「沈黙のパレード」は2022年に公開された、監督 西谷弘、原作 東野圭吾による劇場作品であり、「容疑者Xの献身」、「真夏の方程式」に続く映画版「ガリレオシリーズ」の1作品となっている。
個人的には「容疑者Xの献身」や「真夏の方程式」がとても好きな作品だったので、映画館で見ようと思っていたのだが、タイミングが合わず結局配信で見ることになった。
基本的な感想としては「『容疑者Xの献身』や『真夏の方程式』を期待すると裏切られるが、テレビドラマ版の『ガリレオ』の映画化と思えば十分面白い。」というものだった(なんとも上から目線だが)。
どうにも冷めた感想を持ってしまったのだが、「沈黙のパレード」にも考えるべき「問」があると思われる。それは「沈黙のパレード」だけでなく、多くの作品で描かれてきた「問」であった。つまり「復讐を禁じられた世界で我々はどのように生きるべきか?」という「問」である。
今回は「沈黙のパレード」のあらすじを振り返りながらこの「問」について考えていこうと思う。みなさんならこの「問」にどのように答えるだろうか?
*以下「あらすじ」と言っても全部話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください。
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「沈黙のパレード」のあらすじ(ネタバレあり)
簡単なポイントまとめ
「沈黙のパレード」のあらすじのポイントを短くまとめると以下のようになるだろう:
- 話の発端は放火された家から発見された白骨化した遺体。その遺体は3年前に行方不明になっていた並木沙織(当時19歳)のものであった。
- 並木沙織殺害の容疑者となった蓮沼寛一は、15年前に発生した少女誘拐殺人事件の被疑者であったが、警察の取り調べと裁判で完全な黙秘を続け「無罪」を勝ち取っていた。
- 並木沙織殺害の容疑で逮捕されたものの、再びの黙秘を続け釈放されてしまう。
- 釈放から2ヶ月後、並木沙織の故郷である東京都菊野市で蓮沼の遺体が発見される。
- 蓮沼の死に関与したのは以下の8人:
- 沙織の父 裕太郎
- 沙織の母 真智子
- 裕太郎の親友 戸島修作
- 沙織の恋人 高垣智也
- 音楽家であり沙織の師匠 新倉直紀
- 直紀の妻 新倉留美
- 蓮沼の昔の同僚 増村栄治
- 沙織を古くから知る 宮沢麻耶
- 初期の計画は蓮沼を脅して沙織殺害を自供させることだった。
- 新倉はその計画を利用し蓮沼を殺害する。
- 新倉の動機は「妻を守ること」。新倉の妻 留美は3年前に並木沙織を殺害したと思いこんでいたが、今回の計画が成功してしまうとその事実が露見してしまうため、直紀は蓮村殺害を実行した。
- 真実を完璧に隠蔽するために新倉直紀は警察に出頭するが、あくまで「事故」であったことを強調し「傷害致死」で起訴される。
- しかし、実際に沙織を殺害したのは蓮村であり、湯川学はその事実を見事に発見する。
- 妻が並木沙織を殺害していないことを知った直紀は真実を告白。結果的に「殺人」で起訴されることとなった。
物語に通底するテーマは「死んだほうがいい人間を殺す罪」と「復讐を禁止された世界で人はどのように生きるべきか」という問である。
ここからはもう少し細かく「沈黙のパレード」の物語を振り返っていこう。
蘇る死
令和4年6月2日、静岡県牧之原市内の住宅で放火と見られる火災が発生。焼け跡から2体の白骨化した遺体が発見された。一人は居住者である蓮沼芳恵、もうひとりは行方不明になっていた並木沙織(なみきさおり、当時19歳)であることが判明する。3年間その無事を祈っていた家族は受け入れがたい現実に直面することとなった。
並木沙織の頭蓋骨には陥没痕があり、死因は鈍器による殴打であると推定された。
