実写映画「るろうに剣心」は2012年から2021年にかけて全5作が制作された大友啓史監督による「るろうに剣心」の実写映画化作品である。
私の世代において「るろうに剣心」という作品ははっきり言って「常識」であり、この話題についていけないなどということは本来あり得ない。しかしそんな不可能を私は可能にしていた。
私がしっている「るろうに剣心」はたった1ページで、主人公格でもない連中が「ちゃうちゃうちゃうん」と言っていた。私はそこで漫画を閉じた。
そんな私にとって実写映画版の「るろうに剣心」の制作発表はまさに天啓であった。今から漫画を読むのもアニメを見るのも面倒だと思っていた私は「実写版を見て物語だけでもしっておこう!」とこすいことを考えたのである。
ただ、結果としてはそういった邪(よこしま)な考えとは裏腹に、非常に面白かった。原作の優れた物語もその理由の一つではあろうが、純粋に映画として楽しむことができた。
今回は原作を1ミリしか知らない私なりに、実写映画版「るろうに剣心」で学んだ「るろうに剣心」の面白さと、私が感じた実写映画としての面白さを語っていこう。
ただ、結局私は少々こすいことをしてしまったということを告白しなければならない。実写映画版の「るろうに剣心」を公開順に並べると、
- 「るろうに剣心」,2012年8月25日
- 「るろうに剣心 京都大火編」,2014年8月1日
- 「るろうに剣心 伝説の最後編」,2014年9月13日
- 「るろうに剣心 The Final」,2021年4月23日
- 「るろうに剣心 The Beginning」,2021年6月4日
となっているのだが・・・結局私は「The Beginning」を見ていない。
これにはきちんと理由があるのだが、それは記事の最後に「おまけ」として書くことにする。とりあえずは、実写映画版「るろうに剣心」のあらすじを振り返ることから始めよう(「The Beginning」は見ていないので省略)。
実写映画版「るろうに剣心」のあらすじ
第一作「るろうに剣心」のあらすじ
邂逅
時は明治11年(1878年)。
戊辰戦争、廃刀令、西南戦争を経た明治新政府は、迫りくる列強の驚異に備えるため、国体の強化と安定に苦心していた。
そのような情勢下、時代をつかんだ商人武田観柳(たけだかんりゅう)は、新型アヘンを密造しその流布と国家転覆を画策していた。
新政府も新型アヘンの出現を察知し潜入捜査を行っていたが、「人斬り抜刀斎」を名乗る剣客に殺害される。
一方その頃、物語の主人公緋村剣心(ひむらけんしん)は、「神谷活心流(かみやかっしんりゅう)」の師範代の神谷薫(かみやかおる)と邂逅する。
その場は分かれた二人だったが、薫にしずかに危険が迫っていた。
発端
観柳のもとでアヘン製造を手伝わされていた医師高荷恵(たかにめぐみ)は観柳のもとを逃げ出し警察に駆け込んでいた。観柳の指示でそれを追ってきた「人斬り抜刀斎」は警察署を襲撃し恵奪還を図る。
偶然にも警察官を襲う「人斬り抜刀斎」を目撃してしまった薫はその生命を狙われる。そこに現れた剣心の助けもあり、二人は難を逃れ薫の道場になんとか逃げ切ることができた。
翌日、薫の道場に土地を譲るよう要求する暴漢が現れる。彼らもまた土地を欲しがる観柳の手のものだった。
そこへ現れる剣心。
彼は刹那のうちに圧倒的多数の暴漢を打ちのめし、薫の窮地を救ったが、タイミング悪く景観があらわれる。「喧嘩両成敗」と暴漢とともに剣心も連行されてしまう。
連行された剣心は、山県有朋と斎藤一らにアヘン密造の捜査に協力するよう要請された。
彼らは緋村剣心こそが幕末に名をはせた真の「人斬り抜刀斎」であることを知っていたのだ。しかし、鳥羽・伏見の戦いの後「不殺(ころさず)の誓い」を立て、逆刃刀をもちあるく剣心は彼らの要求を断った。
剣心は自らの信念のためにその決断をしたのだが、後日、「人斬り抜刀斎に」再び警官が斬り殺される。その亡骸に泣き崩れる遺族の姿に、彼はかつての自分の犯した罪を思う。それは彼の頬に刻み込まれた十文字の傷にまつわる記憶だった・・・。
そんな折、観柳からの追手から逃げていた恵は、運命に吸い寄せられるように薫の道場にたどりつく。のっぴきならない状況を察した薫は恵みを受け入れるのだった。
しかし再び悲劇がおそう。道場のある町の井戸に毒が入れられる事件が発生し、人々が瀕死の状態に陥ってしまった。優れた漢方医であった恵は、すぐさまその治療に専念し、超人的な仕事によって人々は皆一命をとりとめることができた。
そんな大仕事の後、剣心は恵の過去を知らされる。
彼女にはもはや身寄りはないこと、生きるために観柳の愛人でいた事、過酷な状況下でアヘンの密造に手を貸していたこと・・・。
涙ながらに語る恵のすがた、そして疼く頬の十字傷に誘われて、剣心は観柳打倒を決断する。
決戦
そんな剣心の思いを知ってか知らずか、恵は観柳を暗殺すべく、一足先に道場を去っていた。その事実を知った剣心は、仲間の左之助(というか食事処で喧嘩をふっかけられて知らんうちに仲間ということになっていた左之助)とともに観柳亭を目指す。
観柳を守る用心棒たちの苛烈な抵抗にあいながらも、観柳を斎藤に引き渡すことに成功する。また、恵の救出にも成功したのだが、状況はまだ終わっていなかった.
