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ゴジラvsビオランテ】あらすじとその面白さ-出現する2人の芹沢博士-

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「ゴジラvsビオランテ」は1989年に公開された大森一樹監督による劇場作品である。

おそらく私が生まれて始めて映画館で見たゴジラ作品であり、子供の頃は随分と好きな映画であった。

今回はそんな「ゴジラvsビオランテ」をちょっと茶化しながら、その面白さを語っていこうと思う。

ポイントとなるのはどう考えても白神博士である。彼は極めて優秀な研究者であったが、それ故になんとも言えない空気を醸し出してくれていた

さて、白神博士のどこがそんなに面白かったのだろうか?

まずは映画のあらすじを振り返ってみよう。

以下あらすじと言っても全部話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください


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ゴジラvsビオランテ」のあらすじ(ネタバレあり)

ゴジラの予感

時は1990年。5年前に日本を襲ったゴジラの傷跡も表面上は癒えていた。

そんな折、ゴジラが眠る大島三原山の火山活動が活発化していることが確認される。時を同じくして、「精神開発センター」で超能力の訓練を行っていた子どもたちが、同時にゴジラの夢を見るという怪現象が発生した。

研究員だった大河内明日香は、自衛隊陸幕調査部から国土庁特殊災害研究会議に出向していた権藤一佐に協力を依頼し、精神科学開発センターで訓練を受けいている三枝未希、防衛庁特殊戦略作戦室室長の黒木特佐らと共に三原山の調査に向かう。

そこで三枝未希はゴジラの活動が活発になっていることをその超能力を持って感じ取とった。

権藤と黒木はその事実を首相に伝えるが「女の子の超能力」を本気で取り合うことはなかった。

抗核エネルギーバクテリア

首相の反応はいまいちであったものの、権藤と黒木はゴジラ対策へ動き出す。

彼らが目をつけたのが、筑波生命工学研究所の研究員 桐島一人が研究していた「抗核エネルギーバクテリア」であった。このバクテリアは核物質を餌とするバクテリアで、核エネルギーを餌とするゴジラに対抗する手段となり得ると考えられていた。

権藤と黒木は桐島に「抗核エネルギーバクテリア」の開発を依頼するが、桐島によるとバクテリアの開発にはゴジラ細胞と遺伝子工学の世界的権威である白神博士が必要であるという。

権藤達はすぐさま白神博士にバクテリア開発の協力を依頼するが、頑なに断られてしまう。

白神博士はかつて中東のサラジア国で研究生活を送っており、秘密裏に持ち込まれたゴジラ細胞の研究も行っていた。しかし、ゴジラ細胞研究の独占を企てるバイオメジャーの破壊工作によって娘 英理加を失ってしまった白神博士は、ゴジラ細胞の研究に強烈な拒否感を持っていた。

その夜、三原山で噴火。東京で中規模の地震が発生する。

そしてその翌朝、白神博士は突如として研究への参加を承諾。保管されている「ゴジラ細胞を」を一週間だけ自分に預けるという条件の下に。

ビオランテの出現とゴジラの復活

白神博士の参画により「抗核エネルギーバクテリア」の開発は進み、瞬く間に完成を迎える。

そんな中、首相官邸のFAXに謎の組織からの脅迫状が送られてくる。その脅迫状には「完成した抗核エネルギーバクテリアを渡さなければ三原山を爆破しゴジラを復活させる」とあった。

時を同じくして、芦ノ湖にバラの姿をした巨大生物が出現する。

その巨大生物は、白神博士がバラの細胞とゴジラ細胞を融合して生み出したものであった。

白神博士は英理加の死後、娘の細胞とバラの細胞を融合させて娘の遺伝情報を持ったバラを生み出していた。三原山の噴火による地震で、そのバラが壊滅的なダメージを負ってしまった。