また、蓮沼芳恵の息子である蓮沼寛一が並木沙織の失踪時、彼女の暮らしていた東京都菊野市に住んでいたことが判明。蓮沼寛一は15年前に発生した少女誘拐殺人事件の容疑者であった。
殺人の容疑で逮捕、起訴された蓮沼寛一だったが、取り調べ、裁判を通じて完全黙秘を貫き、結果的に無罪を確定させていた過去がある。
蓮沼寛一の所在をつかみ自宅を捜索した警察は並木沙織の血痕がついた作業着を発見、その場で逮捕に踏み切った。蓮沼の事情聴取を担当したのは15年前の事件を担当した草薙俊平(くさなぎしゅんぺい)であった。
明確な物証を突きつける草薙であったが、蓮沼は再び完全な沈黙を貫き釈放された。
忸怩たる思いの草薙は、その事実を遺族に伝える。遺族は再び絶望の淵に立たされる事となった。
その状況を打破すべく、草薙は蓮沼の捜査を続ける。その裏で、部下である内海薫(うつみかおる)は、物理学者の湯川学(ゆかわまなぶ)に捜査協力を要請するために連絡を取るのだった。
湯川学登場
協力を要請した湯川学は偶然にも菊野市にいた。彼は超電導の研究で近くの研究施設を訪れていたのだ。そこで内海は:
- 蓮沼は菊野市にいた頃、並木家が営む居酒屋でトラブルを起こしていたこと、
- その直後に沙織が疾走したこと、
- 3年経った今、蓮沼の実家で遺体が発見されたこと、
- 証拠品に基づいて逮捕されたものの釈放されてしまったこと、
- 再び菊野市に戻り昔の同僚のボロ屋に転がり込んでいること、
を説明する。しかし、「物理学者である自分に協力できることはない」と協力を断られてしまった。
布石
一ヶ月後のある夜。湯川は行きつけの居酒屋「なみきや」で夕食を取っていた。
常連客でごった返す活気のある店であったが、そこに蓮沼寛一が現れる。「なみきや」は並木沙織の親が経営する居酒屋であった。
「食事をしに来ただけ」と嘯く寛一。怒りのあまり包丁まで持ち出してしまった沙織の父 裕太郎。
一方的に自分を「犯人」と決めつける店中の人間に対し「名誉毀損」と訴え「次は金の話だな」とつぶやき寛一は店を去った。
蓮沼の死
蓮沼寛一が「なみきや」を訪れてから約2週間後、菊野市は街を挙げての催し物である「キクノストーリーパレード」で賑わっていた。
蓮沼寛一が「なみきや」をいつ訪れたかは名言されていないが、並木沙織の遺体が発見されたのが6月2日か3日(火災発生は6月2日)、それを「23日前」と内海が湯川に伝えているので2人があったのは6月25日か26日。その一ヶ月後に蓮沼は「なみきや」を訪れているので7月25日か26日。少なくとも7月の終わりとなる。「キクノストーリーパレード」が8月7日なので、おおよそ2週間後と推定される。
湯川も「なみきや」の娘(沙織の妹)の並木夏美(なみきなつみ)の案内でパレードを楽しんでいたが、店の常連の一人である新倉留美(にいくらるみ)と偶然出くわすと同時に「店でお客さんが倒れた」という連絡を受け、夏美は店に戻ることになった。
その後も催し物を楽しんだ湯川だったが、その夕方、蓮沼寛一の遺体が発見された。発見場所は蓮沼が居候していた昔の同僚宅。釈放から2ヶ月近くが経過し、警察が監視を中止した直後のことであった。
湯川立つ
警察は遺体の発見者である増村栄治(ますむらえいじ)や「なみきや」の家族らに事情を聞いたが、全員にアリバイがあった。蓮沼の死亡推定時刻は、「なみきや」で客が調子を崩したちょうどその頃だった。
そんな時、湯川から事件について情報がほしいと連絡がはいる。草薙と内海は次のことを伝え、湯川と共に遺体の発見現場へ向かった:
- 死因は窒息死の可能性が高いがそれを引き起こした原因は不明。
- 誰かと争った後はない(首を絞められた跡もない)。
- 血中から睡眠薬が検出されたが、蓮沼が睡眠薬を常用していた痕跡はない。
