「サマーウォーズ」は2009年に公開された細田守監督による劇場用長編アニメーションである。
公開当時はまだ学生で、友人と2人で観に行ったことをよく憶えている。今では細田作品の中で一番好きな作品であるし、細田作品以外を含めても好きな作品である。
ただ、初見の頃からずっと違和感を覚えていたシーンがあった。もちろん現在ではそのシーンを「すげえいいシーン」と思っているのだけれど、そう思えるようになったのは、「サマーウォーズ」を3回見終わった頃だったと思う(劇場公開後にわざわざ見るくらい好きな作品だったということでもある)。
で、私が違和感を覚えたシーンは「おばあちゃんがみんなに電話をかけるシーン」である。
栄ばあちゃんはそもそも電話しなくても良かったんじゃないか問題
「サマーウォーズ」で「ラヴ・マシーン」が最初の事件を起こした後、ばあちゃんは、身内を含め、警視総監などいわゆる「高い地位にある人」に片っ端から電話をかける。結果として状況は沈静化し、事なきを得る。そして劇中でも「ばあちゃんのおかげ」という発言がなされるのだが、はて本当にそうだろうか?
私が感じた違和感はまさにここにある。つまり「ばあちゃんが電話をかけなくても、状況は収束しただろう」という思いに駆られるのである。
あの瞬間、日本のみならず、世界中の人々が混乱の中にあり、それでもなお自分ができることしていたのである。ばあちゃんが電話をかけなくても、実は状況は僅かずつ良い方向に進んでいたはずである。ばあちゃんの電話先で「いまからよろうとした!」と声を荒げるが、本当に今からやろうとしたに違いないし、命令は下していたかもしれない。
このような状況にもかかわらず、何やら随分「いいシーン」な演出がなされていることが、私の感じた違和感の正体である。しかし先述した通り、今の私はあのシーンを素晴らしいシーンだと思っている。ただ、ばあちゃんの力量がわかるシーンいうよりは、ばあちゃんが抱えてきた苦難の歴史を掘り起こすシーンのように見えるから素晴らしいシーンなのだと思う。
さて、何故あのシーンは必要だったのか?
それを紐解くには、「サマーウォーズ」最大の謎「なぜ栄ばあちゃんは侘助を支援したのか問題」に向き合わなくてはならない。まずは栄ばあちゃんの過去に思いを馳せてみよう。
「サマーウォーズ」前日譚【栄ばあちゃん苦悩の歴史】
「サマーウォーズ」におけるばあちゃんは絶対君主の用に見える。
しかし、劇中で話されていることを総合すると、ばあちゃんが絶対君主になったのはつい最近であり、それは栄ばあちゃんの手腕によるものであると思われる。
栄ばあちゃんは陣内家の直系であり、配偶者は「婿殿」である。しかしその婿殿は外に女を作り、その上子供まで作り、自由奔放に生きたようである。もちろん、「婿殿」であることに変わりがないというある種のストレスが生んだ状況かもしれないが、「アホたれ」であったことは間違いがないだろう。
でもおかしいじゃないか。陣内家がもともと女系が強い家ならこんなことにはなっていない。栄ばあちゃんの手腕で、陣内家は成長を遂げ、作中よりも素晴らしいものになっていたに違いない(たとえ「戦後」を食らっても)。
しかし現実はどうかというと、栄ばあちゃんの配偶者の放蕩によって陣内家の資産は大幅に減ったのである。何やらおかしいのである。
ここで少々話はズレるのだが、私の個人的な経験の話をしたい。
私の母方の実家は農家だったのだが、二代続けて入婿を迎える状況になっていた。入婿だったのは祖父と叔父である。
その祖父が亡くなった通夜の夜、酔っ払った叔父が「結局一回もビールついでもらえなかったよ」と言っていた。
お互い入婿なのに、それでもなお上下関係があり、結局状況を掌握していたのは祖父だったのだろう(栄ばあちゃんのお父さん)。
直系だったのは祖母や叔母だったが、だからといって栄ばあちゃんが実権を握ってはいなかったのである。
豪商陣内家と田舎の農家を比べるのは間違っているのもわかるのだが、栄ばあちゃんにしても、「男」を頂点とする「家」のあり方に従わざる得なかったのではないかと思う。
そして、「目の上のたんこぶ」がいなくなった段階で、栄ばあちゃんの配偶者はようやく羽を広げ放蕩の限りを尽くした。
おそらく配偶者の死後、栄ばあちゃんの手腕で状況を持ち直し、我々が本編でみた「栄ばあちゃんの帝国」になったわけである。重要なことは「ばあちゃんを頂点とするあり方」が陣内家のもともとの伝統ではなく、栄ばあちゃんの手腕によって作られたものであろうということである。
あの状況は栄ばあちゃんの汗と涙の結晶だったのである。
さて、そんな栄ばあちゃんが秘密裏に山を売り、侘助をアメリカに送り込んだのは何故だったのか?