「人斬り抜刀斎」を語っていた鵜堂刃衛(うどうじんえ)が、剣心との本気の対決をするために薫を誘拐していることを知る。
薫を助けに向かう剣心だが、「不殺の誓い」の中にある剣心は、かつての人斬り抜刀斎としての力を出せず刃衛の猛攻に耐えかねていた。
そして誰よりも「人斬り抜刀斎」との戦いを望んでいた刃衛は、薫るに「心の一方」なる術を掛け、彼女を呼吸困難に陥らせる。
術者を倒す以外に手がないと悟った剣心は、隠された真の力を発揮し「飛天御剣流(ひてんみつるぎりゅう)」抜刀術「双龍閃(そうりゅうせん)」によって刃衛を打倒する。
薫を救うために「不殺の誓い」を破り最後の一撃を与えようとする剣心。そんな剣心を出ないはずの声を振り絞り薫が制する。
その姿みた刃衛は、自ら命を断つのだった。
薫の救出に成功した剣心。今後彼を待つ運命とは裏腹に、ほんの僅かな平穏を手に入れた。
第二作「るろうに剣心 京都大火編」のあらすじ
京都へ
観柳打倒からの暫くの間、剣心と薫は混乱の中で出会った仲間とともに平穏な日々を送っていた。
剣心の噂のおかげもあって、閑古鳥の鳴いていた「神谷活心流」の道場も活気を取り戻していた。それは剣心の力ばかりではなく、「人を活かす剣」という流派のあり方が新時代と呼応したのかもしれない。
そんな剣心が内務卿大久保利通から召還される。不穏な空気の中剣心はそれに応じ、左之助とともに大久保のもとへ向かった。
剣心はそこで「志々雄真実(ししおまこと)」が京都に現れたと知らされる。
志々雄は剣心が行っていた暗殺業を継いだ男であり、剣心にまさるとも劣らない剣客であった。
剣心と同じく維新側として鳥羽・伏見の戦いに参戦した志々雄だったが、その凶暴な性質故に、戦いの勝利後、お役御免とばかりに仲間からめった刺しにあい、その身を焼かれていた。それは志々雄が行った新政府の隠すべき所業を隠蔽するためでもあった。
そんな志々雄は奇跡の復活を果たし、今度は打倒新政府のために暗躍していたのだった。
多くの勢力を取り込む志々雄の存在を新政府も追っており、何度となく討伐隊を差し向けたがそのすべてが壊滅していた。
手をこまねいた結果、政府は剣心に志々雄暗殺を依頼したのである。もちろん魅力的な報酬が用意されていた。その中には、新型アヘン製造に関わっていた恵の無罪放免も含まれていた。
その事実を知った、恵本人を含め、薫、左之助は政府の言い分に反発した。後日、結局剣心本人も断るつもりで大久保のもとへ向かったのだった。
そんな折、内務卿大久保利通が志々雄の部下に暗殺される。しかしそれは志々雄の所業の一端に過ぎなかった。
志々雄の手によって、多くの警官が殺され、大久保の暗殺の日に合わせて内務省に送りつけられていた。
その亡骸を前に泣き崩れる家族の姿を目にした剣心は、京都に向かうことを決心する。
ファーストコンタクト
剣心が東京をあとにしてすぐ、剣心を探す謎の男が左之助の前に現れる。剣心に置いていかれたことにむしゃくしゃしていた左之助は、その男に喧嘩を仕掛けるが、ものの見事に返り討ちにあってしまう。
一方その頃剣心も、京都への旅の途中に刀泥棒にあう。その泥棒は常人とは思えぬ身のこなしで刀を剣心から奪い去ろうとするが、さすがはかつての人斬り抜刀斎。その泥棒は観念した。その泥棒は女であった。
そんな最悪の出会いを果たした二人のもとに、必死に助けを乞う少年が現れる。その必死の姿に何かを察した二人は、その少年に導かれるままに彼の村に向かった。
しかし、村ではすでに少年の両親が縛り首にされていた。どうやら「村の情報」を漏らそうとしたことが原因らしい。その事実を誇らしげに、そして威圧的につげた怪しげな男どもを、剣心は刹那のうちに打倒した。彼らは志々雄の手のものだった。
そこに志々雄の手下瀬田宗次郎(せたそうじろう)が現れる。彼は大久保を暗殺したお事でもあった。彼に導かれるままに、剣心は志々雄のもとへ向かう。
剣心はそこで志々雄を打ち倒そうするが、志々雄は宗次郎を差し向ける。
宗次郎の腕は一級のもので、現状の剣心を凌駕してしまった。
戦いの後に残ったのは、折れた逆刃刀だけであった。
御庭番衆
逆刃刀を失った剣心だったが、旅を続けた剣心はようやく京都に辿り着く。
そこで再び女泥棒・巻町操(まきまちみさお)と再会を果たす。彼女は有無を言わせず剣心を料亭「葵屋」に連れ帰った。剣心と経験した事件の中で彼が「人斬り抜刀斎」であることを知った操は、彼を探し求めた「葵屋」の主人に引き合わせたのだった。
