「秒速5センチメートル」は2007年に公開された新海誠監督による劇場用アニメーション作品である。「星のこえ」、「雲のむこう、約束の場所」に続く3作目の劇場用作品である。これまでの新海誠作品とは異なり、一切のSF要素がないということも本作の重要な特徴となっている。
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本編は「桜花抄」、「コスモナウト」、「秒速5センチメートル」の3つの短編からなっている。すべてが完全に独立した話ではなく、主人公遠野貴樹(とうのたかき)を中心とした物語となっている。「秒速5センチメートル」に関しては「大好きです!」という素直な感想を全く聞いたことがないのだが、一体どんな話だったのだろうか?
「秒速5センチメートル」のあらすじ(ネタバレあり)
簡単なポイントまとめ
「秒速5センチメートル」のあらすじのポイントを短くまとめると以下のようになるだろう:
- 物語の主人公は遠野貴樹(とうのたかき)。彼を中心とする「桜花抄(おうかしょう)」、「コスモナウト」、「秒速5センチメートル」という3つの短編からなる。
- 「桜花抄」は貴樹が中学生のころの話であり、小学生の頃に出会った篠原明里(しのはらあかり)との恋と別離の物語。
- 「コスモナウト」は鹿児島の学校に転校した貴樹に片思いをする澄田花苗(すみだかなえ)の主体で描かれる。花苗の思いは届くことはないが、その中でも花苗は人間的な成長を見せる。
- 「秒速5センチメートル」は就職した貴樹の物語であり、満たされない日々の中で会社をやめフリーランスとして独立するまでの心情が描かれる。
- 物語は極めて鬱々とした雰囲気に包まれている。
「秒速5センチメートル」は最後の最後(実は物語の最初なのだが)にいたるまで、基本的には「喪失」とか「手に入れられないもの」とか「現状への不満」など一般的には「ネガティブ」と言わるような状況が描かれている。
そのため「鬱アニメ」として分類されることも多いのだが、物語を構成する3つの短編はすべて飛躍のための準備期間が描かれており、そこだけで「鬱」と断じてしまうのもいかがなものかと思う。
もっとも重要な事実は、何か満たされない日々を送った遠野貴樹がそれでもなおフリーランスとして独立しているとう事実である。それはどう考えても同じような人生を歩んだ新海監督の姿の投影であり、なればこそ、同じような「満たされない日々」を送っている人々へのエールともっている。
新海監督は大学を1996年に大学卒業後、アルバイトをしていたゲーム会社「日本ファルコム」に入社するが2001年に退社。その1年後の2002年に「ほしのこえ」を発表している。
もしあなたが鬱々とした日々を送っているなら、それは大きな飛躍の準備なのかもしれない。そういったメッセージがこもっていると思えば、「秒速5センチメートル」に漂う陰鬱な雰囲気も感じ方が変わるかもしれない。
ということで、ここからは「秒速5センチメートル」のあらすじをもう少し詳しく見ていこう。
物語はうららかな春のある日に始まる。「秒速5センチメートル」とは桜の花びらが落ちる速さであるという女の子の言葉が響く。走り出すその子を追いかける男の子。踏切で彼は追いつくが、線路で2人は隔たれてしまっている。桜色の傘を広げる女の子は「来年も桜を一緒に見られればいいよね」とい言葉を少年にかける。傘を広げた女の子は桜の花そのものであった。
第一話「桜花抄」
物語の主人公は中学生の遠野貴樹(とうのたかき)。東京在住の彼は群馬に住んでいる文通相手の篠原明里(しのはらあかり)からの手紙を読む。2人は小学生の頃からの付き合いだが、彼女とは小学校の卒業式以来会ってはいなかった。東京から離れたその相手の文章は、東京への郷愁に満ちていたが、それは貴樹自身への郷愁だったのかもしれない。そして貴樹自身も、その文章の中に「忘れ得ぬ日々」を見出していた。
