「コクリコ坂から」は2011年に公開された宮崎吾朗監督による劇場用アニメーション作品。キャチコピーは「上を向いて歩こう。」であった。脚本を父親である宮崎駿監督が努めており、初の「宮崎親子合作作品」となっている。
公開当時は特段の期待もなくぼんやり見に行ったような気がするが、「いいもん見たな」という感想で映画館を出ることが出来たことを覚えている。
今回はそんな「コクリコ坂から」のあらすじと見どころポイントについて書こうと思う。ただ、あらすじと言っても全部話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください。
「コクリコ坂から」のあらすじ(ネタバレあり)
簡単なポイントまとめ
「コクリコ坂から」のあらすじのポイントを短くまとめると以下のようになるだろう:
- 物語の主人公は松崎海(まつざきうみ)。高校2年生で下宿している「コクリコ荘」で家事もこなしている。
- 海は父をすでになくしており、母はアメリカに留学している。
- 高校では文化棟「カルチェラタン」の解体反対運動が起こっており、その中で海は風間俊(かざましゅん)という男子生徒と出会う。
- 俊は現在の両親と血がつながっておらず、親からは軍隊時代からの仲間であった澤村という人物の子供であると聞かされていた。
- しかし澤村は海の実の父であり、すでに惹かれ合っていた海と俊は過酷な事実を突きつけられることとなる。
- 一時はその思いにふたをすることを決めた2人だったが、澤村の軍隊時代の盟友であった小野寺なる人物から、俊が実は立花という人物の子供であることが告げられ、物語は終わる。
基本的には少年と少女の過酷な恋の物語ということになるのだが、その2人の命が戦争という過酷な状況下で懸命に生きた人々によって繋がれてきたという事実、そしてそんな人々の思いに応えるように立派に育った海と俊の姿に胸を打たれる。
また、「コクリコ坂から」という作品は監督宮崎吾朗、脚本宮崎駿という親子共作となっている。この作品を通じて自らの息子に何かを繋ごうという思いが宮崎駿の中にあったかもしれない。それは「コクリコ坂から」の中で懸命に命を繋いだ人々の思いに重なるものだろう。
ということで、ここからは「コクリコ坂から」のあらすじをもう少し詳しく見ていこう。
2人の出会い
物語の主人公は高校2年生の松崎海(まつざきうみ)。彼女は「コクリコ荘」に下宿していた。その朝も海はてきぱきと朝食の準備を始めていた。個性豊かなコクリコ荘の住人との朝食を終えると、今日も笑顔で海は学校に向かうのだった。
一方その頃、運命の若者が船に乗って登校していた。
海の通う港南学園高等学校はいつもと変わらない日常の中にいたのだが、昼休みに事件が起こった。一人の男子学生が「カルチェラタン解体」の反対運動と称して、校舎の屋根から小さな貯水槽にダイビングを試みた。
その様子を近くで目撃した海は、無事に着水した男子学生のもとに歩み寄る。
男子生徒は事なきを得たが、海がその男子生徒に手を貸す姿は何やら「カルチェラタン闘争」の象徴のようだった。
「カルチェラタン」とは様々な部室が集まる建物であるが、その老朽化が進み、学校側はその取り壊しを画策していた。カルチェラタンに部室を持つ生徒たちは、それに反対していたのだった。
放課後、海は妹と共にそんな「カルチェラタン」を訪れる。昼食時の事件に痛く感動した海の妹が、件の男子生徒に「サイン」を貰いに来たのだった。勇猛果敢な行動を示した男子生徒は新聞部だった。
彼の名前は風間俊(かざましゅん)。ちょうど次号のガリ版(ロウ原紙)を作っているところだったが、昼間の一件で怪我をしていた俊は少々手こずっていた。
妹は俊からサインを貰うと同じ新聞部の水沼史郎(みずにぬましろう)に連れられてカルチェラタンを案内されたが、海は俊の手伝いをすることにした。
飲み込みの早い海はその仕事をそつなくこなし、作業を終えて家路についた。