その主人を始めとする料亭の面々は、かつて京都御庭番衆として幕府のための隠密行動を行っていた人々であった。操もその一人である。
料亭で働く人々は、倒幕と同時に、その役目を終えて料亭家業を本業として生きていた。しかし、歴史の影で封殺されてしまった仲間も確かに存在していた。
江戸城隠密御庭番衆の頭、四乃森蒼紫(しのもりあおし)もその一人である。
人斬り抜刀斎と並ぶ剣客であった蒼紫は、無血開城とともに抜刀斎との対決の機会を失ったばかりでなく、彼の部下は口封じのために幕臣らの手によってころされてしまったのである。
目的を失った蒼紫は、打倒抜刀斎だけをその生きる糧としてさまよっている。そんな蒼紫の現状を知らない操は、いまでも彼をしたい続けていた。
その事実を知った剣心だが、彼の目的は志々雄であった。剣心は失われた逆刃刀の代わりを求め、その作者新井赤空(あらいしゃっくう)を探す。かつての京都御庭番衆も剣心の手助けをした。
その裏で、志々雄は彼の最も強力な部下「十本刀」を招集していた(宗次郎もその一人)。剣心が京都入している情報もすでに志々雄のもとに届いており、逆刃刀の代わりを求めているであろうことも気づかれていた。
その事実を知った「十本刀」の一人にして刀狩りの沢下条張(さわげじょうちょう)はある噂を思い出し、剣心を追った。
真打
逆刃刀の代わりを求めた剣心だったが、その作者新井赤空はすでにこの世を去り、息子の青空(せいくう)があとを継いでいる状態だった。そしてその息子も廃刀令が敷かれた状況で、方を打つことをやめ、包丁などを制作していた。
自らが望むものは手に入らないと悟った剣心は、新時代を懸命に生きようとする青空のもとを静かに去った。
剣心が去った後、十本刀の条張は現存すると噂される赤空最後の作品を求めて青空のもとを訪れた。しかしその存在すら認めない青空に、条張は子供を人質に取り、その最後の一振りを強奪することを試みる
その事実を知った剣心は青空の子供救出に向かうが、さすがの剣心も折れた逆刃刀では条張の攻撃を交わすのが精一杯だった。
苦戦する剣心の姿を目にした青空は、神社に奉納されていた赤空最後の一振りを剣心にわたす。子供の命を守るため「不殺の誓い」を破る決断をした剣心は、必殺の抜刀術で条張を打ち倒す。
剣心を追っていた薫に偶然にもその姿を見られてしまったが、驚くべきことに、赤空最後の一振りも逆刃刀であった。彼は「不殺の誓い」を心では破ってしまったが、実際には破らずにすんでいたのである。
人を殺す刀ばかりを作り続けた赤空が平和への祈りを込めて最後に打った御神刀が逆刃刀であった。通常二振り作られる御神刀のうち、出来の良い方を「真打」とよび髪に奉納し、もう一方を「影打」と呼び、人に譲ることがあるという。
剣心が手にしたものは「逆刃刀・真打」であった。
戦いの準備を整えた剣心だったが、志々雄もまた、打倒新政府の作戦を開始していた。
フェイク
警察に捉えられた条張は、志々雄の目的が京都を焼き尽くすことであることを告白する。
志々雄の野望を打ち砕くべく、剣心、御庭番衆、そして警察が動き出す。
京都に現れた志々雄の大群との苛烈な戦いが始まった。剣心たちが新時代を守る戦いするさなか、時代に取り残された男蒼紫が料亭の主人の前に現れた。
しずかに、そして懸命に蒼紫を諌めようとする主人だったが、彼の心を変えることはできず、直接対決を余儀なくされる。
善戦した主人だったが、抜刀斎と並ぶと称された蒼紫の前に辛くも敗れ去ってしまう。そしてそれを目撃した操は、全てが変わってしまったことを悟る。
時を同じくして、志々雄の軍勢との戦いも、剣心らの勝利で終わりを告げようとしていた。
しかし、剣心は志々雄がどうやら不在であることに違和感を覚える。志々雄なら焼き尽くされる京都の姿をその目に焼き付けないはずはないと。
その違和感は極めて鋭いものであり、志々雄の真の目的は京都を焼き尽くすことではなく東京を攻撃することであった。それに気づいた剣心だったが、薫を誘拐した宗次郎の乗る馬が剣心の前を走り抜ける。
薫を救出するために宗次郎を追った剣心は、志々雄が隠し持っていた軍艦にたどり着く。
その甲板で志々雄との決戦が始まったが長くは続かなかった。
海に落とされた薫を追い、剣心も海に飛び込んだ。荒れ狂う海の中で薫を探す剣心だったが、彼は知らぬ間に浜辺に打ち上げられていた。
そこに薫の姿はなかったが、謎の男が剣心を抱えて連れ帰ろうとしている。
彼は一体何者か?