娘とそのバラを同一視している白神博士は、更にゴジラ細胞と融合させることで「死なない植物」を生み出そうとしたのだった。

しかしその結果、巨大な「バラの怪物」が生まれてしまった。白神博士によるとその名は「ビオランテ」。

一方権藤と桐島は、首相官邸に脅迫状を送ってきた相手との取引に向かっていた。しかし、その取引が謎の第三者によって邪魔され「抗核エネルギーバクテリア」を奪われた挙げ句に、三原山の爆破が実行されてしまう。

噴火する三原山の火口から、ゴジラが姿を現すのだった。

本州へ向かうゴジラに対して自衛隊が攻撃を開始。新兵器「スーパーX2」を投入するもゴジラの進行を止めることはできなかった。

小田原に上陸したゴジラはビオランテのいる芦ノ湖へ向かう。同じ遺伝情報を持つもの通しが引かれ合ったようだった。

対峙するゴジラとビオランテ。互いの存在を否定するように対決が始まる。

しかし、ゴジラの圧倒的な力の前にビオランテは圧倒され、その放射火炎によって焼き尽くされてしまう。

戦いを終えると、ゴジラは駿河湾へ姿を消すのだった。

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対ゴジラ作戦

ゴジラの動きを追跡していた黒木は、ゴジラは伊勢湾に上陸すると予想。全戦力を差し向けた。

ところがゴジラは大阪湾に姿を表す。

大阪でゴジラを迎え撃つことが不可能だと判断した黒木はゴジラが向かっている思われる若狭湾に再び戦力を集結させる。黒木は市民の避難を急いだ。

一方、「抗核エネルギーバクテリア」を奪取したのがサラジアの手のかかったものであることをつかんだ権藤と桐島は、大阪市内でバクテリアの奪還に成功。大阪に上陸したゴジラに対してバクテリアを装填したロケット弾による攻撃作戦が展開される。

スーパーX2の誘導により作戦は見事に成功したが、権藤一佐が作戦に際して命を落とすこととなり、スーパーX2も破壊されてしまう。

ところが、作戦から14時間が経過してもバクテリアがその効果を発揮することはなかった。

最終決戦

桐島はゴジラの体温が想定よりも低いという仮説にたどり着く。

それを受けた黒木は「M6000TCシステム」を用いてゴジラの体温を上げる作戦を立案する。「M6000TCシステム」は人工的に発生させた稲妻による高周波で対象物を加熱するという実験システムであり、一言で言えば巨大な電子レンジであった。

黒木は若狭に「M6000TCシステム」を展開してゴジラを迎え撃つ。

この作戦によってゴジラの体温は確実に上がっていると思われたが、ゴジラの進行が止まらない。

そんな時、天から黄金の粒が飛来しビオランテが再び姿を現す。

その姿は以前に比べて禍々しく、そして凶暴になっていたが、ビオランテはゴジラによって再び倒されてしまう。

しかし、ビオランテとの戦いに時間を使ったゴジラに「抗核エネルギーバクテリア」の効果が現れ始め、ゴジラは海中に倒れ込む。ゴジラとの戦いに傷ついたビオランテも再び黄金の粒となって空へ舞い上がっていった。

すべての戦いが終わったに見えたその時、サラジアの工作員によって白神博士が狙撃され命を落とす。

桐島によってその工作員は追い詰められ、最終的には黒木が偶然に作動させた「M6000TCシステム」によって消滅する。

海中に倒れ込んだ事によって体温が下がってしまったゴジラは再び目を覚ましたが、海へと還っていくのだった。

ゴジラvsビオランテ」の面白さ

2人の芹沢と狂った白神博士

前作「ゴジラ(1984年)」は、それまでのシリーズで歪みに歪みきったゴジラを「初代ゴジラ」のそれに戻す作品であった。

特に「核」を全面に押し出すことに酔って「ゴジラ」というものがどういうものだったかを思い出す物語となっている。

しかし、あの作品には決定的に書けている要素がある。つまり、芹沢博士がいない。

「いやいや林田博士がいたじゃないか!」と言いたい人もいるだろうが、残念ながら彼は芹沢博士ではない。なぜなら彼には狂った部分がないから。

林田博士も自らの両親を殺したゴジラを憎しみながら愛してしまうという複雑な心理の持ち主であり「芹沢的」ではあった。実際、カドミウム弾を撃たれて倒れたゴジラに対して「死ぬはずがない」といった林田博士の姿を見ると、彼の中にあるアンビバレントな思いを見て取ることができる。ただ、少々わかりづらいという問題はあったと思われる。

