオーグ」は生きる気力を周りの人間から奪われ、自らが圧倒的多数に支配されているような気になったのかも知れない。

だからこそ「ハチオーグ」は人々を支配し、部下のプラーナを奪うことに躊躇がなかった。

これでなんとなく「ハチオーグ」の絶望が分かった気になるのだが、一つの疑問が残る。何故、ルリ子との人間関係が描かれたのだろうか?

その理由の中に「コウモリオーグ」と同様のある種の「歪み」が存在していると思う。

つまり、「ハチオーグ(ヒロミ)」の本当の絶望は、いじめられたことではなく、「友達」を作る事ができると信じられたなかったこと、になるのではないだろうか。

もしそうなら、ヒロミの人生は、あまりにも、あまりにも、あまりにも、辛く切ない。何故なら、ヒロミは友達を作ってしまったから

いずれにせよ、「ハチオーグ」の絶望は、実のところ「世界」に対するものではなく自分に対するものであったということになる。

どうも「シン・仮面ライダー」の「オーグメント」達には、このような「内面」と「外面的な言動」の間に絶妙な齟齬があるように思われる。

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サソリオーグ

ここでは「サソリオーグ」について考えたいが、「コウモリオーグ」や「ハチオーグ」に比べるとあまりにも情報が少ない。それでもなお状況証拠からその絶望の方向性くらいは探ってみようと思う。

ヒントとなる状況証拠は:

  • サソリオーグ」は女性としてはとても美しい、
  • サソリオーグ」の部下は全て女性、
  • サソリオーグ」殲滅のために突入した突入した部隊はおそらく全員男、
  • なぜか緑川ルリ子は参戦しなかった

これらの事実を総合するに、「サソリオーグ」の絶望は男に関するものだったのではないだろうか。どのような絶望を感じたのかを具体的に推定することはできないが、おそらく「サソリオーグ」の敵は「人類」ではなく「男」だったと思われる。

となると、緑川ルリ子が参戦しなかった理由も分かってくる。

作中で緑川ルリ子は「『サソリオーグ』の猛毒性化学兵器にプラーナシステムは対応できない」と語っており、「サソリオーグ」との戦いに参戦しなかった理由はその相性の悪さということにはなるのだが、ここで問題にしたいのはもう少しメタ的な理由である。

もし「サソリオーグ」の絶望が「男」に関わるものであった場合、「サソリオーグ」は緑川ルリ子を攻撃できない(敵ではないし、守りたい存在だから)。そして、そのことがきっかけで「サソリオーグ」が抱える絶望に関する深い話が始まってしまう

そんな事をしていたら映画が3時間を超えてしまったことだろう。

もちろんこちらとしては3時間でも構わないのだけれど、劇場公開ということを考えれば2時間程度に収めなくてはならない。そんな事もあって、どうしても緑川ルリ子は「サソリオーグ」との戦いに参戦できなかったのだろう。

しかし、そんなことなら「サソリオーグ」の絶望を別のものにすればよかったという考え方もある。「サソリオーグ」の毒が「ハチオーグ」の物語に関与しているので「サソリオーグ」の存在そのものは消しづらいかも知れない。でも、絶望をずらすことは出来る。

出来ることをしなかった理由も想像するしかないが、「女性の男に対する絶望」はどこかで描かざるを得ず、それを「サソリオーグ」の絶望としてむしろうまく映画いたということが出来るのではないだろうか(「男の女性に対する絶望」も描くべきだと思うが)。

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クモオーグとKKオーグ

「クモオーグ」と「KKオーグ」については「サソリオーグ」よりもヒントが少ないが、2人に共通しているのは「『裏切り』に対する強烈な敵意」と思われる。

「クモオーグ」は組織を裏切った緑川ルリ子と緑川博士を追っていたし、「KKオーグ」もそんな「クモオーグ」を「先輩」と慕っており、「裏切り」に対する敵意をあらわにしていた。

となると、彼らの絶望は「近しい誰かに裏切られたこと」という事になるだろう。

「サソリオーグ」と同様に、その具体的な絶望の正体はわからない。もしかしたら「サソリオーグ」と対をなすように、近しい女性に裏切られたのかも知れない。もちろん詳細はわからないが。

