「『もののけ姫』はこうして生まれた」は1997年に公開された宮崎駿監督作品「もののけ姫」の制作ドキュメンタリーで、1998年に3本セットのVHSが発売され、2001年には3枚組のDVDが発売されている。
ドキュメンタリーは約2年に及ぶ取材(本格的な取材開始は1996年2月27日)が元になっており、本編は6時間40分と通常思い浮かべるドキュメンタリーに比べてとんでもなく長いのだが、ジブリ作品ファンなら一瞬も瞬きすることなくこの時間は過ぎ去ってしまう。
というのも、ドキュメンタリーとしての質がとんでもなく高く、痒いところに手が届くナレーションが随所に施されており、90年台スタジオジブリ(宮崎作品)におけるアニメーション制作について非常に勉強になる構成になっているし、「もののけ姫」本編を見ているだけではわからないような設定も知ることができる。
今回はそんな制作ドキュメンタリー「『もののけ姫』はこうして生まれた」の内容を振り返りながらその面白さを語っていきたい。
ジブリ作品ファンなら必ず見るべきドキュメンタリーである。
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「『もののけ姫』はこうして生まれた」DVDの内容まとめ
DVD版の「『もののけ姫』はこうして生まれた」は三枚組になっておりそれぞれ、
- 第1章 紙の上のドラマ
- 第2章 命が吹き込まれた
- 第3章 記録を超えた日
と題されており、第1章では
- 宮崎作品制作の流れ(イメージボード、絵コンテ、作画)とアニメーション制作の基本の解説
- スタジオジブリの現場取材と、宮崎駿による作画チェックと絵コンテ制作の様子
- テーマ性の解説
- 宮崎駿のバックグラウンド
が取り扱われている。個人的にはこの第1章でこのドキュメンタリーの価値の80%が費やされていると思う。第2章、第3章がくだらないのではなく、この第1章が素晴らしすぎるのである。
第2章でも第1章どうように宮崎監督の原画チェックと絵コンテ制作を追いながら、
- キャッチコピー「生きろ。」に至る道程
- 「徳間グループ」と「ディズニー」提携
- 「動画」と「動画チェック」の仕事
- 「もののけ姫」の宣伝戦略会議
- 主題歌「もののけ姫」表現における米良美一の攻防戦
第3章では
- アフレコ風景
- 最終的な現場の追い込み
- 「もののけ姫の」興行戦略
- 公開日前後の興行師たちの裏側
- 宮崎監督の「もののけ姫」に関する発言
が主に取り扱われている。
「『もののけ姫』はこうして生まれた」の面白さ
「『もののけ姫』はこうして生まれた」は基本的に非常に勉強になるドキュメンタリーなのだが、ところどころ勉強以上の面白さがあるシーンがあるので、ここからはその辺を紹介しながらこのドキュメンタリーの魅力を語っていこうと思う。
ヤッチンVSハヤオ
このドキュメンタリーでは2016年に亡くなった色彩設計(映画の色指定を決定する仕事)の保田道世さんの元気な姿を見ることが出来る。
保田さんは東映動画から宮崎駿と共に仕事してきた人で、宮崎監督からは「ヤッチン」という愛称で呼ばれていた。
そんな保田さんが色指定に関して宮崎監督とやり合っている姿が何度か描かれる。
どちらにも言い分はあるのだが、基本的にどちらも譲らない。結局は監督である宮崎駿の言い分が通ったに見えるのだが、保田さんも諦めがつかず何度も自分の意見を通そうとする。
プロ同士の当たり前の仕事風景にも思えるのだが、スタジオジブリにおける対宮崎駿の対応としては保田さんの強気の対応は異例のものである。
そもそもスタジオジブリの経営者側(明確な立場は不明だが)であり、その上監督である宮崎駿は王様のように現場に君臨している。当たり前といえば当たり前なのだが、そのような状況で保田さんと同じように食って掛かることのできる人はそうそういるものではない。
篠原征子さんというアニメーターが終盤近くの絵コンテにおけるヤックルの扱いに強烈な不快感を表明し「絵コンテを直せ」と迫っているシーンも映し出されるが、篠原さんも東映動画から宮崎駿を知る人物であり、そんな人だからこそできたことだろう。
貧乏ゆすりをするハヤオ
映画製作中の宮崎監督の仕事は、絵コンテ作成、作画打ち合わせ、原画チェックである。
そのどれもが重要な仕事ではあるが、その中でも一番の産みの苦しみはやはり絵コンテのようで、宮崎監督が貧乏ゆすりをしながら苦しい表情で絵コンテを作成している姿が映し出される。
「足を見ればその日が絵コンテか原画チェックかわかってしまう」というナレーションが付くほどだったようだ。
私はこの状況宮崎監督の状況を逆手にとり、苦しい作業をするときにはあえて貧乏ゆすりをするようにしていた時期がある。
もちろんそんなことでいい仕事が出来るわけもなく、宮崎監督の偉大さを思い知らされただけだった。
うなずき続ける安藤雅司
「もののけ姫」では安藤雅司さんと高坂希太郎さんが作画監督を努めており、宮崎監督のデスクのすぐ隣で作業していた。今となってはどちらもレジェンドである。
このドキュメンタリーでは、安藤さんと宮崎監督のやり取りが何度も映し出される。
絵コンテにしろ原画チェックにしろ、宮崎監督はなにか不満や行き詰まりがあると安藤さんに相談するのだが、それがどうにも相談には見えない。一応安藤さんに問いかけを行なっている用に見えるのだが、その実、安藤さんに話しかける事によって自分の中で整理をつけているだけということが多い。