芹沢博士を語る上で大事なのは、戦争のために大きな痛手を負っていながらその優れた頭脳を使って作ってしまったものが「オキシジェン『デストロイヤー』」であったことだろう。

彼は戦争の持つ攻撃性を呪いながら、自らの研究室で夜な夜な「デストロイヤー」を作っていたのである。

もちろん「攻撃性に対する攻撃性」と見ることもできるのだが、彼は自分の作ってしまったものに対する悲しみも持っている。

その上で「元」婚約者との人間関係も関わってきており、その状況はなかなかに複雑である。

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この前提のもとに、「ゴジラvsビオランテ」は前作で描ききれなかった「芹沢博士」を桐島と白神という2人の人物に分割刷ることによって実現しようとしたのではないだろうか。

白神博士には芹沢の「マッド」な部分を代表させて、桐島には芹沢が持つ科学者としての「良心」を代表させた。

結果的に、ゴジラ史上最も狂っていると言って過言ではない白神博士が誕生したのである。

桐島の台詞が我々にとって極めて受け入れやすいという事実と対称に、白神博士の言動は極めて狂っている。

そもそも、不幸な事故によって命を失った自らの娘の細胞とバラを融合させて(どうやって融合したのかは分からんが)、それを娘として扱っている時点で狂っている。

ただ、やはり不安はあったので「超能力」に頼ったのである。そこに娘がいることを確信したくて(この辺は普通だよね)。

こういう心理は、子どものいる人ならもしかしたら理解できるのかもしれないが、そうでない私にとっては未だに受け入れるのに厳しいところがある。

いずれにせよ、白神博士は極めて狂った、そして「純粋な」科学者として描かれている。

そして、少々うがった見方をすると、白神博士は「娘の死」を免罪符として自らの暴走を合理化していたように思えなくもない。

もちろん深い悲しみはあったのだろうが、何しろ判断が早い。

彼はバラが瀕死の状態になった瞬間にゴジラ細胞と融合させることを思いつく。その前から心の何処かで「融合させたいな~」と思ってたんじゃねえかな?

そういう自分の中にある邪な思いに気がついていたために、抗核エネルギーバクテリアの開発を依頼しに来た黒木と大河内に僅かに起こって見せたのだろう。

しかし、そういった錯誤した部分を見せながらも、妙な純粋さを持つ白神博士は、映画の中で寧ろファニーな存在になっていく。

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どうしても間抜けで、もはや可愛らしい白神博士

根本的なところで狂ってしまっていると思われる白神博士だが、彼は極めて間抜けな台詞達を残してくれている。例えば:

  1. 「自己再生能力のある遺伝子もったゴジラ細胞で、永遠の命をもつ植物を作ったつもりだった」「ひょっとすると、大変なことになるかもしれない
  2. 「あれはただの植物ではない。ビオランテだ。北欧の神話に出てくる植物の精霊。あの植物には、人間の心が、宿っている。」
  3. 「あなた方はいつも自分達に理解できないという理由だけで反対するだけだ。将来のことも考えずに!」

1つ目は、白神博士の自宅兼研究所にバイオメジャーの手先が押し入り成長途中だったビオランテの手によって殺された次の日の朝、切断されたビオランテの触手の一部を手に取りながら白神博士が放った台詞。

「ひょっとすると」じゃねえんだよ。とんでもなく成長した触手を見ればその後どうなるかは彼にとっては明らかだっただろう。もちろん、彼は「科学者」なので確認していないことを断言はしない。そういう倫理観があるなら是非ともビオランテを作らないでほしかったものだが彼はやっちゃうのである。

