「となりのトトロ」は1988年に公開された宮崎駿監督による劇場用アニメーション作品である。
今回は「となりのトトロ」の登場人物の一人カンタについて考えていこうと思う。サツキのクラスメイトであり、どう考えてもサツキに惚れているのだが、そんな彼の思いは届いたのだろうか?
おそらく彼の命運を握っているのは不自然に現れた農業用トラックに乗ったアベックである。失踪したメイを探すサツキの前に現れた二人だが、なぜあの二人だったのだろうか。別に他の人でも良かったはずだ。でも、あの二人だったのである。
なぜサツキの前に現れたのは恋人同士の二人だったのだろうか?
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「となりのトトロ」でのカンタの描写
今回の話は「カンタはサツキに惚れている」ということが前提になる。もちろんなんとなくそんな気もするのだが、一応具体的な描写を振り返ってみよう。
サツキをじっと見つめるカンタ
カンタがサツキを最初に確認したのは、冒頭でサツキのお父さんが田んぼ仕事をしている人に挨拶をするシーンである。
あそこでカンタはサツキをじっと見つめている。彼の一目惚れシーンだね。
もちろんカンタ本人が自分の中にあるサツキに対する恋慕の思いに自覚的かどうかは微妙な問題だが、客観的に見れば、カンタは一撃でやられてしまったのである。
お化け屋敷発言
カンタといえば、母親からのお使いにサツキ達の家を訪れた際の「おまえんち、おっばけや~しき~」という発言だろう。
いわゆる「好きな子にいじわるしちゃう」というやつなのだが、彼自身も何故あんなことを言ってしまったのかわかっていなかったかもしれない。
実際、この発言のあとに再びサツキと接触するシーンで彼はまったくもって寡黙だった。彼の心はサツキに翻弄されているのである。
つかえない傘を貸すカンタ
カンタのおばあちゃんと一緒にいるはずだったメイが学校に来てしまった日、帰宅中のサツキとメイは雨に降られてしまった。
そこに現れたのが「メンタルイケメン」カンタ少年だった。
彼は「ん!ん!」と寡黙に傘を貸すと(押し付けると)、いいことをしたという満足感の中で家に走った。ただ、そういういいことをしたと自分の母親に言うのが恥ずかしかった彼は「雨の日なのに傘を忘れた」という厳しい嘘をついていた。
穴だらけの傘を貸すというのはある意味ありがた迷惑にも思えるのだが、あの日のサツキにとっては大きな出来事だったと考えられる。
家にいるときにはメイの世話から様々な家事までをこなすことを強いられているサツキにとって、学校の時間というのは「子供」でいられる貴重な時間であったはず。そんな時間にメイが押し寄せてきしまったのだから、サツキにとってはしんどい日になったと思われる。
そんな日の終りに、穴だらけであっても傘を貸してくれるという「自分が誰かに何かをしてもらえる」という経験をしたことは、わずかでもサツキの心を救ったかもしれない。
カンタはなすべきときになすべきことをした。いい仕事だったよ、カンタ。サツキの背中を見つめるカンタ
さて、そんないい仕事をしたカンタのサツキに関する最後の描写ポイントは、サツキが七国山病院からの電報を受け取ったあとに必死に父親に電話をかけているシーンである。
彼はサツキから一定の距離をとってじっとサツキを見つめている。
基本的にはサツキを心配しているのだろうが、彼の見つめる先にいるサツキが着ている服はチューブ状で、彼女の背中の上部が見えている。
あの瞬間の彼の中には「そんな感情」も混ざっていたに違いないのだ。不謹慎という考え方も出来るが、人間なんてそんなもんである。
ただ、何よりも切ないのは無力に立ち尽くすカンタとサツキの距離である。あの距離はカンタがどうしても縮めたい心の距離であり、まだ彼にはほぼ無限と思える距離である。
何としてもその距離を縮めてほしいと思ってしまうが、この記事の結論は「彼はその距離を縮めることができない」というなんとも悲しい結末である。
ここからはなぜそのような結論になってしまうかを考えていこうと思う。
カンタの悲しき運命
農業用トラックのアベック
まずは、サツキの前に現れた農業用トラックのアベックについて考えよう。
物語の進行を考えるなら、別にあそこに現れるのはあの二人である必要はない。どこぞのおばさんでもいいし、おじさんでもいい。直前におじさんが出てきたのでそれ以外がいいと言うなら、農業用トラックに乗った青年で十分である。恋人同士である必要などない。
したがって、物語の進行以外に理由が必要となるが、それは「カンタとの対比」だろう。
あの二人に出会った直後、サツキはカンタに再会する。しかしその姿は非情に情けないもので、大人用の自転車を超絶技巧で漕いでいた。必死で立派な姿である一方、直前にサツキが出会った男に比べてあまりにも情けない様子である。
なんとも無慈悲な対比となっているが、結局のところ「まだまだ未熟なカンタの思いは結実しない」という彼の未来を暗示しているように見える。
実際、エンドロールの背景を見ると、カンタはサツキの「友達」になってしまっている。おそらく彼の未来は「耳をすませば」の杉村と同じものになるだろう。カンタにはずっと僅かな恋心があるが、その思いはサツキには全く届かない。
まあ、これだけだとこじつけっぽくて、わざわざ悲しい未来を創作しているように思われるだろうが、もう少しだけ根拠がある。結局こじつけではあるのだけれど。
宮崎監督の初恋
宮崎監督の盟友にしてジブリの黒幕である鈴木敏夫さんが、宮崎監督と新スタジオ(現在小金井にあるスタジオ)を設立のために色々歩き回っていたときの出来事を語っている(参照「スタジオジブリの場所は、宮崎駿初恋の人の家の近くだった…鈴木Pが明かすマル秘エピソード」)。
小金井には監督の初恋の女性の家があり、監督はその事実ばかりではなく、その恋が成就しなかったことを鈴木さんに語った。そこまでなら小さな笑い話だったかもしれないのだが、宮崎監督は当時の思いにひたりトボトボと武蔵境駅まで歩いて行ったそうな。
別に監督がその事実を未だに引きずっているということではなく、そういうことをありありと思い出すことが出来るということなのだろう。
そんな監督がカンタを描くとき、実現してほしかった夢を描くか、どうしようもなかった現実をのせるのか、皆さんはどちらだと思うだろうか。
先程も述べたように「不自然な農業用トラックの二人」の存在によって、どうしても悲観してしまうのです。でも、皆そんなもんでしたよね。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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まじで意味分かんない
おっさんの妄想につきあわせてしまってごめんなさい。
すばらしい考察です。
もうすぐ50になるもっとおじさんの私ですが、カップルの違和感は感じていながら、記事を読み「確かに」と新たな発見を感じました。
私も30過ぎてからトトロを改めて見た時に無性にカンタを懐かしく感じる甘酸っぱいモノを感じました。
映画が公開された時は私はまさにカンタくらいの年齢で、くだんのさつきの電話のシーンは、少年ながらにさつきの背中、脇に肩に二の腕と映画を見ながらも意識はそこに注がれました。
大人になって見返した時にカンタが見つめているものが当時の私と同じで、今ではサツキよりもカンタに目が釘付けになります。
宮崎監督の「大人にはわかる、わかる人にはわかる」描き方は、このような考察を見ながら改めて見ると、懐かしさと背徳感と、光と影を感じることができて楽しいですね。
「すばらしい考察です。」といって頂けてありがたく思います。大変励みになりました。
にしても、読む人によってずいぶんと感想が変わるものですね。