チョウオーグ

「チョウオーグ」、あるいは、緑川イチローについては本編でも詳しく語られているので特段考える必要はないのだが、少しまとめておこう。

彼の絶望は自らの母の死を巡る不条理、そしてその不条理を生み出した人間の暴力性である。

彼がとった作戦は、「ハビタット世界」なる場所に人々を移すことで「価値判断が存在しない世界(執着のない世界)」を実現し、彼が感じた絶望を強制的に排除することを考えた。「ハビタット世界」は「悟りの世界」とも言えるし「新世紀エヴァンゲリオン」における「人類補完計画」の行く末ということも出来ると思う。

彼の絶望には同情を禁じえないが、緑川イチローは、自分を絶望させなかったほとんどすべての人を無視している。そして、自分の幸せをそういった人々に押し付けようとしている(ゼーレの連中と同じ!)。

つまり、彼の本当の絶望は「自分の絶望に執着してしまったこと」ということも出来るのではないだろうか。

「オーグメント」の行動はその絶望の裏返しだと思われるが、緑川イチローだけがその絶望そのものをなくそうとしている。したがって、彼の敵は「彼自身の絶望」ということになるだろう。


「サソリオーグ」や「クモオーグ」、「KKオーグ」はヒントが少なすぎて「結局のところ」がわからないのだが、「コウモリオーグ」、「ハチオーグ」、そして「チョウオーグ」の絶望の根本にはある種の「自意識問題」があるように思われる。

ここからは、上で考えたような絶望を抱えたある意味で「可哀想な人」に対して本郷猛(仮面ライダー)が勝利を収める理由、その意味を考えていこうと思う。

本郷猛(仮面ライダー)は何故勝利して良いのか

考えてみると、「シン・仮面ライダー」における「オーグメント」は大きな絶望を抱えた人々なのだから、それを排除、駆逐してしまうことはまさに「泣きっ面に蜂」であり、あまりにも可愛そすぎるという見方もできる。

それでもなお、本郷猛が「オーグメント」を倒して良い理由のひとつは「最大多数の利益追求」という事になるだろう。つまり、「オーグメント」の幸福のためにほとんどすべての私達が犠牲になるのは許容できないため、本郷猛の戦いが正当化される。

これはまさに人工知能「アイ」が採用しなかった幸福追求モデルとなっており、明確な対立構造となっている。

本郷猛、あるいは仮面ライダーが「オーグメント」を倒して良い理由はこれで十分と言えば十分だが、どうにも「絶望を抱えた人々の僅かな希望を打ち砕いてしまっている」という感覚を拭いきれない。

上で考察して「オーグメント」の絶望をヒントに、もう少しだけ本郷猛の戦いについて考えてみようと思う。

本郷猛は「信じるべきものを信じきれない弱い心」を打ち砕く

「サソリオーグ」、「クモオーグ」、「KKオーグ」に関しては情報が少なくあまり深い考察ができなかったので、「コウモリオーグ」、「ハチオーグ」そして「チョウオーグ」を取り上げようと思う。

「コウモリオーグ」の絶望は「自分が望むほど優秀ではなかったこと」と結論付けたが、転じて、「自分が優秀であると証明できるところまでやりきれなかった」ということにもなるだろう。

そしてそれは「ハチオーグ」と同じように、「自分を信じ切ることができなかった」ということでもある。

では「チョウオーグ」はどうだったか。

彼の絶望は「自分の絶望に執着してしまったこと」と考察したわけだが、別の言葉に変えると「自分を絶望させなかったほとんど全ての人々を信じきることができなかった」という事もできる。

結局彼らの絶望の本質は「信じるべきものを信じ切れなかったこと」とまとめることが出来る。

となると、本郷猛が打ち砕いたものは、「信じるべきものを信じきれなかった弱い心」だったのだろう。「信じるべきものを信じられなかった」ことを「弱い」と表現するのは少々いきすぎかもしれないけれど、だからこそ本郷猛のヒーロー性が強調される。

本郷猛は「オーグメント」を倒してしまっているのだけれど、それはつまりそれを観る人々に対して「自分に負けるな!」と訴えかけている事になる。

また、「ハチオーグ」にトドメを刺したのが実際には本郷猛でなかったことにも納得できるのではないだろうか。

上で考察したように「ハチオーグ」の絶望が「いじめ」やそれに類するものが原因だった場合、その苦しみにはやはり寄り添うべきであるし「自分に負けるな」と鼓舞するよりは適切な避難場所を提供すべきである。

だからこそ映画本編でも本郷猛は「ハチオーグ」と本気で戦わず、なんとか「SHOCKER」を離脱させようとしていた。彼は「ハチオーグ」に対しては「寄り添う」という事を徹底していたのである。