そして、この台詞を放つときの無表情がなんとも間抜けである。近くにいた桐島は一発ぶん殴りたい衝動に駆られたことだろう。「科学者としての責任感はないのか!」と。

2つ目は、芦ノ湖にビオランテが出現した際に、桐島や大河内 明日香の前で平然と放った台詞である。

まず第一点。「名前つけてたんだ~」って思わないかい?自分が作り上げたものに名前をつけるあたり、やはり娘を失った悲しみ以外に科学者としての欲求と名誉欲があったことが見て取れる。

しかも、「人の心」なんてこともいってしまう。それいっちゃたらなにをしでかしたか分かっちゃうじゃん!でも彼は言いたかった。ここにもやはり「自分がしでかしたことを公表したい」という科学者としての名誉欲が見え隠れする

ここまで来ると、彼が娘の細胞とバラの細胞を融合させたことが悲しみ故の事だったのか本当に疑いたくなってくる。

そして3つ目。これは分かりやすいだろう。どの口が言ってんだって話だよな。将来のことも考えなかったから巨大生物としてのビオランテが出現してしまったし、なによりも大事なことは「英理加は苦しんでいる」ということだろう。「明日香、お願い、助けて」と語った三枝未希の言葉に白神博士はなにを思ったのだろうね。

一方、この台詞を擁護することは可能である。

彼は何故サラジアにいたのだろうか?それはもちろん砂漠の緑地化を研究していたからなのだが、彼の研究やその志が日本国内で理解されなかったという過去があったと予想される(というかそういう意味で白神博士に怒らせたというのが作品的な意図だろう)。

それでも、極めて優秀であったが故に、海外でポストを得ることができた。

「砂漠の緑地化」については個人的に必ずしも良いこととは思っていない。「緑」があることを良いと思うのは十分に「緑」がある地域で生まれ育った人間の傲慢である。

サラジアのモデルとなったと思われるサウジアラビアは砂漠の国である。そこには明確に人の営みがあると共に、人間以外の生態系も存在している

そこを緑地化してしまったら砂漠としての生態系が破壊され、そこにいた生物が行き場を失うだろう。それは良いことか?

このように彼の発言を擁護することはできるが、表面上は「どの口が!」となっている。

ビオランテを生み出したこと、そしてそこに娘の遺伝子があったことは、もしかしたら「自分を認めなかった日本」への復讐戦だったのかもしれない。

しかし、彼の発言を表面的に擦る限りにおいて、極めて間抜けで、もはや愛らしいマスコットのようにも思える。

皆も彼の発言に笑っただろ?

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おまけ:なんの役にも立たない超能力

「ゴジラvsビオランテ」の特徴といえば、突如現れた「超能力」だろう。

突如現れたのだから物語に深く食い込んできそうなものなのだが、この「超能力」は笑ってしまうほどに役に立たない。

三原山に眠るゴジラの覚醒を感じ取っても無視されるし、ゴジラが大阪に上陸することを止めることもできなかった。

三枝未希が成し遂げたことは「ビオランテ」の中に白神英理加の思いが残っていることを証言したことである。

ただそれも三枝にしか分からないことであり、分からなくても物語が進む。しかも、分からない方が物語には深みが出る。そんなことになっていたら、ビオランテに英理加の心が宿っているという白神博士の発言が単なる妄想かどうかで未だに激論がかわされたことだろう。

しかし、このなんの役にも立たない「超能力」は物語の外側で強烈にその効力を発揮していた。つまり、少年だった私の心に突き刺さっていた。そしてそれは私だけではなかっただろう。

この映画は1989年に公開されており、90年代の第2次オカルトブームの先鋒を担った作品の1つだったと思われる。

少年だった私は、「UFO」だの「超能力」だの「学校の怪談」だのに随分とハマっていた。

所謂「正月映画」だったこともあり、子供を楽しませるという側面は大いにあったと思われる。そのために「超能力」を使ったとしたら見事なものである。そして、本当にそうだっただろう。

物語上は全く役に立たないし、必然性がないのだが、少年の心を満足させてくれたという点を考えれば、とても重要な要素だったとも言えるのではないだろうか。

皆もゴジラの夢を見たいと思っただろ?


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この記事を書いた人

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Sifr(シフル)
北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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