「紅の豚」は1992年に公開された宮崎駿監督による劇場用アニメーション作品である。
今回は本編中に登場した個人的名言、名台詞を集めてみた。「紅の豚」は心に残る名言、名台詞の多い作品だと思うが、なにやら気取った表現も多く「英語でどう言ってるんだろう?」と疑問に思ったことがあったので、英語表現についても調べてみた。ちなみに「紅の豚」の英題は・・・
である。
*以下の英語表現は市販のBlu-rayの英語字幕をもとにしています。英語吹替も一部参考にしています。
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「紅の豚」の名言、名台詞と英語表現
ポルコ・ロッソの名言、名台詞と英語表現
「飛ばねぇ豚はただの豚だ。」
A pig’s gotta fly.
「飛べねぇ豚はただの豚だ。」と誤解していたのは私だけではないはず。
どちらでもそれほど大きく意味は変わらないが、「飛べない」だと「俺は偶然にも飛ぶ力を持っているから飛ぶ」というニュアンスになるが「飛ばない」だと「どうしても俺は飛ぶんだ!」という自分の強い意思ということになる。
「紅の豚」はポルコが斜に構えて人間世界を嘲笑しようと足掻く物語なので、なんとなく飛んでいるのではなく強い意思を持って飛んでいなくてはならない。
したがって「飛べねぇ豚はただの豚だ」ではなく「飛ばねぇ豚はただの豚」でなくてはならない。
英語表現にある「gotta」は書き言葉で言うところの「have to」なので「豚は飛ばなきゃならないのさ」くらいのニュアンスになるだろうか。
吹替版ではジーナの説教を受けて「Sorry baby, gotta fly.」なのでほとんど同じである。
「紅の豚」といえばこの台詞!というくらいの名台詞だと思うがどうも英語表現はどうもぱっとしない。私だけだろうか?
「尻の毛まで抜かれて鼻血もでねぇ。」
That’s the furthest thing from my mind.
ピッコロのおやじに「フィオには手を出すな」と言われたポルコが返した言葉。
この台詞自身になにか深い意味があるということでもないのだが、子供の頃からなにやら心に残っている台詞である。
今回はどちらかというと「英語表現」の方に興味があったのでポルコ・ロッソの名台詞として挙げさせてもらった。
英語表現の「furthest」は「最も遠い」とう意味なので「そんな事考えもしない」という意味になるだろう。吹替版では「Don’t worry. Just looking at her makes me tired.」となっているので「見てるだけで疲れるんだから安心しろよ」と答えていることになる。
日本語表現の意図は、ピッコロのおやじに身ぐるみ剥がされる勢いで金を奪われる状態にあるポルコが「そんな気持ちがうまれようもない」ということになる。
このように考えるとぎりぎりで「tired」が入っている吹替版の方が近いとも言えなくもないかもしれないが、結局はどっこいどっこいといったところだろう。
マダム・ジーナの名言、名台詞と英語表現
「私は三回飛行艇乗りと結婚したけど、一人は戦争で、一人は大西洋で、最後の一人はアジアで死んだって。」
I told him I’d lost three pilot husbands already. One in combat, one in the Atlantic. The third died in Asia.
物語の序盤にマダム・ジーナから語られる衝撃の事実。彼女はどういうわけか「飛行機乗り」しか愛せないらしい。
二人目でその破滅的未来に気がつけば良いものの、彼女は三人目も飛行機乗りと一緒になった。そして本編の直前か本編中にその死を知らされる。
さて、これはどういうことなのだろうか?なぜジーナは頑なに飛行機乗りと一緒になったのだろうか?