第三作「るろうに剣心 伝説の最後編」のあらすじ
要求
薫を救うべく志々雄の軍艦から海に飛び降りた剣心だったが、無念にも薫をその手につかむこと無く気を失ってしまった。
謎の男に運ばれ布団に寝かしつけられた剣心。彼を発見したのは師匠比古清十郎(ひこせいじゅうろう)であった。
気が付いた剣心は薫の姿を探すが、3日も寝たままだったこと、彼の逆刃刀以外浜辺には何もなかったことを聞かされ絶望する。
剣心は薫の死を覚悟するとともに志々雄への復讐を決意し、誠十郎に飛天御剣流奥義の伝授を願い出る。
一方その頃、東京にたどり着き作戦を開始した志々雄は、「軍艦」という圧倒的な存在を盾に、内務卿伊藤博文との会合を果たしていた。
志々雄の要求は、人斬り抜刀斎の首と新政府が隠蔽してきた悪行の暴露であった。志々雄後を恐れた政府は、すぐさま剣心を指名手配するのであった。
新政府の理不尽な手配に左之助らは動揺するが、そこに吉報が伝えられる。薫は偶然通りかかった漁船に救助され、都内の病院の搬送されていた。彼女は気を失いながらも無事であった。
飛天御剣流奥義
薫の無事を知る由もない剣心は、師匠誠十郎から修行を受けていた。
奥義伝授の願いを素直に受け入れた誠十郎だったが、「自由の剣」にして「決して権力に与しない剣」である「飛天御剣流」の力を新政府側として振るった剣心を、彼はまだ許してはいなかった。
それでも剣心を攻め立てながらも諭すように再び修行をつける誠十郎。その修業の中で再び自分を見つめる剣心。
清十郎から「自らに欠けているもの」を見つけ出すように命じられた剣心だったが、それを見いだせぬまま誠十郎との最後の修行に望む剣心。
真剣を交える修行の中で、剣心は失っていた「死の恐怖」を取り戻す。それこそが剣心に欠けていたものであり、それに打ち勝つ「生きる意思」こそが奥義を切り開く鍵であった。
再び剣を交える剣心と誠十郎。剣心はついの飛天御剣流奥義を会得したのだった。
そんな剣心のもとに「薫無事」の吉報が操から伝えられると共に、指名手配の事実も剣心は知ることとなる。
剣心は、京都御庭番衆が利用してきた抜け道を進み、東京を目指すのだった。
そんな剣心の前に、抜け道の存在を知る四乃森蒼紫が彼の前に現れる。
しかし、清十郎との修行を終えた剣心にとって「守るもの」を失い「生きる意思」を持たない蒼紫はもはや敵ではなかった。
手負いの蒼紫を操に託し、剣心は東京に足を進める。
決戦前夜
薫の道場にたどり着いた剣心は、そこに現れた警察に逮捕される。
警察署内で伊藤博文から「生贄になれ」と無慈悲にも告げられる剣心だったが、「志々雄に対して勝機あり」を告げた剣心に、最後のチャンスが与えられた・・・。
志々雄の軍艦が停泊する浜辺で、人斬り抜刀斎の斬首刑が執り行われる。薫や左之助を始め多くの人々が見守る中、彼が新政府のために暗殺した人々の名前が読み上げられ、介錯人が動き出す。しかし、その一太刀が切り裂いたものは剣心の首ではなく、彼を縛る縄だった。
自由の身となった剣心は、志々雄らとの最終決戦に挑む!
