「君たちはどう生きるか」は2023年7月14日に公開された宮崎駿監督による劇場用アニメーション作品である
今回は本編中に登場した個人的名言、名台詞を集めてみた。
とりあえず、現状で私が個人的に思う「君たちはどう生きるか」で一番好きな台詞は、
である。なんとも真っすぐで突き刺さる台詞だと思う。皆さんはどうだろうか。
また、名言や名台詞は通常とは異なる言い回しが用いられることも多く「英語でどう言ってるんだろう?」と疑問に思ったことがあったので、英語表現についても調べてみた。ちなみに「君たちはどう生きるか」の英題は・・・
日本語にすると「少年とサギ」。この英語タイトルが判明した当初は「それでいいじゃん!」と思ったものだが、今となって見ると「君たちはどう生きるか」が極めて合っていると思う。皆さんはどう感じているだろうか。
*以下の英語表現は市販のBlu-rayの字幕をもとにしています。また吹替版も参考にしています。
「君たちはどう生きるか」の名言、名台詞と英語表現
眞人の名言、名台詞と英語表現
「母さん!夏子母さん!」
Natsuko…Mother!
下の世界でようやく夏子を発見した眞人が「あなたなんか大嫌い!」と言われてもなお夏子に放った台詞。
夏子と眞人の関係はこの物語を推進する重要な要素であり、映画を見る側の心を揺さぶる役割を負っている。
これまでの宮崎作品を振り返れば、何かしら良い結果になるとは期待されるのだが、それでもなお「ああ、どうなってしまうんだ~」という疑念と不安に包まれる。
その不安がこの台詞によって一掃され、眞人は物語の主人公になった。
この台詞に至るまで眞人は「状況の奴隷」であり、自らの意思で何も選択できていない(選択したいという欲求はあっただろうが)。
戦争も、母の死も、父の再婚も、夏子の存在も、眞人の「外(そと)」で発生していることであり、彼の思いや選択とは関係がない。
実母が遺してくれた本を読むことによって眞人が状況を受け入れる力を手に入れたことを考えると、この物語のタイトルが「きみたちはどう生きるか」であったことは誠に必然性があるといえるだろう。
英題は「The boy and the heron(少年とサギ)」となっており、最初にこのタイトルを知った時は「こっちのほうが良いじゃん!」と思ったものだが、今となっては「君たちはどう生きるか」で良かったと思う。
英語表現としてはとこに面白いところはなかったが、吹替版では「Mother…Natsuko.」と単語の順番が逆になっている。
「この傷は自分でつけました。僕の悪意の象徴です」
I made this scar myself. It’s a sign of my malice.
物語の序盤、新天地の同級生との喧嘩というべきかいじめというべきか、その後に泥だらけになって帰る途中に自ら石をぶつけてつけた頭部の傷について、大叔父に対して語った言葉。
この傷をつけたシーンは過剰な流血を伴っており、映画本編の中でも印象深いものとなっている。
この台詞がなくてもなんとなく彼の行動原理は理解できるのだが「悪意」という言葉を使ってくれたおかげでそれがよりクリアになる。つまりは、
- いじめられると分かっている学校に行きたくないという思い、
- そういう状況を作り出した父への反抗、
- それに便乗して夏子を困らせようという「悪意」
ということになるだろう。ある意味では極めて幼児性の高い行為であったことになるが、自分の頭部に傷をつけた時に流れた大量の血は、母の死や新しい状況に直面した眞人の苦しみの象徴であろう。彼は心で血を流していた。
「幼児性が高い」という事もできるのだが、彼は11歳の少年であるからしてそれは当然のことである。
その一方で、大叔父の前で「悪意」であったことを告白できたことが、彼の人間的な成長を表していることになるだろう。
英語表現としては「malice」という単語が大事だろうか。元の台詞からもわかるように「malice」は「悪意、敵意、恨み」といった意味となっている。吹替版でも同じく「malice」が使われており「I gave myself this scar on my head. It’s a sign of my malice.」となっている。
「それは木ではありません。墓と同じ石です。悪意があります。」
Those aren’t wooden. It’s stone for making tombs. It’s malicious.
「下の世界」で大叔父と初対面を果たした眞人。大叔父から自らの跡を継いで積み上げた石に一つ追加してほしいと言われたときの台詞。
我々の中に蓄積されている「物語の常識」を下に考えると、主人公である眞人があからさまに「ヒール」な大叔父の申し出を断ることは自然なのだが、それでも釈然としないものは残る。
結局のところ「大叔父」とは何なのか?という問に答えなくてはならないのだが、それについては以下の記事にまとめている:
NHKで放送された制作ドキュメンタリー「ジブリと宮﨑駿の2399日」を見ると、大叔父の「モデル」となったのは高畑勲監督なのだが、何度見たってそうは見えない。
自分の中にある高畑勲を描こうとした結果として自分を描いてしまったということだと現状考えている。上の記事ではその前提のもとにこの台詞の意味を考えている。皆さんはどのように考えただろうか。
英語表現としては前の台詞と同様に「malice(malicious)」が使われている。吹替版では「Those aren’t made out of wood. They look like gravestones. I sense their malice.」となっている。
「友だちを見つけます。ヒミやキリコさんや青サギのような。」
I’ll make friends. Like Himi, Kiriko, and the heron man.