コクリコ荘に戻った海はさっそく夕食の準備を始めたが、材料が足りないことに気がつく。急いで買い出しに出た海の前に帰宅途中の俊が偶然にも現れた。帰宅の方向が同じということで、俊は海を乗せてくれることになった。
買い出しを終えた海は、俊が買ったコロッケを分けてもらった。船に乗って帰る俊にとっては、その若い空腹を紛らわしてくれる大事なコロッケだった。
大変ながらも変わらない日々を過ごしていた海と俊にとって、その日はなにやら特別な一日となったようだった。
過酷な現実
女所帯のコクリコ荘で「男共」をよぶ食事会が計画される。新聞部の面々もそこに呼ばれていたが、その会は「カルチェラタン」を含む理事会に対する反抗会でもあった。俊と水沼にとっては、カルチェラタン存続のためになにをすべきかを知る常用な会でもあった。
盛況な会の最中、海は俊に今はなき父親の写真を見せた。それは海軍時代の友人3人と撮った写真だった。海はその写真が一番好きだと俊に見せたのだが、海の父の名「澤村雄一郎(さわむらゆういちろう)」に俊は衝撃を受ける。
会が終わり、帰宅した俊は海が持っていたものと同じ写真を眺めていた。その写真には俊の父「風間明雄(かざまあきお)」も写っていた。風間雄一郎と俊の父は親友であったのだ。
しかし、風間明雄は俊の血縁上の父ではなかった。俊はある夜、澤村雄一郎が明雄の家に連れてきた乳飲み子だった。子宝に恵まれなかった風間の妻は、一も二もなくその子を抱き抱え、我が子として育てることを心に決めたのだった。
俊の両親はその事実を隠しておらず、本当の父は澤村雄一郎であるという事実を俊も知っていた。心を惹かれ始めた一人の女性が、実は自分の兄妹であったという事実を、俊は一人受け止めるのだった
翌日からカルチェラタン解体阻止の狼煙が上がる。手始めとしてカルチェラタンの「大掃除」が始まる。カルチェラタン解体阻止のために生徒が取れる方策は2つ。老朽化しながらもそこは美しく文化をつないでいる場所であることを証明すること。そしてそれを理事長にアピールすること。
まずはカルチェラタンの大掃除である。海もそれに参加したが、どうも俊は自分を避けていた。
海自身も俊に心を惹かれており、そんな俊の態度には納得がいかなかった。それはもしかしたら「好意」の裏表だったかもしれなかったのだが、不満を伝える海に、俊は海に事実を伝えてしまう。
その刹那、お互いの思いは結実してはならないものであることを知ってしまった海は困惑する。それと同時に、その現実を前にどうしようもすることの出来ない2人は「これまで通り」の関係を続けるしかなかった。とても中の良い友人として。
エスケープ
カルチェラタンの大掃除が架橋を迎えるなか、海と俊そして水沼の3人で理事長にカルチェラタン存続の直談判に向かっていた。3人はアポなど取っていなかったが、根気よく待った3人に理事長が僅かな時間を割いてくれた。
3人の説得の末、理事長は大掃除を終えたカルチェラタンの現状を視察することを約束してくれた。海たちの想像とは違い、理事長は非常に気の良い人物であった。
帰り道、何やら気を利かせた水沼は、海と俊とは別の道で帰っていった。
2人での帰り道、海と俊は将来の事などいろんな話をした。その時間はとても大事な時間だったが、別れの時間が訪れる。
俊からお互い血がつながっているという事実を知らされた海だったが「それでも俊のことが好き」とその思いを告げる。その言葉に「俺も海が好きだ」と俊は応え、2人は別れた。
海が帰宅すると、そこには見覚えのある靴があった。留学先のアメリカから母が一時的に帰ってきていたのだ。家族ともどもその帰宅を喜んだが、海は母に聞かなくてはならないことがあった。
海は消化しきれない胸の内を矢継ぎ早に母に告げた。