決戦
警察の手を借り軍艦に乗り込む剣心。
彼の目の前に再び十本刀の宗次郎が現れる。一度は敗戦を喫した相手ではあったが、もはや剣心の敵ではなかった。瞬く間に宗次郎を打倒した剣心は志々雄のもとへ走る。
志々雄との決戦に挑む剣心だったが、志々雄後からは想像を絶するものであった。
志々雄は剣心のみならず、そこへ現れた斎藤一、左之助、蒼紫ら総勢四人の男を同時に相手にしながらも容易く圧倒してみせた。
満身創痍の剣心。
決定打に欠けるその対決を終わらせたのは、飛天御剣流奥義「天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)」。ついに剣心は志々雄に勝利した・・・。
浜辺に帰った剣心らを伊藤博文が出迎える。
「ごくろうだった」と一見冷淡な態度であったが、さらに「人斬り抜刀斎は死んだ!」と宣言される。
志々雄と共に幕末の亡霊は成仏した。
生き残った緋村剣心に、平穏な日々はやってくるのだろうか。
第四作「るろうに剣心 The Final」のあらすじ
暗雲
明治12年。斎藤一は横浜駅停車中の汽車の車中、志々雄に軍艦を売った上海マフィアの頭目を警官隊と共に包囲していた。
その男は見事な体術で一度は包囲網の突破を試みるが、何故か最後は観念しお縄となった。
後日、清国と交わした日清修好通商条約に基づく領事裁判権により、その男は結局清国に引き渡された。この一連の流れこそが男の目論見であり、現状に対する最大限の皮肉であった。
一方、つかの間の安らぎを得ていた緋村剣心の近くにも魔の手が忍び寄っていた。
薫や左之助と牛鍋を楽しんだ剣心たちだったが、その帰路、彼らがあとにした牛鍋屋が何者かに砲撃を受け全焼する。
その直後、警察署長浦松の自宅と、前川宮内の道場が襲撃を受ける。剣心や左之助の活躍により状況は沈静化したものの多くの犠牲が払われた。
その夜の事件を首謀したのは、斎藤が逮捕した上海マフィアの頭目にして緋村剣心の義弟・雪代緑(ゆきしろえにし)であった。
事件の後、剣心の前に現れた緑は、姉を殺害した剣心に対する積年の恨みを晴らすことが彼の犯行動機であることを告げられる。縁は剣心のみならず、剣心が関わるものすべてを憎んでいた。
自らが犯した罪を突きつけられた剣心は、悲嘆に暮れて薫の道場に戻る。
そんな剣心とは裏腹に、緑は着々と東京襲撃作戦を進めるのであった。
雪代巴
焦燥する剣心の姿にただならぬものを感じる薫達だったが、その尋常ならざる様子に誰一人声をかけることができなかった。
それでもなお意を決した剣心は、すべてを語り始める。
昨晩の事件の首謀者は義弟・雪代縁であること、彼にはかつて雪代巴(ゆきしろともえ)という妻がいたこと、その妻を自らの手で惨殺してしまったこと。そしてその事実が縁の犯行動機であること。
剣心は深い自責の念を感じていたが、薫を始めとしる仲間たちは剣心を受け入れるのだった・・・。
道場を出て物思いに耽る剣心。そんな夜、再び事件が発生する。
東京襲撃
東京上空を気球に乗って移動する縁。再び行われる砲撃とともに、縁の東京襲撃作戦が開始された。
急ぎ道場を目指す剣心だったが、縁の同士鯨波兵庫(くじらなみひょうご)がその前に立ちふさがる。その姿は右腕を機関銃化した異形のそれであった。
苛烈な銃撃を交わしながら決定打を打ち込む剣心。倒れ込む兵庫の口から彼の動機が語られる。
縁を始めとする今回の事件の犯人らは、維新の戦いを「生き残ってしまったもの」だった。そこで死ぬはずだった彼らはその人生を呪いながら生き、いつしか死に場所を求めるようになっていた。
そんな彼らは維新の戦いを終結させ、彼らから死に場所を奪ったものの象徴として剣心に憎しみをぶつけていた。彼らの犯行動機も結局は剣心への恨みであった。
逆恨みでしかない犯行動機ではあったが、彼らが本当に望んでいたのは剣心の打倒ではなく、むしろ剣心に殺してもらうことであった。
倒れ込む兵庫の「殺してくれ」の懇願を、剣心は無惨にも一蹴する。「不殺の誓い」の中にある剣心は、決してその誓いを曲げることはなかった。
逮捕される兵庫を残し、剣心は道場へ走る。
一方その頃、混乱に乗じて道場を襲撃した縁は薫の誘拐に成功していた。
道場に戻り誘拐事実を知った剣心は、そこに残された覚書を発見する。それは縁が残した剣心に対する挑戦状であった。
翌日。荒らされた道場の状態が落ち着いたことを確認した剣心は、縁との決着をつけるべく動き出す。
最終決戦
覚書に記された場所に到着した剣心。彼の前に立ちふさがる縁の軍勢を突破し、縁との再会を果たす。対話を試みる剣心だったが、もはや刃を交える他なかった。
壮絶な戦いは圧倒的な殺意をもつ縁の優位に進んだが、決定打にかけていた。
そんな中、縁の同士が放った一発の銃弾が剣心に命中した。
そこに現れる薫。
次の銃弾が薫を襲うと思われた刹那、縁は薫かばい被弾する。かつて姉の巴が剣心をかばったように。
冷静さを取り戻した縁は復讐を断念。警察に逮捕されるのだった。