映画のラストで主人公眞人は2つの選択をする。一つは「冷たい石ではなく温かい木」、そしてもう一つは「ともだちをつくる」ということだった。
「君たちはどう生きるか」という映画はあからさまに宮崎駿の「自伝」のような物語であるが、だとすれば、「冷たい石」が象徴しているのはそれまでのアニメーション制作の姿勢やスタジオジブリのあり方ということになるだろう。そしてそれは「過去」のことである。
一方で「ともだちをつくる」のはこれからのことであって、「温かい木」と並んで宮崎駿のある種の宣言と取ることができるだろう。宮崎監督は「君たちはどう生きるか」という自伝的な映画を作りながら「これからはこう生きます!」というメッセージを送っていることになる。
そして何より眞人がサギ男を「ともだち」と呼んだことが大事だろう。制作ドキュメンタリーでも明言されていたことだが、サギ男のモデルは鈴木敏夫である。
長らくビジネスパートナーとして歩みを続けた鈴木敏夫を「ともだち」と呼んだのである。
「君たちはどう生きるか」という物語の中でもぐっと来るシーンの一つだったと言えるのではないだろうか。
英語表現としては特に面白いところはなかった。吹替版でもほぼ同じで「I’ll find my friends there, like Himi, and Kiriko, and the heron man.」となっている。
青サギ・サギ男の名言、名台詞と英語表現
「あばよ、ともだち。」
So long, friend.
「上の世界」に戻った青サギが分かれの際に眞人に放った台詞。
上述の通り、青サギのモデルとなったのは鈴木敏夫プロデューサーである。その青サギを宮崎監督の分身である眞人が「ともだち」と呼んだところがグッと来るところだったわけだが、その文脈でこの台詞を考えると「鈴木さん。私のことを友達と思ってください」と宮崎監督がいっているようにも思える。
宮崎駿と鈴木敏夫はスタジオジブリ設立前からの付き合いであり、基本的にはビジネスパートナーである。その関係は単純なものではなく、様々な書籍やドキュメンタリーの中で大きな対立が合ったことも語られている(「平成狸合戦ぽんぽこ」の制作中とか、「風立ちぬ」のあとの引退についてとか)。
そういう相手を素直に「友達」と呼び「友達と思ってください」と言っているあたりに「冷たい石から温かい木へ」という宮崎監督本人のこれからのあり方が見て取れるのではないだろうか。
英語表現としては特に面白いところはなかったのだが、吹替版との僅かな差は面白いかもしれない。吹替版では「So long!My friend.」となっており「my」が加わっている。個人的には「my」が入っている吹替版のほうが雰囲気が出ていていいと思う。
キリコの名言、名台詞と英語表現
「この世界は死んでるやつの方が多いんだ。」
In this world, the dead are the majority.
「下の世界」で出会ったキリコが、海の向こうに見える多くの船を見ながら放った台詞
「君たちはどう生きるか」の本編中最初の「不可解な台詞」ではないだろうか。それはあの世界を「宮崎駿のイメージの世界」とか「宮崎駿の脳内」と考えてもいまいちよくわからない。
しかし、この物語の持つ自伝的側面を前提にすると何かが見えてくるように思われる。
「下の世界」で眞人が最初に出会ったのがキリコだったのだが、彼女は今はなき保田道世さん(1939年4月28日-2016年10月5日)の分身である(制作ドキュメンタリーの中でそれがわかるシーンが一瞬映されるし構造上もそうである)。保田道世さんは宮崎監督にとっては東映動画からの盟友であり、その後に青サギのモデルである鈴木敏夫と出会いともに作品を作ってきたのである。
映画本編がそういった宮崎監督の歩みであるならば、海の向こうにいた「死んだ人々」とはアニメーション制作や映画製作の中で「散っていった人々」ということになるだろう。創作の世界では目を出すことができた人々より「散っていった人々」のほうが多い。そんなことを宮崎監督は言っていたのではないだろうか。
英語字幕は直訳に近く「majority」を利用しているが、吹替版では「This world is filled with the dead.」となっている。どちらかというと字幕のほうがニュアンスは正しいような気がするが皆さんはどう感じるだろうか。
夏子の名言、名台詞と英語表現
「あなたなんか大嫌い!出ていって!」「帰りなさい!早く!」
I absolutely hate you! Get out! Go back! Now!