そんな海に母は優しく昔の話を始めた。海がまだお腹の中にいたころ、海の父である澤村雄一郎は突然赤子を抱えて帰って来た。その子は雄一郎の盟友「立花洋(たちばなひろし)」の子供だった。立花は子供を残し海難事故で亡くなり、俊の母も出産と同時になくなってしまっていた。原爆の被害を受けた親族を頼ることもできない俊、を雄一郎は引取り、自分の子供として出生届を出したのだった(いい男!)。
その話を聞いてもなお、海の中には「血の繋がり」という疑念が残った。そんな海は「その少年が父の子供だったら?」と母に尋ねてしまう。
そんな海には母「会ってみたいわ、あの写真に似てる?」と応えた(お見事!)。その言葉に海は涙を流す。自分のいない間に海の身に起こったことを悟った母は、海をそっと抱きしめた。海も母の胸の中で、ようやく泣くことが出来た。
翌日、何やらスッキリした様子で登校した海には重要な事案が存在していた。理事長がカルチェラタンを訪問するのである。
総力戦での掃除を成し遂げたカルチェラタンは、古いながらも美しい姿を取り戻しており、理事長を説得するには充分な説得力があった。
徳丸理事長は、カルチェラタンの住人たる生徒と話をしながら生まれ変わったその建物を視察していた。そんな折、俊に電話が入った。
電話の相手は俊の父。海の様子を見た母が、俊の父に連絡をとり、ことの真相について尋ねていた。俊の父も2人の間に起こっていることの重大さをしり、海と俊がもっていた写真に写るもうひとりの人物「小野寺」が港に来ていることを俊に連絡したのだった。彼なら事の真相をしっているかもしれない。しかし小野寺が船長を務める船の出港が迫っていた。
そんなとき、徳丸理事長はカルチェラタンの状況を鑑み、その存続を約束してくれた。それはもしかしたら海たち3人と会ったときに決めていたのかもしれない。
その刹那、俊が海をカルチェラタンから連れ出す。
突然のことに騒然となるカルチェラタンだが、水沼が「2人に人生上の重大事が発生しました」と告げると「エスケープか!」と理事長は笑ってその青春の息吹を肯定してくれた(あっぱれ!)。
海と俊は懸命に港に向かう。
すんでの所で2人は「小野寺」なる人物に合うことに成功する。そして、俊が本当に「立花」の息子であることが告げられる。
小野寺は、もし自分が澤村と同じ立場なら同じことをしたであろうと述べ、2人の子供に会えたことを涙ぐみながら喜んだ。
事の真相を知った2人には新たな未来が待っている。大きな混乱の最中、それでもなお繋がれた命はどんな日々を過ごすだろうか。幸多からんことを祈るばかりである。
以上が「コクリコ坂から」のあらすじである。いや~、どうもこの作品を見るときには酒を飲んでることが多くて、最後は泣いてしまうのだが、皆さんはどうなのだろうか?くだらないと主人もいるだろうが、私はこの作品が好きである。
続いては、「コクリコ坂から」の個人的見どころポイントについて。
「コクリコ坂から」の面白さ
本編より面白いドキュメンタリー「ふたり」
「コクリコ坂から」にはNHKによる制作ドキュメンタリーが存在している。それは「ふたり/コクリコ坂・父と子の300日戦争(PR)」という「宮崎吾朗と宮崎駿の対立」を軸に描かれたものなのだが、これがめちゃくちゃ面白い。
ドキュメンタリー冒頭から「絵コンテを絶対に父に見せない宮崎吾朗」と「どうしても作品の進行が気になってしょうがない宮崎駿」の姿が描かれ、その絶妙な距離感にはらはらするやらニヤけるやらで、前編が見どころになっている。
ただ、このドキュメンタリーの素晴らしさは、見終わったあとに少しだけ宮崎吾朗監督のことが好きになるという点である。懸命に絵コンテを完成さえようとする宮崎吾朗監督の姿と、それでもなお何かを伝えようとする宮崎駿監督の姿は「コクリコ坂から」で描かれたものにとても親しいものに感じる。
そんな感じでドキュメンタリーの感想を絡めながら「コクリコ坂から」を再考したものが以下の記事になる。
本編は本編としてとても好きなのだが、ぜひ一度ドキュメンタリーを見ることをおすすめする。
なぜカルチェラタンを掃除するのか?