祭りのあとに
戦いを終えた剣心は、薫と共に巴の墓前にいた。
縁に命を救われた事実をその感謝の念を伝える薫。
かつて与えてくれた幸福への感謝を伝えると共に謝罪する剣心。そして巴に「さよなら」を伝える。
剣心は薫の手を取るのであった。
おしまい。
「るろうに剣心」の面白さ
ここからは原作を一ミリしか読んだことのない私が実写版から学んだ「るろうに剣心」の素晴らしさと、映画としてのすばらしさついて語っていこうと思う。
完璧な時代設定
第一に素晴らしいのは完璧な時代設定だろう。
剣心が活動している時代は、西南戦争(1876年)も集結し廃刀令(1877年)も発布されたあとの明治11年(1878年)。第一回の衆議院選挙(1890年)が行われるまでにたった本の12年であり、その4年後には初の対外戦争(日清戦争)を経験し勝利している。
教科書的には一瞬の出来事であり、さぞかし順風満帆な日々であったろうと感じてしまうのだが、「るろうに剣心」という作品はフィクションを用いてその時代に切り込んでいる。
「るろうに剣心」という物語の終演後も、明治政府は
- 憲法草案を作成し、
- 衆議院選挙を実施し、
- 対外戦争を出来るほどの軍備を整備する
という一大事業を控えている。この大事業の裏でも明治政府は後ろ暗いことをしていたに違いない。それが幕末の混乱期ならなおさら。
実際の暗殺も多く記録に残っているし、そういう暗殺を抜刀斎の仕事として集約しているということなのだろう(剣心のモデルは実在の人物にして「幕末四台人斬り」に数えられた河上彦斎なる人物だそうな)。そんな剣心は物語中、幕末から明治という時代の動乱の中で生み出された暗部(取り残されたもの)を打ち払う存在として活躍することになる。
そして志々雄真実が「取り残されたものの権化」として剣心の前に立ちふさがる。
志々雄真実という「怨霊」
志々雄真を殺すということ
原作でどのように描かれているか分からないのだが、実写映画版で描かれた志々雄の過去はとんでもなくひどいものであった。
彼も剣心同様に維新の志士であったのだが、その凶暴な性質故に、鳥羽・伏見の戦いの勝利の後に味方にころされてしまう。
しかもそのやり口が
- 複数人で滅多刺しにした挙げ句、
- 他の亡骸とともに焼く
という極めて凄惨なものだった。ところがそんな志々雄は焼かれた死体の山から生還を果たし、新政府転覆のために策謀を巡らす事となる。
さて、「るろうに剣心」という作品は「斬られた人間は死ぬ」という極めてまっとうな世界観で成立している。
剣心を始め、人間離れした剣技を持った人々も斬られればきちんと死ぬのである。ところが志々雄はそうなってはいない。それはなぜか?答えは一つしかないだろう。つまり、
「志々雄真実は怨霊である」
ということである。
しかも彼は単に個人としての怨霊ではなく、旧幕軍を始めとする、幕末に死んでいった者すべての無念の集合体としての怨霊になっている。そりゃあ手強いはず。
結局剣心の仕事は志々雄真実という「個人を殺す」のではなく、明治という新時代にまでのこってしまった「怨霊を祓う(はらう)」ということだったのだろう。
旧幕府軍として死んでいった者たちは「旧世代の遺物」として忘れされるべきものとして扱われるし、維新側あるいは新政府軍側として戦ったものも「新時代の礎」と讃えられながらも、結局忘れ去られるのである(西南戦争で戦った者たちもそうだろう)。
そんな忘れ去られる者たちの思いというものを、剣心自身深く理解できるものであっただろう。それでもなお、剣心は大切な人々を守るためその身を粉にして志々雄真実という「怨霊」を打ち払った。
「生き残ってしまった者」である剣心としては、なんとも辛い決断であったことだろう。
生き残ってしまった者の戦い
このように考えると、「るろうに剣心」という物語は志々雄真実を打ち払った時点で終了している。ところが映画はその後二作品が作られている。
ひとつはその後を描く「The Final」、もう一つは過去を描く「The Beginning」。
「るろうに剣心」とう物語が終わっているのにもかかわらず、何故この二作品が必要なのか?答えは簡単で「剣心が自分自身を見つめる個人的な物語」が必要だからである。
志々雄を倒すまでの物語は、「時代vs時代」というような大きな枠組みの中、今を生きる者達と死んでいった者達との対立を描いているが「The Final」は酷く個人的な物語である。
剣心の前に立ちふさがる雪代縁(ゆきしろみどり)は東京を焼き尽くそうとするが、その理由は剣心本人に対する恨みである。
緑の協力者たちも、「時代をひっくり返す」とか「国家転覆」と言ったでかいことを考えているわけではなく、死に場所を探しているにすぎない。そして、本来の自分たちの死に場所であったはずの戦乱を終結させた者の象徴として彼らは人斬り抜刀斎を追い、殺してもらおうとしている。それが狂った逆恨みあることを知りながら。