そんな貴樹も、鹿児島の学校へ転校することとなる。2人は最後の機会と思い、直接会う約束をする。約束の当日、部活をサボった貴樹は明里のもとへ急ぐ。だが、二人の運命を引き裂くように、苛烈な雪によって貴樹が乗る電車は運行を止めてしまう。
貴樹は電車を変えながら、なんとか明里のいる駅に辿り着こうと懸命に動くが、そんな折、突風によって明里に手渡すはずだった手紙が飛ばされてしまう
ここで手紙が飛ばされるシーンが何故入っているかが大事なのだが、結局の所「なにかを伝えられなかったのは、自分のせいではなく、外的ななにかのせい」というシーンになっている訳である。しかし我々は忘れはならない、そう思った主人公はまだ中学生なのだ。目の前にある破局を突風のせいにもしたかっただろう。実のところ未来の破局に彼も気づいているわけだ。
手紙を喪った貴樹はそれでもなお目的地に向かおうとする。スマホで連絡ができる時代ではなない。信じて進むしかなかったのだ。
結果的に貴樹は夜遅くに目的の駅にたどり着く。そしてそこには明里が待っていてくれた。
本編を見ると、貴樹が所望の駅にたどり着いたのは23:15くらいである。駅員さんがいるとはいえ、そこで待ち続けている女子中学生はもっと早い段階で返さなければならないだろう。駅員さんも物語展開を忖度したのだろうか?
夜の駅で貴樹と明里は明里が作った弁当を2人で食べる。すでに終電が過ぎ、帰ることのできない貴樹と明里は2人で駅をでる。しばらくすると、とうの昔に花びらを喪った桜の木の下にたどり着く。しかし、2人にとってその桜の木は満開の花びらに覆われているようだった。
そこで2人は口づけを交わす。それは忘れ得ぬ瞬間であると共に、2人の決定的な別れを確信させる瞬間でもあった。明里のぬくもりを直接肌で感じてしまった貴樹は、物理的な距離がそのぬくもりを遠ざけるという決定的な絶望をも感じたのである。まだ子供である彼にはなにもできない。
その後2人は桜の木の近くにあった納屋で一晩を過ごす。
これは流石に不可能だと思われる。雪が降る中木造の納屋で一晩過ごすなんてことは無理だろう。しかし2人は「納屋」で一晩過ごしたのである。あの瞬間必要だったのは、2人だけの世界であり、オンボロの納屋であっても外界から2人を隠してくれればそれで良かったわけである。早い話が、2人だけのラブホテルである。さて、あの夜一体何が会ったのだろうか?
翌朝2人は駅のホームで最後の別れをする。何やら不安中顔をする明里は「貴樹くんはきっとこの先も大丈夫だと思う、絶対!」という言葉をかける。相手へのエールを述べた明里とは裏腹に、貴樹が言えたことは「ありがとう、明里も元気で、手紙書くよ」だけであった。
去りゆく電車を見ながら、明里は貴樹に渡せなかった手紙を手に取る。彼女も貴樹に宛てた手紙を書いていたのだ。明里も貴樹同様、物語の終わりを感じ取っていたのである。
帰りの電車のなかで貴樹は「彼女を守れるだけの力がほしい」と強く願った。それと同時に、幼い日の物語は終わりを告げたのである。
第二話「コスモナウト」
物語の主人公は高校3年生の澄田花苗(すみだかなえ)。彼女には大切なものが2つあった。姉の影響で始めたサーフィンと、遠野貴樹という存在である。
彼女は毎朝早くにサーフィンに興じていた。しかしそれは、朝早く登校し、一人で弓道部の朝練をする貴樹に会うためのアリバイでもあったのだ。
花苗たちは進路志望を提出する時期に来ていたが、花苗は自分の進路を決めかねていた。そんな不安定な状況と呼応するように、花苗はサーフィンに乗ることができなくなっていた。
花苗は早朝の貴樹に会うためのアリバイを作るだけではなく、放課後の貴樹のこともいつも待っていた。自分の思いを告げよう告げようと必死だったのである。
物語本編では、ここで花苗の回想がはいる。花苗は中学校に転校してきた貴樹にほぼ一目惚れだったようだ。その後貴樹と同じ高校に行くために懸命に勉強したようだが、その受験勉強中に「エスタロンモカ」を大量に飲んでいる。効くのは分かるが、中学生が大量に飲んで良いものではない。効くのは分かるのだけれど。