それだけならまだいいのだが、自分の意見を通すために安藤さんを利用するシーンも何度か見ることが出来る。
また安藤さん本人も、ドキュメンタリー中のインタビューで以下のように語っている:
「基本的に俺、ほとんど言葉発してないでしょ。」「宮崎さんは、誰かに話しかけることで、自分の頭の中を整理する、自分の思っていることをちゃんと確かめたい人」「こちらの考えを言わなきゃっていうふうにも最初なんかプレッシャーで思うんですけど、むしろ聞くことのほうが重要なんだなという気分で、まあ後半は殆どそんな感じで・・・」
ただもっとも面白いのはそういった事実よりも、映像で見ると分かる絶妙な距離感である。誰かを心から尊敬したことのある人なら分かると思うが、そういう人の前だと「この人だけには馬鹿だと思われたくない」という思いが先行し、そうして思い悩んでいるうちに相手の脳内で勝手に情報が整理されて問題が解決してしまう。
私も全く同じ経験を何度もしたことがある、「どっちがいいと思う?」という二択問題に苦悩したこともある。私の選択が採用されたことは残念ながらないのだが、安藤さんと宮崎監督の「間合い」を見るとついつい自分のことを思い出してしまってとても楽しかった(その瞬間はしんどかったが)。
エボシ御前を殺そうとする鈴木敏夫と談笑する3人のおっさん
宮崎駿監督が最初にあげた絵コンテのラストについて鈴木敏夫プロデューサーは「あっけなさすぎる」「自分としては面白くない」という感想を持ったようで、その状況を打開すべく「ラストでエボシ御前を殺す」というアイディアを宮崎監督にぶつけた。
しかも宮崎監督も当初は乗り気だったようで、すぐさまエボシ御前を殺すためのアイディアを複数披露したということが鈴木敏夫プロデューサーの口から語られる。
そしてそのアイディアについて、宮崎駿、鈴木敏夫、久石譲の3人でなんとも楽しげに談笑する姿が映し出される。なんとも悪巧みをしているようで微笑ましい姿なのだが、宮崎監督としても「エボシ御前を殺す」というアイディアで映画が良くなるという思いがあり、饒舌になったのかもしれない。
ただ、我々がよく知るように、実際にはエボシ御前は死んでいない。腕を失うという大怪我を負ってはしまったが、命は奪われていない。
最終的に出来上がった絵コンテを鈴木プロデューサーに持ってきた宮崎監督は、
「やっぱり殺せないよ!エボシは!」
と語ったそうである。やはり、思い入れの強いキャラクターなのだろう。
美輪明宏のすごすぎるキャラクター理解
「もののけ姫」の登場人物は内に秘めているものと表面に出ているものが微妙に違ったり、様々な要素が一人の人間に詰め込まれていたりするので、キャラクター理解が非常に難しい作品であったと思う。
その影響もありアフレコはなかなか大変だったようで、サンの声を担当した石田ゆり子さんは公開初日の舞台挨拶で
「監督はとてもきめ細かく繊細な指示をいつもしてくださったのですが、それが多すぎてわけが分からなく・・・」
と語っていた。絶妙な婉曲表現ではあるが、苦労したことが十分伝わってくるし、実際に苦労している様子もこのドキュメンタリーで映し出されている。
その苦労も、石田ゆり子さんがいわゆる声優でないからという理解の仕方ができなくもないのだが、本業の声優である島本須美さんも苦労したことが分かる。
島本さんが担当したタタラバのトキの「せっかくだから、変わってもらいな」の一言に何度も何度もNGが出た。本業の声優かどうかに関わらず「もののけ姫」の登場人物を捉えるのは難しいことだった。
一方その頃美輪明宏さんの場合は全く異なっていた。宮崎監督との打ち合わせのシーンで「モロの君」について以下のように語っていた:
「ただねえ、あの、これ、あの~、三重四重構造になってるから、大変だなあと思ったり、だから諦観して見ているようなところがあっても、やっぱり、その~、母性みたいなものを内蔵している、巨大な母性みたいなものがあって、そいで神聖があって、そいで・・・え~と、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)ってのは、裏側がお不動様なんですね。不動明王なんです。ですから相手によってはその、悪魔よりももっと悪魔になる。相手によっては慈悲深い観世音にもなるみたいなところがあって。」
と宮崎監督との打ち合わせの場で語っていたが、それに対して宮崎監督は「それだけわかっていただければ。僕がわからないことまで」と嬉しそうに答えていた。
実際のアフレコも気に入ったようで、宮崎監督も楽しそうにしている現場の姿が映し出されている。その御蔭もあったのか、「モロの君と乙事主は昔『いい仲』だった。100年前に別れた」という裏設定まで飛び出した。それを聞いた美輪さんは「猪と犬が?」と、とても嬉しそうだった。
以上が私の思う「『もののけ姫』はこうして生まれた」の面白ポイントだが、ここに書かなかったこと以外にも面白いポイントや勉強になるシーンは無限に登場するので、ジブリ作品や「もののけ姫」が好きな人なら、騙されたと思って見るべきドキュメンタリーである。絶対に騙されないから。
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