そんな「生き残ってしまったもの」を剣心は逆刃刀で退治し「それでも生きろ」と言い放つ。大事件を発生させて、あの時代の警察に逮捕された人間が生きる未来などあるはずもないのに。
なんとも残酷な話ではあるのだが、ここでもやはり「個人vs個人」が描かれている。つまり「殺してほしいという個人的な願い vs 不殺という個人的な誓い」である。
結果として「不殺の誓い」が剣心にとってそれほどまでに大切な近いであることを再び我々は認識する。彼は極めて個人的に、ある意味わがままに戦っている。思えばずっとそうだったのだけれど、ここで再びそれが強調されるのである。
そして、志々雄真実を打倒するまでは「剣心」という登場人物は主人公でありながらも「るろうに剣心」という大きな物語の「駒」となっていたこともわかってくる。彼の全ては志々雄真実を打倒するために都合よく使われた。
そんな剣心は「The Final」において「愛するものを殺してしまった罪」とようやく、本質的に向き合うことができている。もちろん彼は多くの人を暗殺しており、それについても罪の意識はあるのかもしれないのだが、ある意味では「殺らなきゃ殺られる」という関係でもあっただろう。しかし雪代巴だけは違ったのだ。
そんな剣心は物語の最後、ようやくその罪を乗り越え、新たな一歩を踏み出す。切ないながらも力強い物語であった。
ここまでは実写映画「るろうに剣心」しか見たことのない私なりに、「物語としての『るろ剣』」を振り返ってみた。原作から削られている部分も多々あるだろうが、個人的に思ったことは「そりゃあ『るろうに剣心』は人気があっただろうな~」というものである。
しかし、物語性だけでなら傑作として存在し続けている原作を読めば良いし、その方が本来ならば良いのだろう。
物語性以外のところに思いを馳せると、かっこいいチャンバラシーンと魅力的な必殺技も「るろうに剣心」を語る上で欠かすことのできない要素となっているだろう。なんにも知らない私でも「天翔龍閃」とか「二重の極み」はなんとなく聞き知っている。
そういう意味では「るろうに剣心」を実写化する上で避けて通れないのが超絶チャンバラということになるだろう。というか映画としてはここが本質だったのではないだろうか?
この点について続いて書こうと思うが、個人的には素晴らしかったと思う。
素晴らしいチャンバラ
単純にかっこいい
実写映画としての「るろうに剣心」に置いてチャンバラシーンもっとも大きなネックになったに違いない。
あえて現実的な殺陣にする手もあっただろうが、そんなことをしたらファンからのブーイングの嵐であっただろうし、何よりも作っている側もおもしろくなかっただろう。
実写映画版では「ギリギリ人間にも出来るチャンバラ」と「本来人間にできないチャンバラ」が描かれていた。「人間にできないチャンバラ」は、例えば垂直の壁を素早くけって長距離を移動したり飛んだりするようなものである。
「ギリギリ人間にも出来るチャンバラ」は極めて完成度が高かったと思う。俳優の皆さんも非常に長い訓練をしたのだろうということは簡単に想像できる。
「本来人間にできないチャンバラ」も、最後の最後まで絶妙な違和感がなくなることはなかったが、逆に「本来人間にはできないチャンバラ」としては回を追うごとに進化したように思えた。
「The Final」にいたってはどちらに関しても単純に「おお、かっこいい」と素直に思ったことを覚えている。特に雪代縁との最終戦はかっこよかった(縁の妙なスライディング以外は)
アクションを擁する漫画を実写化する場合にはそのアクションシーンは大きな困難として立ちふさがるものだと思うが、「るろうに剣心」においては成功していたといってよいのではないだろうか。
省略された必殺技名
もう一つチャンバラシーンで素晴らしかったのは「必殺技名」をうまいこと省略したことだろう。原作をわずかに調べると、どうも技の発動とともにその名前を言っているように見える。もちろん漫画やアニメならなんの問題もないし、その方がかっこいいだろう。
しかしこれを実写でやるとなると話は別である。そもそも技名を言いながらチャンバラをするなんて絶対無理だし、無理くりアフレコで入れても間抜けさが出てしまう。せっかく映像的にはかっこいいのに、技名を言ってしまうだけで作品の質はぐっと下がったことだろう。
私が認識しているところでは、きちんと明言された必殺技は2つ。第一作で鵜堂刃衛を倒した技「双龍閃(そうりゅうせん)」と「伝説の最期編」で志々雄真実を打ち破った「天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)」であるが、きちんと技を出し終わったあとにその技名が明言されている。
「るろうに剣心」の魅力の一つはかっこいい技名であると思うが、適切に切ったのは英断だったと思う。
おまけ:「The Beginning」見てない問題
うますぎるまとめ方
ここまでのことで概ね実写映画としての「るろうに剣心」について個人的に考えたことは全てなのだが、どうしても書かなければならないことがある。