うまいこと二人で下校する算段をつけた花苗。原付に乗って学校から帰る時間も、貴樹がいるだけで特別なものになっていた(原付き二人乗りではなく、ふたりとも自分の原付きに乗っている)。しかし貴樹本人は目を離すと携帯をとりだし、メールを気にしていた。花苗はそのメールの相手が気になりつつも、それを聞くことはできなかった。
そんなもやもやした日々の中で、花苗は進路を決められずにいた(学年で進路届けを出していないのは花苗だけという状況にあった)。さらにサーフィンの技術も取り戻せずにいた。すべてが中途半端な情況にある花苗は自分を責めていた。
そんなある日、いつものように貴樹と下校しようとした花苗だが、貴樹に会うことができなかった。諦めて原付きに乗り帰宅する花苗は、貴樹の原付きを発見する。その先の丘の上で貴樹は、携帯を見つめ誰かとメールをしているようだった。その相手を気にしつつも、花苗は貴樹に進路の話をする。進路について迷いがあるということを告げると、意外なことに貴樹も悩んでばかりだということを聞かされる。その言葉に花苗は少し楽になった。
この瞬間まで物語のモノローグは花苗のものだったが、ここで突然貴樹のモノローグになる。貴樹は鹿児島の学校に転校したのだが、彼が通っている高校の近くにJAXAの施設がある。貴樹はその宇宙開発に深い興味を持っている。そしてその宇宙開発の持つ「果てのなさ」と、自分の人生を重ねているのだ。もしかしたら、貴樹の親は宇宙開発関連の仕事をしているのかもしれない。そしてここから主人公の座は貴樹に戻ることとなる。
花苗が気にしていた貴樹のメールは実のところ宛のないメールであった。貴樹は宛先のないメールを夜な夜な書いていたのだ。しかしそれはメールというよりは「物語」であった。貴樹は自分の中にある思いを小説としてしたためていたのだ、送る宛のないメールとして。
花苗がそうであったように貴樹の中にも鬱屈とした思いがあった。しかし、そういった思いを最初に振り切ったのは花苗であった。「迷う」という事実を合理化できた花苗は、自由を取り戻し、サーフィンの技術も取り戻した。
花苗が自分を取り戻す一方で貴樹は自分の殻に閉じこもり成長できずにいた。一人成長を遂げた花苗は貴樹に告白しようと決意するが、これまでと一向に変わらない貴樹の優しい態度に、花苗は涙を流す。彼女は気づいてしまったのだ。貴樹が停滞していること、自分の思いは届かないこと、そしてなにより、貴樹を追い越してしまったという事実に。
そんな2人の別離を祝福するようにロケットが空を裂く。2人は全く別の人生を歩むことになるのである。
花苗は「遠野くん(貴樹)は始めから自分のことなど見ていなかったのだ」という結論にたどり着く、しかしそれは、自らの目の前にいる人物の意味合いが変わってしまったことの別表現であったのだろう。彼女にとって貴樹は、過去の存在になっていた。それでもなお彼女は、貴樹との最後の別れのセレモニーの様に、布団の中で涙に暮れていた。いつまでも自分は彼のことを好きでいられるはずだと言い聞かせながら。
第三話「秒速5センチメートル」
桜の花が舞い散る春の日に、遠野貴樹は自宅で仕事をしていた。外から吹き込む風に誘われるように貴樹は散歩に出かける。散歩の途中踏切でとある女性とすれ違う。貴樹は「あの人である」と直感し振り返り女性の姿を確認しようとするが、電車に遮られてそれが叶うことはなかった。それと同時に貴樹に過去の記憶が蘇る。
東京で就職した貴樹は、満たされない日々を送っていた。会社の論理の中で懸命に働いてきた貴樹であったが、そんな日々に苦痛を感じていた。それと同期するように交際相手の女性との関係も悪化し、貴樹は泥沼の中にいた。
