「シン・仮面ライダー」は2023年3月18日に公開された庵野秀明監督による劇場用作品である。
今回は2023年3月31日にNHK BSプレミアム放送された制作ドキュメンタリー、「ドキュメント『シン・仮面ライダー』~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~」を見た感想を書いていこうと思う。
このドキュメンタリーは放送直後から、庵野秀明監督の有り様に関してある種の批判が続出してしまい、ある意味映画本編より話題となった番組となってしまった。
主な批判の対象は、
- シーンに「No」を突きつけるが具体的な指示を全くしない態度。
- 映画終盤の格闘シーン撮影時の激怒。
ということになっているのだが、この制作ドキュメンタリーで我々が見るべき部分はそんなところではなく、庵野秀明監督の天才的な人たらし要素が垣間見えるところだと個人的には思った。
今回はそんな「シン・仮面ライダー」の制作ドキュメンタリーの何処が面白かったのかを語っていこう。庵野監督はどんな人たらしテクニックを我々に見せてくれたのだろうか。
「シン・仮面ライダー」制作ドキュメンタリーの面白さ
アニメ監督ならではこだわりが生む苦難
庵野秀明監督の特殊性は、元々極めて優れたアニメーターであり、その上でアニメーションの監督という側面も持っていることだろう。
それに加えて実写作品も手掛けているのである。
アニメーションはその全てを人間が描く出す芸術作品であるので、その映像を限りなく自分の支配下に置くことができる。実際上は時間的成約があるので、限界はあるだろうが、原理的には数ミリの単位で絵作りを完璧に設定することができる。
庵野監督はそういうアニメーションを作れてしまう人間なので、実写を取る場合にはそれと相反するものを実現使用と画策する。つまり、偶発的でコントロール不可能な「なにか」を追い求める。
その一方で、基本的な人物配置や構図に対しては異常なまでのこだわりを見せており、ドキュメンタリー内でも異常な数のiPhoneで一つのシーンを撮影している事がわかる。
さらに、ライダーキックなど「人間が実現でない動き」が基本となるシーンではCGが使われている。
結局庵野監督がこだわっている偶発性は「俳優が実現可能な動きの中にある意図しない『なにか』」ということになるのだろう。
個人的には、アニメーションと同じくらい支配下に置こうと画策した結果として発生する偶発性を採用すればいいじゃんと思ってしまうのだが、最初から何も縛らないのが庵野メソッドとなっている。
結局問題はアクションシーン
そんな庵野メソッドだが、それが何かしらの苦難を発生させていたのはアクションシーンである。
そして、「シン・仮面ライダー」のアクションシーンに何かしらの期待を持っていたのは私だけではないだろう。
ドキュメンタリーの中でも、最も重要なのはアクションシーンであると庵野監督は語っており、それが観客の期待するものであることを深刻に自覚していた。
一方で、「アクションシーン」と「意図しない偶発性」は明確に対立する。。
「アクションシーン」はフィクションであり、そこには段取りが存在する。そして存在しなくてはならない。それはある種の様式美を生み出すとともに、俳優の安全を確保するという側面も持っている。
しかし、「アクションシーン」の段取りはまさに俳優の行動を作り手の支配下に置くということであり、庵野監督の実現したいことと真逆のものとなってしまう。
ただ、現場の混乱の原因は、このような基本的な庵野監督の思想だけではなく「ノスタルジーを捨てたくない」という自分に課した縛りにも見出す事ができる。
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ポイントは「捨てたくない」という絶妙な表現。
なにか新しいものを提供しなくてはならないが、それが「仮面ライダー」である以上あの頃感じた「なにか」がそこになければ嘘になるという具合だったのだろう。
そしてドキュメンタリーの前半でも初代仮面ライダーのアクションを担当した「大野剣友会」という具体的な名前までだして、そのイメージを伝えようとしいる。庵野監督は具体的には以下のように語っていた:
「大野剣友会は同じ殴りをひたすら続けるとか、同じ技をずっと応酬する。」
その上でアクション監督に対して「もとを踏襲しつつバージョンアップ」という要求がなされていたが、蓋を開けて見たら、結局のところ「新しいなにか」を追い求めていたように見える。
それによって現場は混乱するのだが、「ノスタルジーを捨てない」というある種の縛りが、監督自身を混乱させていたことが原因なのではなかろうか。
アクション監督の苦難
そのような状況下、庵野監督は「準備されたアクションシーン」に対して不満を述べ続ける。
アクション監督としても庵野監督の要望に懸命に応えようとするのだが、どうにもうまくいかない。
ここで振り返るべきことは、アクション監督を含め、「シン・仮面ライダー」の主要スタッフはその業界でひどく尊敬されている人である重鎮ということだろう。
そんな人達が出してきた案にたいして「No」を突きつけるのだから見ていてヒヤヒヤしてしまうのである(映画監督とはそういう仕事なのだろうけれど)。
もちろん仕事を受けた以上、監督の要求に答え続けるのも職業人というものであるだろうから、「No」を突きつけられることも通常は覚悟の上でやっているのだろう。