「下の世界」に自分を探しに来た眞人に放ってしまった台詞。
継母から子供にかけるにはきつすぎるというよりも、人にかける言葉としては相当強烈な言葉であった。しかしながらその強烈さのお陰で、
- 眞人はもう大丈夫なのだ(十分に成長した)ということがわかり、
- 夏子と眞人のわだかまりがむしろなくなる
という映画を見る人へのメッセージと物語の進行効果が発揮されている。
夏子と眞人の関係に限って言うなら、二人共お互いに何かしらの不満を持っていることはすでになんとなく感じ取っている。夏子としては継母である時分を眞人が受け入れないのは当然理解できるだろうし、眞人としても初対面で無理やりお腹を触らされた時点で夏子のただならぬ感情を察知したことだろう。
そして「大嫌い」という強烈な言葉が明らかになることによってそれが確定したのである。
現実の世界でこんな言葉を使ってしまったら人間関係が終了してしまう可能性のほうが高いと思うが、「君たちはどう生きるか」という書籍によって成長を遂げた眞人の「母さん!」の一言でむしろ状況が融解したことになる。
眞人の言葉が夏子にとっての「君たちはどう生きるか」だったということになるだろう。結局、夏子も眞人もヒサコの尽力によって新たな一歩を踏み出すことができたということができるだろう。
ある意味では予定調和な展開ではあるのだが、あのシーンを「親子喧嘩の戯画化(強調化)」と思えばその結果にも少しは納得ができるかもしれない。
一般論としては別に親子喧嘩は悪いことではない。むしろ本音で、本気で喧嘩をした経験があったほうがその後の関係は正常なものになることもあるだろう(そうでないこともあるだろうが)。
そして似たような状況が新海誠監督の「すずめの戸締まり」でも描かれていた:
そこでは(実質的な)継母がその娘に強烈な嫌悪をぶつけてしまうというシチュエーションだったのだが、このような似たような状況が描かれるという事実の前提にはある種の「時代の要請」というものがあるのかもしれない。
きっとみんな、いえば終わることを言えずに抱えているのである。
英語表現としては「hate」という強烈な単語が使われている(しかも「absolutely」)。吹替版でも「(I’m not going anywhere with you) I hate you! Just go! leave!」となっておりむしろ日本語版の「大嫌い」に込められた憎しみの強さが見て取れる。
勝一の名言、名台詞と英語表現
「大事な息子を傷付けられて黙ってられるか!」
I won’t let them get away with this!
転校先の高校へ初投稿した日、頭に大怪我を負って帰ってきた眞人。頑なに傷をつけた犯人を語らない眞人に「優しく詰問」する勝一を夏子が諌めようとした際の台詞。
映画本編中主人公眞人は父である勝一に否応なしに振り回されることになるのだが、この台詞と完全装備で大叔父の塔に進軍する姿によって「愛ゆえのことであったなのだな~」と納得できるようになっているし、むしろ好感を持つようになった人も多いと思う。
息子を溺愛する父の姿は「崖の上のポニョ」でもわずかに描かれたが、これほどまでに物語に関わる形で描かれたのは「君たちはどう生きるか」が最初であり、そしてこの点が重要な特徴とも言えるのではないだろうか。
字幕版の英語表現には特に面白いところはなかったが、吹替版は「I won’t let them get away with doing this to my own flesh and blood.」となっており「my own flesh and blood」という回りくどい表現が使われている。「one’s own flesh and blood」は「肉親、血を分けた子」という意味になるのだが、これをあえて夏子の前で使ってしまうところに勝一の無神経さが出ているようにも見えるし、状況の皮肉さが現れていると思う。
ヒミの名言、名台詞と英語表現
「素敵じゃないか。眞人を産めるなんて。」
I’ll be so happy to have you.
この言葉が主人公眞人にとって母からもらった最後の言葉となり、その一方で、ヒミが自らの子供に与えた最初の愛情表現ともなった。
結局「あなたを産めて幸せだった」の一言だけが人間を存立させる基盤になるのかもしれない(男親なら「お前に会えて幸せだった」だろうか)。
その言葉によって幸福な人生が約束される訳ではないのだが、親が自分に対してそう思っているという自覚(それを忘れてしまうくらいの自覚)がなければ人生を作るのは難しい。
一方で、眞人を宮崎駿の分身と捉えるなら、これほどの自己肯定物語はないとも言えるのではないだろうか。
宮崎駿監督の幼少期、母が病気であったために「甘える」ということができなかったという過去がある。監督本人もドキュメンタリーの中などで、母に対する思いがそれほど単純なものではないことを語っている。
そしてそれが「となりのトトロ」における母娘の関係の描写に影響しているし、「崖の上のポニョ」においては物語全体にその影響が見られる。
今回の「君たちはどう生きるか」においても序盤でこそ「母と子」という関係がただならぬものとして描かれていたが、最終的にはまさしく大団円であった。
宮崎監督の中で「母」という存在が完全に合理化され受け入れられる存在となったということなのかもしれない。だからこそ母が自分に向かって「あなたを産めて幸せだった」と言い放つシーンを作ることができたのだろう。
英語表現としては「have you」と表現しているところがポイントだろう。私なら「bear you」と書きたくなってしまうが英語表現としては不自然なのだろう。この辺のニュアンスは非常に難しいところではあるが一つの経験として覚えておくのが良いのだろう。吹替版でも「You know I’m really lucky to have you as a son.」と表現されていた。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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