貴樹が泥沼の中にいる一方で、篠原明里は結婚の準備に忙しい日々を送っていた。たまたま実家に帰省していた明里は、ふと昔のことを思い出す。貴樹に渡すことのできなかった手紙を見つけた明里は、彼の夢を見たのだ。
結局貴樹は交際相手からメールで別れを告げられる。
交際相手からのメールには「私達は1000回もメールをしたけれど、心は1センチくらしか近づけなかった」と記されている。なんとも文学的な表現で、私はここでいつも少し笑ってしまう。この跡に続く貴樹のモノローグもなんとも文学的で「そんなモノローグを綴れるならお前大丈夫だよ」とツッコミを入れたくなる。
貴樹は就職してからの4年間に思いを馳せる。ただ前に進みたいという漠然とした思いに脅迫されるような日々を送っていたが、結局はただ「日々を過ごすだけ」という停滞の生活を送る羽目になっていた。そして「前に進みたい」という思いが自分の中から消えてしまっていることに気づいた貴樹は、会社を辞める決断をする。そして貴樹も、明里の夢を見た。
明里は結婚、貴樹は退職という形でお互いに新たな一歩を踏み出した。季節は雪の降る寒い冬から、うららかな春へと変わっていた。
貴樹は散歩の途中の踏切で明里と思しき女性とすれ違う。振り返る貴樹だが、電車に遮られてその姿を確認することができない。電車が通り過ぎた後には、その女性の姿はなかった。
貴樹は少し寂しい気持ちに包まれるが、新しい日々に向かって力強い一歩を踏み出した。
以上が「秒速5センチメートル」のあらすじである。あらすじと言っても少々独自の解釈が入ってしまっているようにも思われるので、本編を見ると矛盾を感じるかもしれないが、そんなもんです。
続いては、私が個人的に考える作品を見るポイントについて。
「秒速5センチメートル」の考察ポイント
さて、ここからは「秒速5センチメートル」を楽しむためのポイントについて述べようと思う。主なポイントは2つ「第三話の冒頭シーン」と「秒速5センチメートル」という速度の謎である。
大事な第三話の冒頭シーン
あらずじには書けなかったのだが、本編のラスト(第三話のラスト)では「秒速5センチメートル」というタイトルと共に山崎まさよしの「ONE MORE TIME,ONE MORE CHANCE」が流れる、
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歌の歌詞の中に「いつでも捜しているよ、どっかに君の姿を・・・」という歌詞が流れるものだから、主人公遠野貴樹が篠原明里をいい年こいて追い求めているように見える。さらに、そんなぐちゃぐちゃな状態にある貴樹とはうって変わり、明里はどこぞの誰かとの結婚準備を着々と進めているものだから、どうもこの作品を鬱々とした気持ちで見てしまうようだ。しかしこの作品はそんな気持ちで見なくても良い。
この作品を見るポイントは第3話の冒頭シーンである。
本編のラストで鬱々とするのは分かるのだが、実のところ第3話の冒頭シーンはラストのその先を描いている。あの春の日は、主人公遠野貴樹の最も直近の姿であり、踏切で女性とすれ違った時に「あの日々」を思い出したのだ。あのうららかな冒頭シーンを忘れることなく視聴すると、「秒速5センチメートル」は決して鬱々とした作品でないことが分かるだろう。
「秒速5センチメートル」とはなんの速さか?
そしてもう一つのポイントは「秒速5センチメートル」とはなんの速さなのか?ということである。もちろん「桜の花びらが落ちる速度」なのだが、それだけではない。「秒速5センチメートル」は作品全体のタイトルにもなっているが、最後の短編のタイトルにもなっている。
つまり、「秒速5センチメートル」という速さは最後の話の中に隠れていることになる。さて、一体何が「秒速5センチメートル」なのだろうか。
以上のポイントについて以下の記事で深堀りしている。
ぜひとも本編を見て、答え合わせをしていただければと思う。
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