ただ今回の特殊性は、せっかく作ったアクションシーンを「段取り」と評されてしまったところ。それってアクションシーンそのものの否定であるわけだから「それなら勝手にやれ!」と職場放棄をしたくなっても無理からぬことに思う。
それでも懸命に監督イメージに近いシーンを懸命に作ろうとした「スタントチームGocoo」のメンバー、特にアクション監督だった田渕景也さんには職業人としての矜持が感じられる。
それでも人間限界があるもので・・・。
庵野秀明監督の人たらし要素
このドキュメンタリーのハイライトはやはり、仮面ライダーとチョウオーグとの最終決戦シーンの撮影だろう。
そのシーンに不満を持った案の監督はついに「全部アドリブでやってほしいくらい」という言っちゃいけない一言を述べてしまう。
ドキュメンタリーを見ているこちらとしても「言っちゃったよ」その後の展開が気になってしょうがなくなる。もはや映画を見ている気分である。
結局最終決戦シーンは、アクション班のアドバイスを受けつつ俳優陣が考えることになる。
アクション監督の田渕景也はここに至っての心情として「何もしないつもりでいた」と語っている。そりゃそうだろうとこちらとしても思うのだが、そうせず協力を続けた理由として以下のように続けた:
「大どんでん返しを食らった後に謝られちゃって。そん時の監督が、なんかもうほんとに目 涙ぐんでて。直立不動で『どうもすみませんでした』っていう・・・。何いってんすか監督っていったら、『いや、ここはしっかり謝らさせてください』って言って。その切実さというか、それを真正面から受け止めてちゃったんで。庵野さんに寄り添って、この作品を終わりまで寄るぞと思って」
ここで私が感じたのは、田渕景也という人物は「熱い人」なんだなという事だった。だからこそ、目の前の人間の切実な姿勢を見過ごせなかったのだろう。
だがその一方、田渕さんを始めとするアクション班が提案したアクションシーンを片っ端から否定し続けた状況に、何かしらの謝罪をするならかここしかないとも思えた。
それより前ならアクションシーンは庵野監督の手から離れてしまうし、その後なら亀裂は決定的になる。
別にそういうことを理性的に判断したわけではなく、「行き過ぎた」という思いが自然と謝罪を生んだのだと思うのだが、タイミングは完璧であった。
さらに、本来自分たちが考えるものではないアクションシーンに苦戦する俳優陣に、
「役者さんのその時の気持ちでやるのがリアル。僕が指示したものは「本物」じゃない。ただの監督がやりたいと思ってるシチュエーションでしかない。それを僕は全然のぞんでない。それはただのほんとに段取り。その時にこの三人がそうなっちゃったものが本物。それにお客さんは感動する。僕も感動できる。実写映画のなかで本物ができるのは役者だけだと思う。」
これは役者にたいする殺し文句だろう。「それは君たちにしかできないんだ!」と言われれば、俳優としてもやらざるを得ないし、役者冥利に尽きるというものだろう。結局、実写映画監督としての庵野監督は、俳優の独創性を最も重要視する監督とも言える。そういう監督のほうが良いと思う俳優も多いのではないだろうか。
色々書いては来たが、「シン・仮面ライダー」の制作ドキュメンタリーで一番おもしろかったのは、なにやら飄々として現場を混乱させているだけに見る庵野秀明監督が絶妙な人たらしテクニックを披露しているところだろう。
別に意図的にやっていると言いたいわけではない。むしろそれがナチュラルボーンなものだから始末におけない言いたいのである。
なんやかんやと人々が庵野監督についていくのは、出来上がった作品のおもしろさもあるかもしれないが、こういった天才的な人たらし要素もあるのかもしれない。
そんなふうに、私は思ったのです。
おまけ:「シン・エヴァンゲリオン」の制作ドキュメンタリーとの比較
「シン・仮面ライダー」の制作ドキュメンタリーを見て思い出したのは「シン・エヴァンゲリオン」の制作ドキュメンタリーでの庵野監督の言葉だった。
正確には覚えていないが「自分を撮るのではなく、自分によって翻弄されるまわりを撮って欲しい」という事だった。
当時の私としては「違う!絶対あなたを撮ったほうが面白い!NHK頑張れ!」と思ったのだが、今回「シン・仮面ライダー」の制作ドキュメンタリーを見て庵野監督の言葉の意味がわかった気がした。
このドキュメンタリーでは明確に「庵野監督に翻弄される人々」が描かれており、それがとてもおもしろかった。
ただ、逆に考えると庵野監督は自分によって周りが翻弄されているということに極めて自覚的であるし、それがおもしろいということも認識していることになる。
もしかしたら映画監督とはそういう生き物なのかもしれないのだが、なんともサディスティックじゃあないか。
ただ、ものづくりの現場とはこういうものかもしれない。プロジェクトリーダーは必ず存在するし、ある程度の方向性は持っていても「それは違う」ということを言い続けることにはなる。結果的に周りの人間が翻弄されるのである。
「シン・エヴァンゲリオン」と「シン・仮面ライダー」のドキュメンタリーで我々が学ぶことがあるとすれば「ものづくりとは混乱である」ということなのだろう。
「混乱」を楽しめなければ新しいものは作れない。でも・・・混乱は避けたいものである。
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