それは序文にも書いた「The Beginning」を見ていない問題である。
基本的に「The Beginning」が素晴らしい作品だったのだろうとは思うし、少なくとも涙なくして見ることのできない作品だったということは理解しているし、何故か知っているような気がしている。
というのも、「The Final」の終盤、剣心の回想シーンで「The Beginning」の映像が使われたのだが、それがあまりにも見事にまとまっていて、一本映画を見たきになってしまったのだ。
あの回想シーンでわかる剣心の過去は・・・
剣心がまだ人斬り抜刀斎として暗躍していた頃。彼はある幕臣を暗殺する。婚約者との結婚控えたその幕臣は、満身創痍のなか剣心の頬に一太刀をいれ絶命する。
その幕臣の婚約者である雪代巴は、抜刀斎への復讐を果たすべく彼に近づく。
人斬りとして荒んだ生活を送っていた抜刀斎にとって、その女性との時間はかけがえの無いものになり、思いをよせるようになる。
復讐目的で近づいたはずのその女性も、いつしか抜刀斎に引かれていたのであった。
そしていつしか二人は夫婦となっていた
しかし悲劇のときは訪れる。
巴を操り、人斬り抜刀斎の命を狙っていた組織が動き出したのだった。
懸命に対抗する抜刀斎。命運付きたかに見えた抜刀斎であったが、彼をかばうために巴が飛び出す。しかし、彼女を捉えたのは抜刀斎の一太刀であった。
致命傷を負った巴。
彼女は最後の力を振り絞り、小刀で剣心の頬に一筋の傷を残した。
それは巴の愛の証か憎しみの現れか。それはもはや誰にも分からない。
あとに残されたものは剣心の頬の十字の傷だけであった・・・。
おそらく内容としては間違っていると思うのだが、十分に泣ける話である。そんでもってこういう物語なのだろうと思ってしまったがゆえに、わざわざ「The Beginning」を見ることがなかったのである。
もう少し映像的なまとめ方が下手だったら見たに違いない。こう考えると、うまくまとめてしまうのも興行的には良くないことなのかもしれない。
頬の十字傷
にしてもだ。雪代巴が絶命の直前に剣心の頬に決して消えることのない傷を残すという展開はなんとも恐ろしい。十字傷の伏線回収としては奇跡的な旨さだがそんなことより恐ろしい。
それは愛の象徴とも言えるし憎しみの痕跡とも言えるだろう。まさに愛蔵渦巻く一撃だった。剣心が現代のようにそこら中に鏡があるような生活を送っていたら頭がおかしくなっていたに違いない。
ああいうのをきっと「呪い」と言うのだろうな。
結局雪代巴がつけた傷によって、剣心は永遠に巴を忘れられなくなってしまった。それは心から愛した者としても忘れられないが、一方で自分を酷く憎んでいたものとしても忘れることができない。彼女は永遠となったのである。
しかしたまらないのは薫だろう。「The Final」のあとにあの二人は良い中になるのだろうが、毎朝薫は剣心の頬の傷を見る度に「巴って誰やねん、巴って誰やねん、巴って誰やねん」と心で叫び続けるのだろう。あまりにも不憫だ。
「るろうに剣心」は一見すると幕末と明治初期の暗部を描く物語だが、その実「雪代巴の呪いの物語」であった。呪いの効きっぷりと言ったら日本漫画史上最強レベルといってサシス変えないのではなかろうか。
いや~、女って怖ぇな~。と言うか、我々男がそのように女性を恐れているからあんな恐ろしいキャラクターが生まれたのかもしれない。
くわばらくわばら。合掌!
実写映画版「るろうに剣心」についてもう少し
基本的に私は実写版「るろうに剣心」が好きなのだけれど、どうしても笑ってしまったシーンもあった。
例えば一作目のラストの観柳戦で、銃撃に立ち向かいながらシャンデリアに一撃を与えるべく飛んでいく斎藤一の姿(本来人間にはできないチャンバラ)はあまりうまく行っているようには見えなかった。というかちょっと笑ってしまった。まだ第一作目では「さぐりさぐり」なところがあったのかもしれない。
また、「京都大火編」の終盤に現れた大量の「偽志々雄」もそうであった。おそらく原作でも出てくるのだろうが(というかそうでなければおかしい)、これも実写作品の限界というものだろう。そもそも作戦そのものがファニーで、あの作戦準備をしている姿を想像するとなんとも愛らしい。「剣心くんこまっちゃうんだろうな~」とウキウキ気分だったのだろうか。最後の「偽志々雄」を逆刃刀で粗雑に打ちのめすシーンも、あまりにも可愛そうでちょっと笑ってしまった。こんなこと漫画なら微塵も感じないのだろうが、実写だとついつい考えてしまう。
とはいうものの、志々雄のきちんと巻かれていない包帯がきちんとスタイリッシュになっているという時点で実写的には少々面白いのであるから、どうしようもなかったとも言えるのだろう。漫画を実写化するのはとてもむずかしい。
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