この謎についてポルコ中心に考えていこう。おそらくヒントはポルコが人間だった頃に取った写真にある。
物語の序盤に一度だけ出てくる写真で、ポルコ(マルコ)の顔が消されているがその周りには三人の男が写っている。
つまり、ジーナが一緒になった男とはあの写真に写っている男たちということだろう。ジーナは「近場でまとめた」ということになる(これは別に変なことではない)。
それを根拠に素直に考えてしまうと、ポルコはジーナにとってどうでもよい第4の男だったとうことになるだろうが・・・それでは面白くない。
「紅の豚」の主人公はポルコ・ロッソである。その主人公がそんな扱いを受けているわけがないではないか!もしそんな扱いを受けていると自覚していたら「ホテルアドリアーナ」に夜な夜な立ち寄ってジーナと会ったりはしない。おそらく・・・
ポルコの自意識のなかで彼自身はジーナの第一の男だった。
それでもなお自分という存在よりもアクセス可能性の高い相手と一緒になったのだ!というのがポルコの内面の真実であろう。つまり、ジーナが3人もの飛行機乗りと死別しているという状況は
「ポルコはジーナと一緒になっていないけれど、常に『ワンチャンあるんじゃないか』とポルコが思い続けることができる状況を作り上げ、ポルコがジーナと交流を続ける必然性を持たせる」
という作劇上の理由があったのではないだろうか。少なくともそのような効果は持っているものと思われる。ポルコという人物に関しては以下の記事でもう少し詳しく考えている。ぜひご一読ください。
続いて英語表現について。英語字幕では最初の方で「I’d lost three pilot husbands already.」といってしまっているので「最後の一人はアジアで」のところで三人目が死んだと分かるようになっている日本語表現に比べるとやや叙述トリック性が失われている。
吹替版では「I told him of the three pilots I’ve married. The first died in the war, the second died in the Atlantic, the last one … he died in Asia 」となっているので、日本語表現のもつレトリックに近いものになっている。
「人を伝言板か何かと思ってるの!? いくら心配しても、あんた達飛行艇乗りは女を桟橋の金具くらいにしか考えてないんでしょう。マルコ、今にローストポークになっちゃうから… 私イヤよ、そんなお葬式。」
Hey! I’m not a messenger. I worry about you pilots, but you treat me like the furniture. Marco, you’ll end up roasted. I won’t go to your funeral
カーチスとの初戦後行方不明となっていたポルコから連絡を受けたジーナだったが、自分の心配をよそに「あのアメリカ野郎が店に来たら伝えてくれねえか。今度また会おうぜってよ。」とポルコから言われた際のジーナの台詞。
惚れた女にこんなことを言われたら私ならすぐに取って返しそうなものだが、「紅の豚」はポルコのやせ我慢の物語でもある。ここは踊る心を隠して女にせ背を向けなくてはならない。
でもなポルコ。そんな事してたから4番目だったんじゃないかい?人間素直が一番だぞ!
英語表現としては「end up」だろうか。「end up ~」で「~になる」、「~で終わる」などとなる。例えば「end up all alone」といてば「一人で生涯を終える」となる(まったく御免被りたい!)。
「ここではあなたのお国より、人生がもうちょっと複雑なの。恋だったらいつでもできるけど。」
Life here is more complicated than in your country.
気取った勘違いアメリカ野郎のプロポーズに見事な皮肉で返したとも取れるが、なにやら余裕の無さも感じてしまう。
実際あの庭にいるときにジーナはポルコを待っているのであって、カーチスのお相手なんてしている心理状況ではないのだろう。
にしても、この台詞の直後、旋回するポルコを見つめるジーナの姿はとても美しかった。
英語表現として特に面白いものはないが、吹替版では「Life is a little bit more complicated here than it is in America」となっている。
フィオ・ピッコロの名言、名台詞と英語表現
「ねえ、良いパイロットの第一条件を教えて!経験?」
Tell me, what’s the main thing a good pilot needs? experience?
この言葉を受けたポルコはカッコつけてまんまと「インスピレーション」と答えてしまう。どうでもいい「おっさんの自意識」であったが、フィオが一枚上手だったと考えるべきだろう。
フィオはピッコロのおやじからから職人としての腕だけではなく、たくましい商魂をも受け継いだということだろう。お見事フィオ!
