「もののけ姫」は1997年に公開された宮崎駿監督のアニメーション映画である。スタジオジブリの劇場作品としては、1994年に「平成狸合戦ぽんぽこ」(高畑勲監督)、1995年に「耳をすませば」(近藤喜文監督)を公開しており、1993年にはTVアニメとして「海がきこえる」が放送されている。一方宮崎駿監督作品としては1992年の「紅の豚」公開から5年が経過しており、ファンにとっては待望の作品であった。
一方「新世紀エヴァンゲリオン」は1995年に放送された庵野秀明監督のTVアニメシリーズだが、1997年には劇場版「Air/まごころを、君に」公開された。「もののけ姫」のキャッチコピーが「生きろ!」であったのに対し、エヴァンゲリオンのキャッチコピーの1つは「だから、みんな、死んでしまえばいいのに・・・」であった(何というコントラスト!)。
今回はそんな「もののけ姫」と「新世紀エヴァンゲリオン」を比較しながら、「もののけ姫」のエンドロールの背景が真っ暗である理由を考えたいと思う。あの背景にはどんな意味があるのだろうか?
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「もののけ姫」のエンドロール
「もののけ姫」のエンドロールは、それまでの宮崎駿監督作品と異なり、背景が真っ暗で、動画も静止画もない。「もののけ姫」以前の作品のエンドロールはどうであったかというと、
- 「カリオストロの城」は「完」の文字とともに暗転
- 「風の谷のナウシカ」は物語のその後を描くアニメーション
- 「天空の城ラピュタ」は地上を見守るラピュタ
- 「となりのトトロ」はメイとサツキのその後を描く静止画
- 「魔女の宅急便」は街の姿やキキとトンボのその後を描くアニメーション
- 「紅の豚」は豚の顔を下人々の空にかけた営みが写真のように連続で描かれる
以上のように、真っ暗闇なんてことはこれまでなく、「もののけ姫」の持つ特徴の1つとして注目すべきものだと考えられる。
「もののけ姫」に登場した人々
「エンドロール真っ暗問題」を考えるためには、どうしても 作品の内容に踏み込む必要があるとは思う。ただ、この作品は多くの側面を持っているために、一息に内容を語るのは少々難しい。そこで、「『もののけ姫』はこうして生まれた。(PR)」というドキュメンタリー作品に収められている、宮崎駿監督の以下のコメントを軸に考えることにする。
・・・ようするに、露骨にはやっていませんけども、はっきり、お前さんはいらないと言われている人間なんですよね。なくてもいいって、(聞き取れない一言)、なんか活躍しても、別に褒め称えられないっていうね、お前さんのやることはここにはないっていうね、そういう事言われる主人公が、でしかもそれは悪いことをやった結果そうなったんじゃなくて、正しいことをやった結果、そうなってしまうっていうね、そういう人物ですから、ん~、それがどういうふうに受け入れられるのかね、エンターテインメントとしてね、受け入れられないかっていうのは、それはまあ、作ってみないとわからない。
この世の中に生きてて、こう、いわれのない、その、不条理な、その、何ていうんですかね、肉体的にも、精神的な意味も含めて、ババを引いてしまってね、人間たちが、どういうふうに感じてくれるんだろうっていう、若者たちの共通の運命であるわけですから、彼が今時代に感じている閉塞感も含めて、いろんな気分というのは、なんどもくりかえし何度も繰り返しね、歴史の色んな場所で、こう感じ取られてきたもののはずなんですよね
ここで言う「いらないと言われている人」とか「ババを引いた人」は、主人公アシタカだけでなく、タタラ場に住まう人々も指しているのだが、そうです!もののけ姫の主人公アシタカは「いらないと言われている人」として描かれているのです。私が初めてもののけ姫を見たのは小学生の頃だったが、こんなこと微塵も思わなかった(宮崎監督ごめんなさい)。あの頃の私は、自分の存在や存在価値について思いを巡らすことがないくらい幸せだったのだろう。
何れにせよ、言われてみると確かにアシタカはそのように描かれている。我々が勝手に先入観によって描かれているものを勝手に見過ごし、結果的にひどく誤解しているだけなのである(あるいは誤解すらせず映像をただ見過ごしている)。
つまり、アシタカの顔立ちや、初めに描かれる勇猛果敢なシーン、何より主人公であるという事実が我々の最初の認識を狂わせるのだ。結果的に、アシタカが村を出るシーンを「新天地へ向けた新たな旅立ち」と捉えてしまい「村を救ってくれたうえに将来の長になるべき男だったけど、そんな呪いをかけられたお前なんかいらない!」と言われて追い出されているように見ることができない。
また、自分を見送るカヤに見せる笑顔も、あまりにも主人公っぽいので、彼の中にある「最も辛いときに最高の笑顔を」という心意気にまったく気付く事ができない。
「エンドロール真っ暗問題」を考えるためには、この作品においては「いらないと言われている人々」「ババを引いてしまった人々」が描かれているということを踏まえなくてはならない
解決不能な問題
さて、「いらないと言われている人々」「ババを引いてしまった人々」が描かれる作品の終わり方はどのようなものでありえるか?