蓮沼が発見されたのは物置のような小さな部屋。湯川はその小さな部屋で「窒息」という状況を作り出す方法を模索する。
「密閉した後空気を吸い出す」、「別の物質で部屋を埋める」などのアイディアを提案するが、内海から「大げさすぎる」と一蹴される。しかし湯川は「犯人がこのような手段を取ったなら、そこには『特別な意図』があるはずだ」と語る。
「なみきや」の家族の無実を信じる草薙はあえて湯川のアイディアを検証することを決める。「なみきや」の家族なら、そんな面倒な方法を考えつかないはずだと草薙は考えたのだった。
戸島修作
様々な可能性の中から、湯川は「液体窒素」にたどり着く。密閉された空間に液体窒素を送り込むことによって部屋の内部の酸素量を減らし酸欠状態を作り出したと考えた。
草薙らは「液体窒素」を扱える立場にある食品加工業者「トジマ屋フーズ」の捜索を行う。「トジマ屋フーズ」の社長も「なみきや」の常連で、小さい頃から沙織を知っている人物であった。
捜査の結果、蓮沼の死亡前日に、タンクの液体窒素が20リットル減っていたこと、事件当日に会社からライトバンで出たことが確認されたが、死亡推定時刻には他の場所にいたこともカメラの映像から明らかになった。
それでもなお戸島修作の事件関与を確信した警察は、協力者の洗い出しを始める。
高垣智也
湯川のアドバイスから、パレードに使われた小道具を調べた内海らは、内部が空洞となっているキャスター付きの「宝箱」を発見。当日の映像から、高垣智也(たかがきともや)の事情聴取を開始する。彼は並木沙織の恋人であった。
事情聴取の中、罪の「蓮沼を恨んでいたか」という問いに対して「そんな思いで計画に加わったのではない」と高垣は口を滑らし、自らが液体窒素を増村の家まで運んだことを自白した。
そして、そもそも蓮沼を殺す計画ではなくただ「苦しめる」ことが目的であったこと、指示を出したことは戸島修作であったことを内海に伝えた。
高垣の自白を受けて戸島を取り調べる草薙だったが、結局、決定的な自白を得ることはできなかった。
増村栄治
高垣、戸島の事情聴取を経て、事件に多くの人間が変わっていることを確信した草薙は、事件を成立させるために必要不可欠な人物である増村栄治の事情聴取を行う。
増村栄治は15年前に殺害された少女の叔父にあたり、蓮沼の「無罪」を受けて自殺を遂げた母 本橋由美子の父親違いの兄であることが調べによって判明。しかし、戸籍謄本を突きつけてなお増村は「妹はいない」と突っぱねた。実際、彼の周囲からは本橋由美子につながる物証は何一つ見つからなかった。
増村は復讐のために自らの過去を捨て去っていたのだった。
袋小路に立たされた草薙は、再び並木裕太郎に話を聞きに向かうのだが、その道中、新倉直紀(にいくらなおき)が警察に出頭したとのの連絡を受けた
並木裕太郎
事件の全貌に気がついた湯川は並木裕太郎のもとを訪れていた。湯川は裕太郎に以下の仮説を伝える:
- 本来の計画では裕太郎が蓮沼のもとに行くはずだった。
- 計画当日、客が腹痛を起こしたために計画の中止を余儀なくされた。
その上で「実際に殺したのは誰か?」という問いかけをしたが、裕太郎は沈黙を貫いた。
その時、湯川のもとにも新倉出頭の連絡が入る。
新倉直紀の嘘
新倉直紀は音楽家として若手の育成に励んでいた。そんな彼は「キクノストーリーパレード」の催し物の一つの「のど自慢」で偶然 並木沙織の才能を見出し、デビューに向けてレッスンをしていた。子供のいない新倉夫婦にとって、沙織は娘同然の存在であった。
他の「なみきや」の常連同様に沙織の死に深く傷ついていた新倉は「蓮沼を液体窒素で追い込み、沙織を誘拐し殺害したことを自供させる」という計画を知り、「殺害」がその目的ではないのならと計画に参加した。