英語表現としては特におもしろいものはない。ちなみに吹替版では「Tell me what do you think it takes to make a pilot great. Experience?」となっている。
少々面白いのはポルコの返答で、日本語では「インスピレーション」英語字幕でも「inspiration」となっているが、英語吹き替え版では「intuition」となっている。
「inspiration」は「ひらめき」とか「霊感」などと訳されるもので、「intuition」は「直感」と約される。この2つの違いはなんだろうか?
頭で考えても埒が明かないので、英英辞典に登場してもらおう。ロングマン英英辞典オンライン版によると、「inspiration」と「intuition」の意味はそれぞれ
- a good idea about what you should do, write, say etc, especially one which you get suddenly(inspiration)
- the ability to understand or know something because of a feeling rather than by considering the facts(intuition)
となっているのでほとんど変わらない。ところが「inspiration」の2つ目の意味を見るとわずかに違いが見える。「inspiration」の2つ目の意味は;
- a person, experience, place etc that gives you new ideas for something you do
となっている。つまり人になにかを与える主体も「inspiration」と表現することができる。例えば、ある人物の人生に影響を受けて物語を作ったとすると、その人物を「inspiration」と表現することができ、「He is the inspiration for the story」と言うことができる。
日本語で「インスピレーション」というと英英辞典の最初の意味で使うと思うが、「inspiration」というと2つ目の意味になる可能性があるため「intuition」としたということになると思われる。
「私ね 小さい時から飛行艇乗りの話を聞いて育って来たの。飛行艇乗りの連中ほど気持ちのいい男達はいないっておじいちゃんはいつも言ってたわ。それは海と空の両方が奴らの心を洗うからだって。だから飛行機乗りは、船乗りよりも勇敢で、陸の飛行乗りより誇り高いんだって。彼らの一番大事なものは金でも女でもない、名誉だって!」
I was raised on stories about seaplane pilots. My grandpa always said there’s no finer people anywhere. Their hearts are washed clean by the sea and sky. So, they’re braver than sailors and prouder than regular pilots. The most precious thing to them isn’t money ore women, it’s honor.
カーチスとの初戦後、飛行艇の修理を終えてアジトに戻ってきたポルコを空賊連合の連中が袋叩きにしようとしたところで行ったフィオの演説。
ポルコから「インスピレーション」とう言葉を引き出した時と同様、フィオは状況を自らの都合の良い形に見事に変更した。
フィオのこういった能力は「ピッコロ社」の繁栄に大きく貢献したことだろう。
英語表現としては「be raised on」だろうか。「be raised on ~」で「~で育つ」という意味になる。ちなみに吹替版では「My grandpa has been telling me storied about seaplane pilots ever since I was born」となっている。
「ジーナさんの賭けがどうなったかは、私たちだけのひみつ。」
And did Gina win her bet? That’s our secrets.
今となっては有名となってしまったが、物語のラストで「ホテルアドリアーナ」の裏手にポルコの飛行艇がとまっていることが確認できるので、ジーナはかけに勝ったということになる。
ただ、ラストで旋回するポルコが描かれるように、ポルコは飛ぶのをやめていない。いつまでも賞金稼ぎができるわけもないと思われるが、それでもポルコは「縛られてたまるか!」と飛び続けるのである。
「紅の豚」はそういう物語である。
英語表現としては特におもしろものはないが、吹替版では「and as for how Gena’s bet turned out, well, that’s our secret.」となっている。
ドナルド・カーチスの名言、名台詞と英語表現
「金と名声を運んでくる幸運のガラガラヘビさ」
The Rattlesnake. Winner of fame and fortune.