陣内家に損害を与えた入婿が外で作った子供引取り、愛情を込めて育てただけでなく、家族に話せない秘密を作ってまで侘助を支援したのである。
「サマーウォーズ」の謎【栄ばあちゃんが侘助を支援した理由】
ここからは栄ばあちゃんの不可解な行動である「侘助の支援」について、その理由を考えようと思う。まず最初に提示するのは最もネガティブな考え方である。
その1:あんまし考えたくない理由
「サマーウォーズ」という映画の中で最も印象的なシーンは、小さな侘助の手をとり歩く栄さんのシーンである。
あのシーンで栄さんはなんと侘助を家に迎えられたことを嬉しいと栄ばあちゃんは宣うのだが、そんなわけ無いだろ。本来なら腹が立ってしょうがないはずである。
しかし栄さんという人は、そんな思いを新しい環境に不安の中でやってくる子供にぶつけるような酷い人ではないわけである。というよりも、なんの罪もない子供に対して、そういった醜い内面と真逆の言葉を投げかけるくらいに優しく、人のできた人ということになる。
ただ、なんやかんやと家庭内で孤立していた侘助が、ようやく家を出る年頃になったころ、栄ばあちゃんにも何か黒い思いが生じてもおかしくない
幸か不幸か侘助は極めて優秀であったし、本人も陣内家から離れたかっただろう。そんな侘助に「あんたならできる」と身内に隠れて山を売って金を作り手渡したとなると、栄ばあちゃんは「見事に侘助を遠くに追いやった」ということになるだろう、
そのように考えると、侘助が「俺頑張ったんだよ」といったシーンで一瞬栄ばあちゃんが泣きそうになるのも、「本当はあんたを遠ざけたかっただけなのに、そんな事も知らずに懸命に頑張ったんだね」という「罪悪感からくる贖罪としての感動」ということになる。
完璧に見える栄ばあちゃんだが、このように、誰よりも侘助を遠ざけたかったという黒い思いがその内面の真実にあってもおかしくないだろう。
ただ、自分で書いていておかしな話なのだが、私は基本的にはこのような考え方をとってはいない。もちろん、栄ばあちゃんの内面の真実の一部にこういう思いがなかったと思っているのだが、侘助を支援した本質的な理由は他にあったと思われる。
その2:おそらくこうであろうという理由
では、栄ばあちゃんの実際の思いは何だったのかというと「侘助、お前だけはここではない何処かへ行きなさい」ということだったのだはなかろうかと思う。
栄さんは実力のある人である。
男として生まれていれば全く違う人生を歩んだことだろうと思う。
しかし、陣内家の直系であり、入婿をもらうたちでありながら、栄さんは「家」というものに縛られたのである。もちろんそれを心底憎んでいたわけでもないかもしれないが、「別の人生があったはず」と思わなかったとも思えない。
そんな栄さんは侘助に何を見ただろうか。
家の人間からはれもの扱いを受けながらも必死に勉学(あるいはそれ以外のことにも)に励み、その優れた才能を発揮しようとしていた侘助にかつての自分を重ねたのではないだろうか。
つまり侘助に対して「私はだめだったけど、あんただけは「家」縛られず、はここではない何処かへ行きなさい」と激励を込めて送り出そうとしたように思えるのだ。
ただ、このことは他の家族に説明することは不可能である。まず「非嫡出子」に大金を渡しただけで問題になり、さらにその理由が問題となる。先述した理由を述べてしまったら「家」そのものの否定になり、自分が構築しようとしている王国を根本から瓦解させてしまう。
賢いというのも考えものだ。
結局、自らを頂点とする新しい「家」と侘助への思いを両立するためには、侘助に責任を押し付けるしかなかったのだろう。そしてこれは先述した「黒い部分」とも合致する。
このように、ある程度複雑な思いを背景に「栄ばあちゃんの侘助支援事件」は起こったのだと思う。
そしてここでようやく最初の問題に戻れる。
「栄ばあちゃんがみんなに電話を掛けるシーン」は何故必要だったのだろうか?