新倉本らの役割は、戸島から受け取った液体窒素のボンベを「宝箱」に入れることであった。しかし、計画の中止の連絡を受けた新倉はタンクの回収を直訴し増村の家に向かった。
現場に到着した新倉は本来は裕太郎が行うはずだったことを自らが実行し、「並木沙織が一人で歩いているところを発見し、西きくのじどう公園に連れ込み乱暴を働いた上で殺害した」という蓮沼の自白を実現した。
新倉によると「気が付いたときにはすでに蓮沼は息絶えていた」ということであった。
警察は新倉直紀の逮捕を発表。そのまま送検する方針を決めた・・・。
事の顛末を湯川に伝える草薙だったが、湯川の反応は冷淡なものであった。湯川は蓮沼ほどの人物が自白したことそのものに違和感を覚えており、その違和感が草薙の中にもあることを看破していたのだった。
新倉の自供で最も重要な点は「西きくのじどう公園」というキーワード。実際失踪当日に公園で女性が言い争う声が聞こえたという証言を警察は得ていた。湯川は「西きくのじどう公園」に向かい事件の真相を探る。
湯川は内海から「並木沙織失踪事件」の操作情報の一部を得て、ある確信を得るのだった。
新倉留美
事件を終わらせるため、湯川は新倉留美を訪ねた。湯川がたどり着いた一連の事件の真相は以下の通りであった:
失踪事件の当夜、沙織と言い争いになり留美は沙織を突き飛ばしてしまう。頭の打ち所が悪かった沙織は意識を失うが、留美は殺してしまったと勘違いしその場から逃げてしまう。
その状況を目撃した蓮沼は、この事実を利用して留美を恐喝することを思いつき。意識を失ったままの沙織を車に乗せて実家まで運んだ。
正気を取り戻した留美は現場に戻るが、そこにはすでに沙織の姿はなかった
一方、静岡までの道中で意識を取り戻した沙織は蓮沼によって今度こそ殺害されてしまう。
死体遺棄の時効を待った蓮沼は、実家を放火することによって並木沙織がなくなっていることを明らかにし、「なみきや」に現れる事を始まりに、新倉留美に対する恐喝を開始した。
沙織を殺害したと思いこんでいる留美は、一連のことを直紀に伝える。妻を守るために直紀は裕太郎達の計画を利用して蓮沼を殺害することを決める。
蓮沼殺害事件の当日「なみきや」で腹痛を起こした客も、新倉直紀の手によるものだった。
新倉留美は自らが沙織を殺害してしまったと思いこんでいたが、「西きくのじどう公園」からは沙織の血痕は発見されていなかった。
内海からこの事実の連絡を受けた湯川は「蓮沼の自宅で発見された血痕の付いた作業服」との矛盾に気がついき、実際の殺害犯が蓮沼であることに気がついたのである。
しかし、一連のことは湯川の仮説にすぎない。仮説を実証するために、湯川は新倉留美を訪ねる。
湯川がたどり着いた事件の真相を聞かされた留美は、「西きくのじどう公園」から持ち帰っていた沙織のバレッタ(髪飾り)を湯川に手渡す。このバレッタから血痕が見つからなければ沙織殺害の犯人が蓮沼である可能性が高まるが、実際血痕は発見されなかった。
少なくとも新倉留美は並木沙織の殺害犯ではないことが明らかになった。
この事実を受け、草薙は新倉直紀に真実を語ることを迫る。結果として「傷害致死」ではなく「殺人」として裁かれる事となるが、妻の留美の心は開放されることになる。難しい決断を迫られて新倉は、結局「殺人」を認める道を選ぶ。
蓮沼寛一の沈黙によって始まった負の連鎖がようやく終わりを告げた。すべてが明らかになった世界で、人々は沈黙することなく生きてゆく。
復讐を禁じられた世界で生きるということ
ここからは「沈黙のパレード」の本編を踏まえながら、「復讐を禁じられた世界で我々はどのように生きるべきか?」という「問」について考えていこうと思う。
そのために、まずは「なぜ復讐が禁じられているのか?」ということを考えていこう。