いずれにせよ、本郷猛が苦しい人生を歩んだ「オーグメント」に勝利して良い理由をまとめると「その勝利が『自分を信じる心』の大切さの象徴となるから」ということになるだろう。

ここまで色々考えてきたた、そもそも絶望とは「何かを信じられなくなった心の状況」を指すのだから、随分長い時間を懸けて自明な結論に達してしまったようにも思う。ただ、「何を信じられなかったか」という個別具体的なことも大事だったので・・・良しとしよう。

人工知能「アイ」が隠した本当の戦略と「仮面ライダー」の存在意義

最後に、人工知能「アイ」と仮面ライダーとの最終決戦がどのようなものになるのかを考える。

「シン・仮面ライダー」のラストで本郷猛は実質的に離脱してしまい、その後の戦いは一文字隼人に託された訳だが、プラーナとして本郷猛は存在し続ける。一文字隼人の戦いも、本郷猛の思いを受け継いだものになるだろう。

しかし、「アイ」と仮面ライダーとの決戦を想像するとなかなかに厄介になることが想像される。

寄り添いはするが、具体案がない仮面ライダー

さて、大きな絶望を感じた「オーグメント」を本郷猛(仮面ライダー)が倒していい理由は、それが「自分を真じる心の大切さ」の象徴であると結論付けたのだが、重要な問題は、それが大事だとして、具体的に絶望を乗り越える方法論はなんら提供していないことである。

一方で、人工知能「アイ」は、絶望を抱えたものにその絶望を乗り越えるための具体的な力を与えており、結果として彼らは「自分を信じる心」を取り戻したと言えるのではないだろうか。

となると、仮面ライダーと人工知能「アイ」の最終決戦がある場合、ライダーは必ずこの点を「アイ」から突っ込まれることになる。「お前は何もしてないじゃなかいか」と。

それでもなおどうしても仮面ライダーは勝利しなくてはならないので、精神論ばかりで具体案がまったくない仮面ライダーが勝利してよい理由が必要となる。

そのヒントとなるのは人工知能「アイ」が最終的にはどのような世界を生み出そうとしているのかということになると思う。

人工知能「アイ」が隠蔽した「人類滅亡」という結論

仮面ライダーは確かに「具体案」を提案していないが、その「具体案」を提案した「アイ」の方向性にも少々の疑問がある。単純なところを考えると、「オーグメント」に蹂躙された人々が、新たな絶望を感じてしまうということである。

「アイ」はそのような人々も絶望から救ってあげなくてはならないし、「オーグメント」にしてあげなくてはならない。しかもその「オーグメント」は、自分を苦しめた「オーグメント」を殺しにかかるのではないだろうか。

そしてその生き残った「オーグメント」は自らの幸福のために、再び多くの人々を絶望させる存在になる。

そしてこれが延々と続くことになる。人類がいなくなるまで

「シン・仮面ライダー」の本編で緑川ルリ子の口から語られた「アイ」の方法論(幸福モデル)は「最大の絶望を経験した者の救済」であったが、それは必然的に「復讐の連鎖」を生む。

「アイ」はそんなことは承知でその方法論を採用したのではないだろうか。となると、実のところ「アイ」が結論付けたものは「滅亡こそが人類の幸福」ということだったのだろう。

しかし、そんな結論を出したとて、手足として動いてくれる人々は納得しない。だから「アイ」は嘘をついた。「最大の絶望を経験した者の救済」こそが目的であると。

そして、ここまで考えてきたことを前提にすると、緑川イチローの作戦の見え方が僅かに変わってくる。

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人類滅亡を回避する「ハビタット世界」-仮面ライダー第0号を名乗った意味-

「アイ」の作戦を真面目に実行しようとするとどうしても人類は滅亡してしまうように思われるのだが、イチローが実現しようとした人類の「ハビタット世界」への移住はある意味では人類の滅亡を回避しているようにも見えてくる。

イチローは人類が生み出してしまう不条理を憎んではいたが、本質的な部分では人類そのものを憎んでいたわけではないということかもしれない。

もし人類そのものを憎んでいるのなら、積極的に殺す方に動くはず。そうせずにわざわざ「ハビタット世界」などという面倒なものを開発したのはやはりまだ人類を信じていたからだったのだろう。

そう考えると、緑川イチローが「仮面ライダー0号」を名乗ったことにも納得がいくかも知れない。

彼は確かに人類に絶望はしていたのだが、絶滅させようとは思っていなかった。ギリギリで人を信じているその心こそが「仮面ライダー」の証明となっていた。しかし、信じ切ることができなかったがために、本郷猛に敗れてしまったのである。

しかし、その最後で本郷猛と分かりあえたような演出がなされていたことも、緑川イチローの心のなかに残った人類への思いを象徴していたと言えるだろう。

もう少しだけ早く、本郷猛に会えていれば、緑川イチローは変わっていたのかも知れない。

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仮面ライダーは人類の滅亡に抗うが、根本的に「スパルタ」である

少々横道にそれてしまったが、仮面ライダーが「絶望」に対して具体的な方法論を持っていないことは確かだろう。

では、仮面ライダーとはどういう存在であり得るのだろうか?