「コクリコ坂から」の本編中、我々の心を掴んで離さないのが「カルチェラタン」であろう。あんなところで部活(サークル)活動が出来たらどれほど素晴らしい青春であっただろうか。
作品中では建て替えを阻止するためにみんなで一生懸命掃除をしたのだが、あれは一体どういうことだったのだろうか?そもそもあの作品になぜカルチェラタンが登場したのだろう。カルチェラタンは原作には登場しない対象である。そしてそれが掃除されるということはどういう意味をもっていたのか?そのことについて個人的に考えたことが以下の記事の一部にまとめている。
伏線を回収しそこねるという伏線回収
「コクリコ坂から」という物語にはいくつか感動ポイントが存在していると思うが、そのひとつが物語のラストで旗を揚げる海の姿があるだろう。
海にとって「旗を揚げる」とはこの世を去った父を思うことであり、ある意味で過去に引きずられた行為である。そんな海の姿をみた祖母は
「素敵な人ができて、あなたが旗を上げなくてすむようになったらいいのにねえ。」
という言葉をかけていた。この台詞を聞いた我々が通常思うことは「はいはい、海にいい人ができて旗を挙げなくなるのね。」だろう。しかし、海は結局旗を揚げることをやめなかったし、わざわざそのシーンで「コクリコ坂から」は締めくくられている。
ここで大事なことは、たしかに海の表面的な行動は変わっていないがその内面の真実に変化があるという点である。
つまり、物語のスタート時点での海は父、つまり過去に引きずられる事によって旗を揚げているが、物語のラストではその旗は俊という今この瞬間のためにも挙げられている。
結果的に祖母の言葉は回収されずに終わるわけだが、今を生きる海の姿に我々は心打たれるのである。
何故舞台は神奈川なのか?
映画「コクリコ坂から」の舞台は神奈川(横浜)である。原作はその舞台をぼやかした状態にあったが脚本を書いた宮崎駿は明確にその舞台を神奈川に確定している。
これは一体何故なのか?
もちろん様々な理由が考えられると思われるが、一つの理由は徳間康快(とくまやすよし)の存在であると思われる。
徳間康快は徳間書店初代社長であり、スタジオジブリ設立に大きく関わる人物である。その人物が2000年に亡くなっている。
徳間康快という人物はなかなかの辣腕であり、様々な逸話を残す人物であるが、1980年代に母校の逗子開成中学校・高等学校の理事長に就任している。「コクリコ坂から」に登場する理事長徳丸は、どう考えても徳間康快をイメージしたものだろう。以下のツイートにあるように実際にモデルとなっている。
#徳丸財団 の実業家・ #徳丸理事長 にはモデルがいます。それが、#徳間書店 を創業し、#スタジオジブリ の初代社長でもあった #徳間康快 さん。声を担当した #香川照之🗣さんは徳間社長の追悼映像🎞を見て徳丸理事長のしゃべり方を研究したそうです🧐#金曜ロードSHOW#コクリコ坂から pic.twitter.com/l5XDJb7eN8
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) August 21, 2020
海、俊、水沼が目にした徳丸理事長の姿は、宮崎駿が見た徳間康快そのものだったのかもしれない(監督は宮崎吾朗だが、シナリオを担当したのは宮崎駿である)。そして、「コクリコ坂から」はそんな徳間康快への「鎮魂歌」であったのかもしれない。そんなことも、舞台を神奈川にした理由だったのだろうと個人的には思っている(逗子ではないのは「露骨さ」を回避するためだろう)。
その真実はどうであれ、なんというか、徳丸理事長みたいな「大人」になりたいよね。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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