かつて認められていた復讐「敵討ち」
例え親兄弟を殺した相手でも復讐をしてはならないのが現代というものだが、皆さんも御存知の通り、かつては「敵討ち」が一応システムとして存在していた。Wikipediaの「敵討ち」の項を参照すると、少なくとも江戸時代においては、
原則として士族が、自らの尊属(親、祖父母、兄などの上の世代)が殺された場合に、主君の許可を得た上で奉行所に届け出て、「敵討帳」に記載された上で謄本を受け取り、対象を殺せれば敵討ちの成功となる。敵討ちの相手にも正当防衛の権利が認められており、それが成功した場合は「返り討ち」と呼ばれた。また、正当な手続きを踏まなかった場合も、現地の役人が調べた上で認められれば殺人として罰せられることはなかった。
原則としては士族の権利ではあったが、士族以外にも仇討ちをした例は存在しており、扱いは手続きを踏まなかった士族と同様のものであった。
ということらしい。「敵討ち」の構成要件に「尊属」とあったのは、そういう人が殺された場合その人の生活、有り様が著しく変化するためだと個人的には思う。
また、このようなシステムが存在していた背景には「警察権力としての公権力の限界の補完」という意味合いもあったらしく、早い話が「俺達の手の回らないものは君たちでやってね♡」という位置づけであったようだ。
ではなぜそれが全面的に禁止されることになったのだろうか?
警察権力としての公権力の最大化
さて、江戸時代には認められていた「敵討ち」は1873年(明治6年)2月7日に「敵討ち禁止令」の発布と共に禁止された。
問題は何故禁止されたのか?ということだろう。先程も述べた通り「警察権力としての公権力の補完」を個人が勝手にしてくれる上に、それを検証することもシステムに組み込まれていたのだからこれほど便利なものはないわけである。しかし禁止された。
その理由に関しては様々な側面があると思われるが、私が最も重要と思うのがその結果としての「警察権力の専有」だろう。
明治以降様々な変遷はあったものの、我が国には「議会」が存在し、そこには「民衆」が選んだ代議士が存在していた。
このような「議会」の存在によって我々「民衆」の権力は最大化された訳だが、最大化されたのは「民衆個々人の権力」ではなく「民衆総体としての権力」である。
逆に言うと、一度制定された法律を「個人の裁量による解釈」によって運用されては困る。そのため「警察権力の代行」としての「敵討ち」を禁止せざるをえない。少なくとも「武士」という階級がなくなり、「貴族」以外がすべて「民衆」となってしまった世界では「敵討ち」を認める理由がなくなったのである。
結果として「敵討ち」を禁止する効能は大きく、「殺人」という罪に対して行動を起こしてよいのは「公権力」のみとなる。つまり、「武士」「という特権階級がなくなった世界で「公権力」を最大化するために「敵討ち」は禁止されたということもできるだろう。
明治以降失われたものはもちろん「敵討ち」だけではなく、「廃藩置県」によって失業を余儀なくされた武士達もその代表例だろう。結局「新たな時代」を作るためにはそれまでにあったものを破壊し、否定することが必要になり、結果として「新しいあり方」の権威が担保されるのである。
もちろん私は「敵討ち」が公的に認められている世界よりも、現代のように「敵討ち」が認められない世界の方が好きである。しかし、このように「敵討ち」つまり「復讐」が禁止された社会ではずいぶんと不条理なことが発生するのである。
勝手に復活するしかない被害者
「復讐が禁止された社会」で最も割を食うのは被害者である。壮絶な被害にあったとしても被害者は復讐をなすことが許されない。しかし、被害は受けているのである、傷ついているのである。
その傷を誰が癒やしてくれるのだろうか?