「表のカーチスはお前のか?」というポルコという言葉を受けたカーチスの台詞。
結局「紅の豚」本編では、一時の名声と多額の負債を運んだに過ぎなかったが、少なくとも俳優にはなれたようなので彼の人生全体を見ると「金と名声」を運んできてくれたのかもしれない。
英語字幕の表現としては「Rattlesnake」が「ガラガラヘビ」を指すということくらいが学びになるだろうか。
吹替版では「I don’t mind saying she made me a bit of a celebrity in the racing world.」となっており、カーチスの自己評価の高さや皮肉っぽさが現れている。
ここで使われている「don’t mind」については「I hope you don’t mind~」という表現を覚えておくとよいかもしれない。この表現は「~して迷惑でないと良いのだけど」転じて「~しても構いませんか」という意味になる。具体的には、「I hope you don’t mind me asking this but,」で「聞きにくいんだけど」という意味になるのでこの表現のあとに聞きにくいことを申し訳無さそうに聞けば良い。
「I hope you don’t mind」についてはエルトンジョンの「Your Song」のサビで使われているのでそれで覚えている人も多いかもしれない。
「心配するな!おふくろの話じゃ惚れるより慣れだってよ!」
Don’t worry. My mother says you can get used to anything.
ポルコとの決戦当日「賞品」として椅子に腰掛けるフィオに放った台詞。
カーチスという人物は非常に優秀なパイロットで基本的にいいヤツだということは分かるのだが、この台詞に現れる極端な自己肯定感はもはや「異常」とも言えるだろう。
しかしこの異常な自己肯定感が彼を俳優にしたのだろうし、きっとレーガンのように大統領になるのだろう。
自己肯定感とは知らずのうちに自分を変える原動力なのだろう。
英語表現としては「惚れる」という要素を完全に排除しているところがポイントだろう。字幕は文字数に限りがあるので何でもかんでも入れ込むことができない。ここでは「惚れる」という要素を切って「get used to anything」で「どんなことにもなれる」とすることによってニュアンスを実現している。
吹替版では「According to my sweet mama, it isn’t the love, the count.」となっている(たぶん)。つまりこちらでは「愛より金だと母ちゃんも言ってた」くらいの意味だろうか。どちらかというと字幕版のほうが個人的には好みかもしれない。
ピッコロのおやじの名言、名台詞と英語表現
「心配するな、女はいいぞ。よく働くし、粘り強いしなあ。」
Don’t worry. The women are tough, and they work hard.
男どもが全員出稼ぎで出払っている中、飛行艇の回収作業に女でしかないことに不満をもらすポルコに対してピッコロのおやじが放った一言。
この台詞の存在のために「紅の豚」が金曜ロードショーで放送されるたびに私はヒヤヒヤする。
男がそうであるように、よく働かない人も粘り強くない人もいる。一括りに何かを語った瞬間にそれは間違った主張になるのはこの手の話だけではない。「日本人は米が好き」といったらそれは嘘だし、「ロシア人は酒好き」といったらそれは嘘である。米嫌いの日本人もいるし、下戸のロシア人もいる。
ただ、なぜピッコロのおやじがこの発言をしたのか、つまり、宮崎駿がピッコロのおやじにこの発言をさせたのかということは考える価値のある問題だろう。
そもそも「紅の豚」の制作状況そのものが特殊だった。
当時は「おもいでぽろぽろ」の公開後で、作画監督だった近藤喜文、美術監督の男鹿和雄が疲弊している中、宮崎駿監督の決断は「主要スタッフを女性で行く!」ということだった(参考:「ジブリの教科書7 紅の豚(PR)」)。
結果として「紅の豚」の作画監督は賀川愛(後に「平成狸合戦ぽんぽこ」、「千と千尋の神隠し」、「借りぐらしのアリエッティ」で作画監督を努めた)、美術監督には久村佳津が抜擢された。
ということは、「ピッコロ社」の有様は「紅の豚」の制作環境の現れであって「女はよく働く」というのは宮崎駿監督の実感だったということだろう。
宮崎監督がかつて所属していた東映動画での経験も背景にあるようだが、少なくとも「頭だけで考えた偏見」ではなく「実感としての敬意」ということだと思う。
この台詞が槍玉に上がらないことを祈るばかりである。
字幕について英語表現としては特に興味深いものはないが、吹替版では「You’ll see very hard workers」となっており、どこにも女性要素がない。やはり表現として差別的であるという理由で単に「workers」となったという予測を立てることはできるが、真偽の程を確かめるすべは私にはない。
「さあ、モリモリ食べて、ビシバシ働こう」
Let’s eat up and get to work!
