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平成狸合戦ぽんぽこ」の面白さ①:おろく婆ちゃんの発言と授けた秘術

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「平成狸合戦ぽんぽこ」は1994年に公開された高畑勲監督の劇場用アニメーション作品である。以前「ぽんぽこの思い出」について書いたが、今回は内容について語っていこうと思う。

手始めに物語の序盤のおろく婆ちゃんについて考えたいと思う。本編が始まってしばらくすると、おろく婆ちゃんは「ふれーふれーすずがもり、ふれーふれーたががもり」と歌いながら、狸同士の「最優決戦」に加入し、決戦を止めてしまう。その後、狸同士で戦っている場合ではないと狸たちを諌め、人間との戦いに狸たちを導くことになる。

極めて自然な流れで、物語の導入としてなんの問題もない。おろく婆ちゃんが狸同士の争いをとめた理由は本人の発言の通り「そんなことをしている場合ではないから」である。しかし、我々が忘れてはならないのは「おろく婆ちゃんが狸をけしかけなければ『平成狸合戦ぽんぽこ』という映画は話が進まなかったはなかった」という事実である。おろく婆ちゃんの言動には別の意味があったに違いない。今回はそのことについて述べた後に、おまけとして「おろく婆ちゃんが授けた秘術の真実」についても個人的に考えたことも書こうと思う。

さて、あの人はなぜ争いを止めたのだろうか?

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平成狸合戦ぽんぽこ」のおろく婆ちゃんの言葉の意味と授けた秘術

おろく婆ちゃんは何故狸同士の争いを止めたのか?

まずはおろく婆ちゃんが狸同士の争いを止めた理由について述べたいのだが、そのためには、「平成狸合戦ぽんぽこ」に関してまことしやかに語られている裏話から話さなくてはならない。

杉浦茂の「八百八狸」

ジブリの教科書8 平成狸合戦ぽんぽこ (文春ジブリ文庫)(PR)」に鈴木敏夫さんの文章として収録されているが、「紅の豚」の制作を終えた宮崎駿監督の「俺が豚をやったのだから、高畑さんには狸をやってもらおう」といった意味合いの発言から「平成狸合戦ぽんぽこ」は始まったとされている。ようは、「俺は自分を晒すようなことをしたのだから、高畑さんにもやってもらおう」ということだったのだと思う(「紅の豚」という作品は宮崎監督のある種の私小説であったので、それを高畑監督にもやれということである)。もちろんそんな単純なことだったわけもないと思うのだが、宮崎監督にとってはそういう作品であってほしいという思いがあったのだろ思う。もちろんそれには鈴木敏夫さんも乗り気であった。

では、狸で行くとして、どういった方向性があるのかということなのだが、宮崎監督と鈴木さんは杉浦茂さんの「八百八狸」をもとにすればよいのではないかという提案をした。

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amazonで購入することができるのでもちろん読んだのだが、杉浦茂さんらしい愉快さ、楽しさがあるのだが、どう考えても「ぽんぽこ」ではない。なんやかんやと「勧善懲悪」で、悪さをした狸たちが懲らしめられて終わってしまう(そんなに高くないので一読すべきと思う)。

高畑監督はどうしても「八百八狸」を面白いと思えなかったらしく、別の路線を模索し、井上ひさしさんとも話をしつつ「日本、あるいは日本人にとっての狸」を調査し尽くしたうえで「平成合戦ぽんぽこ」を作り上げた.

結果として、おろく婆ちゃんが狸同士の闘いを止めるところから物語が始まる作品ができたのである。

おろく婆ちゃんは何故狸同士の争いを止めたのか

ここまで来ると、あのシーンの意味合いは結構明確になったと思う。つまり、

今の時代に「八百八狸」を映画化したらこうなっちゃうよ?本当にこんな映画でいいと思っているのかい?