仮面ライダーや戦隊ヒーローは「正義の味方」と呼ばれ、我々に寄り添ってくれる存在として描かれるのだが、思い出してみると、彼らがやってくれていることは基本的に「不条理の払拭」であって、具体的に手取り足取りしてくれることではない

ショッカーや様々な敵組織は、日々を懸命に生きる人々の生活を脅かす「不条理」であって、状況をマイナスにする存在となっている。しかし、そういった組織の活動が抑制されたところで、状況がプラスになるわけではなく、ゼロ地点に戻るだけである。

そのゼロ地点に戻った世界の中で自らの幸福を掴みたければ、不断の努力をもって日々を送る他ない。仮面ライダーの戦隊ヒーローもそこに関しては何もしてくれないことになる。

「何もしてくれない」というと悪いことのようにも思えてしまうが、仮面ライダーや戦隊ヒーローものを視聴することが期待されているのが概ね子供であることを考えると、それも当然のことであろう。物語を紡ぐ大人としては「誰かがなんとかしてくれる」という物語を子供に見せるわけにはいかない、大人が子どもたちに見せられるのは「誰かが寄り添ってくれる!あとはなんとか頑張れ!」というところに留まるべきである。

また、そのような物語の裏には「うまくいかないのはお前が悪い。うまくいくまでやれ。諦めるな。」という極めてスパルタな本音も見て取れるだろう(でも、寄り添ってはくれるし不条理を排除はしてくれる)。

となると、少なくとも「シン・仮面ライダー」において、人工知能「アイ」とライダー達が対立することの必然性も見えてくる。

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「アイ」はものすごく優しいが、生きる力を奪う存在

仮面ライダーを始めとする正義の味方がただ寄り添うだけの存在に対して、この記事で見てきたように、人工知能「アイ」は人々に具体的な力を与えている。

ある意味で「アイ」はとてつもない優しさを見せてくれてはいるのだが、それは人から根本的な「生きる力」を奪う行為でもある。

結局我々は自分の力でなんとかしなくてはならないのだから、超常の力を誰かが与えてくれるなんて考えてはならないし、そんな事を考えている暇があったら寝ていたほうがまだ良い。

そしてそのことは、上で考察したように、「アイ」の作戦が人類の滅亡を必然的に導くこととも合致するだろう。「アイ」は確かに優しいが、その優しさが導いた結論は、やはり「人類の滅亡」だったと考えられるだろう。

仮面ライダーは人間の存在そのものを肯定する-孤高のヒーローが紡ぐ人間讃歌-

ここまで長々といろいろと書いて生きたが、結局「仮面ライダー」がどのような存在なのかということを考えてみると、「人間が人間としてそこに存在することを肯定してくれる存在」ということができるのではないだろうか。

我々人間は多くの問題を抱え、同朋であるはずの人間を絶望の淵に追いやってしまうこともある。でも、それでもなお、人間の存在を肯定してくれるのが「仮面ライダー」という存在である。「仮面ライダー」を「正義の味方」と言い換えても良いかも知れない。

孤高のヒーロー仮面ライダー達が紡いでくれたのは、そういった人間讃歌の物語であったと言えると思う。そしてこの「シン・仮面ライダー」シリーズが続くとすれば、その部分がより強調されることになるのではないだろうか。

そしてそれは、我々自身への問いかけにもなる「仮面ライダーは我々を肯定してくれている、君はどうするんだい?」と。


以上が私が個人的に考えた「オーグメントの絶望」、「人工知能『アイ』の戦略」そして「仮面ライダーの存在意義」でございます。無駄に長い記事になってしまいましたが、皆さんはこれらの点についてどう思うでしょうか。

異論は沢山あると思いますが、ご自分の考えてと比較していただければ幸いです。

以上!

「シン・仮面ライダー」は
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Sifr(シフル)
北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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