ポルコの飛行艇の回収作業が本格的に始まった際に、従業員にピッコロのおやじが放った言葉。
「女はよく働く」という発言の前提に当時のジブリの状況があったことを考えると、この言葉は監督宮崎駿のスタッフに対する言葉と見ることができるだろう。
そして「もりもり食べる」という表現だが、現代的に考えると「栄養のバランスの取れたものをたっぷりと」という意味になりそうだが、おそらくそうではない。
そもそも宮崎駿監督自身が食事というものに対した興味を持っている人ではなく「燃料」として投下して仕事をするタイプの人物である。ドキュメンタリー映像の中でも平気な顔をしてカレーヌードルを食べている。
となると、ここで言うところの「もりもり食べて」の意味は「栄養価はないかもしれないがとりあえず空腹をしのいだ後にはバリバリ働け!」ということかもしれない。
英語表現としては特におもしろものはない。吹替版では「You eat and work on making that cake」となっている。突然「cake」という表現が出てきているが、これは直前にポルコが女性ばかりの状況に対して「ケーキを作ってるんじゃねんだぞ」と軽く文句をいったことを受けた皮肉である。
マンマユート・ボスの名言、名台詞と英語表現
「仲間外れをつくっちゃかわいそうだろうが」
We can’t leave anyone out.
物語のスタートと共に子供を誘拐しておきながら平気な顔をしてマンマユート団のボスが放った一言。
この誘拐事件を始めとして、「紅の豚」では実のところ血なまぐさいシーンにあふれている。それでもなお我々が「紅の豚」を楽しく見ていられる理由があるとすればこの台詞ということになるのではないだろうか。
マンマユート団は子供を誘拐する極悪非道の集団である。そしてポルコ・ロッソはそれを駆逐する正義の味方である。
しかしこの台詞の存在によって、マンマユート団は「それほど悪い奴らではない」ことになっており、正義の味方であるポルコ・ロッソの生易しい裁定にも我々は納得できるようになっている。
ともすれば血の匂いがする「紅の豚」を楽しい作品として受け入れることができるようにしてくれているというてんで、とても重要な台詞だったと思う。
英語表現としては「leave anyone out」だろう。「leave ~ out」で「~を無視する」といった意味になる。ただ字幕なので「可愛そう」というニュアンスを「can’t」に込める形になっている。
吹替版では「It’s not nice to separate them from their friends」となっており「可愛そう」のニュアンスが「not nice」として実現されている。
「みんな聞けーっ! 俺はフィオ嬢の心意気に惚れた! この決闘は我がマンマユート団が取り仕切るぞ!!」
Listen, all of you! I like this girl’s spirit. The Mamma Aiutos will sponsor this fight!
ポルコのカーチスとの再戦を実現すべく「カーチスとの結婚」というカードを切ったフィオの姿を見たマンマユートのボスが放った台詞。
一見するとフィオの男気あふれる行動にほだされた間抜けなおやじの発言。しかしその実、フィオの演説によって周りの連中の心が動いていることに気がついたボスの見事な采配とも見て取れる。
あのシーンで誰よりも早く「取り仕切る」と発言したことによって、本当にマンマユート団が取り仕切ることになり、その他の空賊連合の連中は「外野」になっている。
フィオの演説はポルコの窮地を救ったが、それを利用して自分たちの利益増大を実現した彼の手腕は見事なものだろう。
ただ、結果的に「金儲け」を目的として動いてしまったことは「彼らの一番大事なものは金でも女でもない、名誉だって!」というフィオの台詞との矛盾が存在しており、どうしようもない世界の情勢に彼らも飲み込まれていることを表しているシーンになっている。
でも、金を稼ぐことは大事なことである。
英語表現としては特におもしろものはない。
フェラーリンの名言、名台詞と英語表現
「冒険飛行家の時代は終わったんだ。国家とか民族とかくだらないスポンサーを背負って飛ぶしかないんだ。」
Freelance daredevils are finished. To fly now you need a government or an airline to pay you.