あったかもしれない現在
最初の事件の時に栄ばあちゃんが電話をかけた人々は、多くの「力を持った人々」である。
それは「陣内家だから」得ることができた繋がりでありつつも、栄ばあちゃんだからことそ話を聞いてくれる人々でもある。そして何より、栄ばあちゃんが電話をかけた人々は
だったように思える。
つまりは、あのシーンを初めて見たときに違和感をおぼえた理由は「電話しなくても事件は解決したに違いないから」であるが、何度も繰り返し見ているうちに、あのシーンが「栄というひとりの人間が懸命に生きた日々の結果であるとともに、実力がありながらそこにいられなかった」という「陣内家の王様」が抱えている「家との戦いの歴史」を端的に表しているシーンに見えるようになり、今となっては名シーンとして自分の中に存在している。
こういう事を書いていると私がひどく「進歩主義かぶれ」な人間にように見えるかもしれないが、私は別に「家」を悪者とは思ってはいない。でもそれは、私が「男」だからかもしれない。
おまけ
主人公小磯健二みたいなやつはいるのか?
この記事の本編は「栄ばあちゃんと侘助の物語」であったが、主人公のことを忘れはいけない。
私は大学で数学系の学科を出たが、たしかに小磯健二みたいなやつはいた。
それは数学的な才能という意味でもそうだし、体格という意味でもそうだし、人間性という点においてもそうである。
私の中に具体的にあいつみたいなやつの記憶がある(残念ながらそれは私自身ではないが)。
彼は「数学好きのステレオタイプ」みたいなやつであるが、実際いることはいるので文句も言えない。
最初に「サマーウォーズ」を見た時には、小磯健二の「よろしくおねがいします」というラストのセリフがどういうことか分からなかったが、初めて栄ばあちゃんに謁見した時にいてなかった一言だったお気づいたときはなにやら嬉しかった。
日頃物静かなやつが、いざという時に頼りになるのも「数学系あるある」あるいは「理系あるある」かもしれない。優秀な奴は黙っていないからね。
男たちの戦争
作品中陣内家は「女系家族」あるいは「女性が強い家」という事になっているが、なんやかんや食事を作っているのは女性である。
これを見ると「結局女が家事をさせられている」と思うかもしれないが、おそらく状況はそんな単純なものではない。
「今日なに食べたい」という質問に男が「なんでもいい」と答えることが問題であるということに関しては随分長いこと言われてきた。
それはそうで「今日食べるものをお前が決めろ」という命令に対して「しりません」と言っていることを意味するので、そりゃ腹が立つだろう。
しかし、おそらく陣内家ではこんなことは決して起こらない。
その日何を食べるかを決められるのは女性でありその調理方法、味付けはすべて女性の権限である。
したがって、男は出されたものを食べるしかないし、「今日なに食べたい?」などと聞かれた日には、それまでの一週間の献立と、これまで出されたものを思い出し「~がいいな~」と言わなくてはならないだろう。もちろん「それよりだったらこっちでしょ」とあえなく撃沈することだろう。
何れにせよ「何でもいい」などと口が裂けても言えないに違いない。
結局の所、あの作品中で女性は「食事を作らされている」のではなく「食いたいものを自分で作っている」のである。
男は単にそのお零れに預かっているに過ぎない。落ちぶれたといえども陣内家の資産はまだあるだろうし、そういうくだらない意味においても男共は屈している。
そんな男たちは結局「対外戦争」にその鬱屈した思いをぶつけることとなる。
サマーウォーズで「ラブマシーン」と戦っているのが男しかいなかったのはこういう理由からではないかと思う。
結局は夏木先輩が花札で決着をつけるし、それは栄ばあちゃん仕込みであった。
なんとも「男不在」の物語である。別にそれで構わないけれど。
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