悪い意味における「子供向け」の作品なら、奇跡が起こって「今まで気づいていなかったけど自分だってやっぱり必要なんだ!」「ババを引いたかどうかは心の持ちように過ぎない。本当はババなんか引いてなかったんだ!」という終わりにすれば良い。
「もののけ姫」でいうなれば、シシ神の森が見事に復活し、アシタカの呪いは完全に解け、サンは人間と和解し、タタラ場に住まう人々は山を降りるのだろう。
でもそんなのは嘘っぱちに過ぎない。
現実に起こることは、いらないと言われている人々はいつまでもいらないと言われ、ババを引いた人間はそのババをババとして持ち続けるという過酷な現実である。
「もののけ姫」がこのような「解決不可能な問題」を内包する限り、作品そのものは荒唐無稽なものではなく、ある種の「ドキュメンタリー」にならざるを得ないと私は思う。もちろん、「もののけ姫」の世界そのものはフィクションなのだけれど、設定を作った上で、その中で懸命に生きる人々の姿を映し出す作品にならなければ、「フィクション」ですらなく「ただの嘘」になってしまう。
そして、「ドキュメンタリー」である「もののけ姫」は、我々が求めるような「うれしい」「たのしい」「かなしい」「さびしい」といったようなわかりやすい感情を誘発するエンディングを迎えてくれない(というより、迎えることができない)。
結果的に我々は、エンドロールが始まった時に「えッ!」というある種の困惑を感じることになる。そして、真っ暗なエンディングを見ながら、我々は目の前で起こった出来事を噛み締め、これかのことを考えなくてはならない。これこそが、エンドロールの背景が真っ暗であることの理由(の少なくとも1つ)であろうと思う。
まとめると、
「もののけ姫」は解決不可能な問題を抱えた現代、そして現代を生きる人々の物語であるが故に、ファンタジーでありながらもドキュメンタリーという側面をもっている。そのため、エンターテインメント作品としてのわかりやすいエンディング(問題解決)を迎えることができない。結果として、物語のその後を描くような背景がエンディングに存在することができず、真っ暗なエンドロールとなった。
それでも宮崎監督が最後についてくれた小さな嘘
「もののけ姫」がある種のドキュメンタリーとしての側面を持つという話しをしてきたが、完全にドキュメンタリーかと言われればそうではない。その証拠に、宮崎監督は最後に小さな嘘をつくことによって、「もののけ姫」のドキュメンタリー性をギリギリまで担保しつつ、エンターテインメントにしてくれている。それが、宮崎監督が言うところの「情けない復活」である。
物語の最後に、アシタカとサンはシシ神に首を返すが、シシ神が完全に復活することはなく、デイダラボッチ化しているシシ神が倒れ込み、あたりを包み込む。その後、森が完全に復活することはないが、小さな再生を迎える。
シシ神に首を返す際に明日から「せめて人間の手で返したい」というが、これはつまり「自分たちがしでかしてしまったことだ」ということの強い自覚を表しているように思われる。結果として、シシ神の「命を与える」という力が、僅かな奇跡を起こして入れている。崩壊したものがただそのままでいるというエンディングにはなっていない。
それでもなお「いらないと言われた人々」「ババを引いてしまった人々」が抱える問題に対する無責任な福音を与えることはしていないが、こういう「自分たちがしたことではないことによって起こった問題」ではなく「自分たちがしでかしてしまったことによる問題」なら、「せめて自覚的になる」ことによって「もしかしたら僅かな前進を見せるかもしれない」という宮崎監督がついてくれた小さな嘘であり、映画を見に来てくれた人に見せる小さな希望であり、作り手の心意気であると思う。
ここまで考えると、TV版「新世紀エヴァンゲリオン」のエンディングを思い出す。
「新世紀エヴァンゲリオン」も深刻な問題を抱えた人々の物語であった。その物語の終わりに「ゲンドウとシンジの和解」とか「父を乗り越えるミサト」なんかを描いてしまうと、それはやはり大嘘である。
しかし、それでもなお、碇シンジが「ぼくはここにいてもいいんだ」と自己肯定を見せるのは—間違いなく主人公としてのシンジが起こした信じがたい奇跡であるのだけれども—作品を見続けてくれた人に対する作り手の心意気だったと私は思っている(少なくとも「きもちわるい」よりはいいでしょ?)。
宮崎監督と庵野監督は、同時代に、同じような問題意識から生まれた作品を生み出し、同じような心意気を見せてくれたのではないだろうか。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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