誰も癒やしてはくれない。勝手に復活するしかしないのである。殴られたのに、奪われたのに、欺かれたのに。
我々にできることは?
このような社会で我々が考えるべきこと、思うべきこと、そしてできることはなにか?
それは結局、殴らない、奪わない、欺かない、ということしかないと私は思う。
ただその一方で、「復讐」という欲求を心の中から消すことはできない。だから我々は「必殺仕事人」を見るし、「沈黙のパレード」を見る。そしてその復讐心を満足させるのである。
どうしても「不条理」という思いが残ってしまう世の中ではあるのだが、たとえそれが「敵討ち」出会ったとしても私的な「復讐」が横行するような社会よりは良いと個人的には思う。
皆さんはどう思うだろうか?
おまけ①:湯川が殺人トリックに気がつく布石
今回の「沈黙のパレード」は「容疑者Xの献身」や「真夏の方程式」に比べると、「物理学者」である湯川が参戦した必然性が高かった。
殺害トリックとしては「密室に窒素を充満させて窒息状態を作る」という常人では思いつかないような手法であったが、湯川学は見事にそれを見抜いた。
少々突飛にも思えるのだが、一応いくつかその布石が本編に描かれている。
一つは映画の序盤、「なみきや」で湯川が夕食を取っているシーンで戸島修作が「工場の冷蔵機が壊れた」と新倉に語っている。この「工場の冷蔵機」というキーワードが湯川の潜在意識に刷り込まれていたと思われる。
さらに、今回湯川は菊野市に「超電導」の研究のために滞在している。現在「超電導」という性質を物質はすべて「超低温」状態でしかその性質を発揮しないが、その「超低温」を作り出すために液体窒素が使われる。
このように、身近なところに「液体窒素」があったことによって湯川が殺人トリックに気が付いたという構造になっている。
おまけ②:新倉直紀は真実を告白しなくても良かったんじゃないか問題
「沈黙のパレード」はこれまでの映画シリーズに負けず劣らずの複雑さを持った物語であった。
一番のポイントは新倉直紀の動機だったわけだが、どうも事の顛末が釈然としない。
並木沙織のバレッタから血痕が発見されなかった時点で留美は沙織を殺していなかったことが判明したわけで、その上で殺したいほど憎かった蓮沼の殺害には成功している。
正直なところ新倉直紀が真実を告白する理由は何処にもないとは思うのだが、これはガリレオシリーズに通底している「真実原理主義」にもとづいているのだろう。つまり、「例え誰かを守るためであっても嘘は状況を悪化させ、真実だけが人々を明日へ向かわせる」ということである。
新倉が真実を語らなければ留美は自分のしたことを隠して生きることになる。別に沙織を殺した訳では無いが、沙織を突き飛ばし、その場を立ち去ってしまったことが沙織の死の遠因ではある。その事実を隠蔽したままでは留美は人生を取り戻せない。
留美の犯した罪を明らかにすることで彼女を嘘から開放し、自らも「殺人」という偽りのない罪で裁かれることで真に罪を償う。これが新倉直紀が選んだ道なのだが・・・俺なら絶対真実を隠すような気がする。
皆さんはどう思うだろうか。
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蓮沼が公園におけるやり取りを目撃したこと、蓮沼が殺人の容疑者になった過去があることは、唐突な偶然であること。
沙織が公園で倒れた事情が、留美の突き飛ばしによるものであることを湯川は知り得ないはず。留美と沙織の争いの原因を湯川は想像し得ないはず。こうした点でこの作品は、「物語としては」破綻している。沙織は留美の心理の暗部を露骨に喋って留美を傷つけたという問題を作者は等閑視している。
新倉留美が並木沙織を押し倒した時に、並木沙織が髪にバレッタをしていた証拠が無い限りは、血が付いている付いていないは何も意味をなさないかと思いますので、「沈黙する」しか選択肢は無いと思います
※「血が付いていない」だけでは、何の証拠にもならないなぁと