久々に会った戦友フェラーリンからポルコがかけられた言葉。この言葉にポルコは「俺は俺の稼ぎでしか飛ばねえよ。」とポルコは答える。
結局このシーンが「紅の豚」の本質なのだろうと思う。
ポルコもフェラーリンも、第一次世界大戦というどうしもない酷い戦争を「国家とか民族とか」を背負って戦ったのである。
しかし終戦後、そんなものはどうでも良くなり「金」、「経済」がすべての価値判断の基準になっていった。
ポルコはそんな手のひら返しと戦っているのである。そうじゃなかっただろう?と。
何れにせよ、「今」という状況に対して「違うだろ!」という生き方をすることが「かっこいいこと」ということになるのだろう。
英語表現としては「daredevils」だろう。「daredevil」は「命知らず」とか「無謀な人」という意味なので「自由気ままな命知らずは終わった」といった意味になる。
吹替版では「The only way Italians will let you fly is if you fly for our country」となっているので「お前を飛ばすには国のために飛んでもらうしかない」くらいの意味だろう。どちらかというと軍にリクルートした部分が強調されていることになる。
その他の名言、名台詞&英語表現
「そりゃあ戦争で稼ぐ奴は悪党さ。賞金で稼げねぇ奴は能無しだ。」
War profiteers are villains. Bounty hunters are just stupid.
ポルコがミラノからアジトにかる途中で立ち寄った武器屋のおやじが放った台詞。
ポルコの行動と戦争との違いを少年から問われてこの台詞が生まれたわけだが、武器屋の人間は戦争で稼いでいるし賞金でも稼いでいるのである。
この台詞は結局のところ、「武器商人の罪」を少年の前で隠しきった台詞ということになるだろう。
きっとあの少年は「汚いことで稼いでしまった」と自分を攻める人生を送り、更にその後に「世の中なんてそんなもんだろ」と自分を肯定する人生を歩むのだろう。
あの少年はもしかしたら、「宮崎航空機製作所」の子供として生まれた宮崎駿自身の分身だったのかもしれない。
もちろん考えすぎだけどね。
英語の字幕表現も日本に負けず劣らず皮肉が効いていて面白い。ポイントは「profiteer」と「villain」だろう。「profiteer」は単に「利益を得たもの」ではなく「暴利を貪るもの」と言った意味になり、「villains(ヴィラン)」は「悪党」とか「悪役」といった意味になる。最近は「ヴィラン」という表現もよく使われるようになったのである程度馴染みがあるかもしれない。
吹替版では「If you make money from war, you’re a scum. if you don’t make money from bounty hunting, you’re an idiot. 」となっている。「scum」は「人間のクズ」と言った意味で「idiot」は「間抜け」と言った意味になる。
字幕版と吹替版のどちらが好きかは完全に好みの問題となるが、これに関しては字幕版の方がよくまとまっているし皮肉がよく効いているので、個人的には字幕版が好きである。
「ワレエンジンフチョウ、エンジンフチョウ」
Engine trouble! Engine trouble!
何も言うことはあるまい。この台詞面白かったよね?俺は面白かった。この台詞に象徴されるコミカルさが「紅の豚」の血なまぐささを軽減してくれている。
宮崎駿のギャグセンスは他に追従を許さないものだと思う。
英語表現そのものにはあまり面白さはない。吹替版でも「We’re having engine trouble! We’re having engine trouble!」と言っているだけである。
この台詞の面白さの根源は「タイミング」と「口調」であると思われる。英語圏の人はここでくすっと来てくれたのだろうか?謎である。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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