ということになると思う。

もう少し冗長に述べると「お前らが提案したのはこういう企画だ、今更こんな映画を作っていていいと思っているのか?だめに決まっているだろう?よし、俺がどういう映画を作るべきなのか教えてやろう!」という意思表示が、おろく婆ちゃんが狸同士の争いを止めたシーンの裏にある思いなのだろ思う。

実にうまい。

結果的にあのシーンは「人間に縄張りを奪われているのに狸同士で戦っている場合ではない!」という狸たちの問題意識の提示とともに宮崎監督や鈴木敏夫さん達の提案に対する批判としての最終回答になっているのだろう。

そしてその批判精神は「妖怪大作戦」のシーンで映像的にも表現される事となる(結構有名な話ではあらるが、これは別の機会に書こうと思う)。

ただ、こういう時に決して忘れてはならないのは、一番批判されているのはアニメーションを消費している我々であるという事実である。

我々アニメーションファンが、節度を保ち、アニメをアニメとして消費し、そこから僅かでも明日の糧になるようなものを得て、延々と続く変わらない日常のなかで戦うのであれば、高畑監督ももしかしたら「八百八狸」をやったかもしれない。

ただ、我々はともすればアニメの中に埋没し、現実逃避の道具としてアニメを利用してしまう。高畑監督が最も危惧したのはそういう状況なのだと思う。エヴァンゲリオンの旧劇場版のラスト(あるいは「シンエヴァンゲリオン」も同じだが)で「お前ら日常に帰れ!」と言われていると全く同じ構造を持っていると思われる。

「フィクション」あるいは「虚構」を作ることによって「稼いでいる」という事実に対する自戒の念と、アニメーションファンに対する批判が「こんなことをやっている場合じゃないぞ!」というおろく婆ちゃんの言葉として集約されたのだと思う。

さて、続いてはおろく婆ちゃんが授けて「秘術」について。

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おろく婆ちゃんが授けた秘術は何だったのか?

さて、ここまでは何かと上から目線の文章を書いてきたが、ここからはちょいと冗談めかした話である。つまり「おろく婆ちゃんが授けた秘術は何なのか?」という問題である。とりあえず、「授けられた側」のことを思い出そう。

対人間戦を戦うために、多摩の狸たちは若者の教育を進め、第一期生として正吉や権太を送り出すことになった。血気盛んな権太は、いち早く「人類抹殺計画」を発案するが、おろく婆ちゃんを含め「長老たち」はその作戦に反対する。見ている我々としては「そりゃ止めるよ」と思うのだが、若き血潮は止まらない。正吉だって権太の話にのったのだ。

問題はこのあと起こる。

長老たちが一番危惧したのは「正体の露見」である。もちろん、その危険がないことは「人間である私達」には分かるのだが、彼らにとっては切実な問題である。その対策としておろく婆ちゃんは若者たちに秘術を授ける。其の秘術の内容は驚嘆すべきもので、その秘術を使うと

5日間は狐の死体に見える

というものである。だが、「平成狸合戦ぽんぽこ」の本編を見る限り、死んだ後にも効果が続く変化術などありえない。ラスト近くで特攻をしかけた権太一派の連中は、警棒で殴られただけで変化術が説かれているし、ラストで車に惹かれたあとにはやはり変化術が解けている。私はこの謎を解くためにある言葉遊びをしてみることにした。

狐といえば稲荷、稲荷といえは……

おろく婆ちゃんは「狐の死体」と言ったわけだが、狐といえば稲荷である。そして、稲荷=いなり、といえば「おいなりさん」である。さて「おいなりさん」は何を意味するだろうか?あんまし言いたくないのだが、「おいなりさん」は「金玉」に決まっている。

気分を害した人もいるかも知れないのだが、それ以外に「おろく婆ちゃんの秘術」を説明する方法がない。

ではどういうことなのかというと、おろく婆ちゃんが授けた秘術は「てめえの金玉袋でてめえを包んでおけ!」ということだったと思う。

これでもまだわかりにくいと思うのだが、戦いに挑む前に自分自身を金玉袋で包んでおけば、気を失ったり死んだりした時に、自分を包んでいた金玉袋が縮み本人を包み込んで最終的にはしわしわの袋状の物体があるだけそれが何か分からいということなのだと思う(まさにおいなりさん!)。もちろん袋を開いてしまえば狸の死体だと分かるので、人々が困惑して手を付けられない時間が5日間持続するという意味だったのだと思うのだが、この辺も読みが甘い。5日と持たず即日狸の死体だと発覚し「狸の知られざる生態」として人類史に刻み込まれたことだろう。

しかし、このように考えると権太が企画した作戦の映像も笑えるシーンになってくる。

あの作戦の夜は雨だった。彼らは全員カッパを着ていたのだが、あのカッパは何だったのだろうか?もちろん金玉袋に決まっている。あの夜、権太以外の狸はおろく婆ちゃんの言いつけを守って、その身を自らの金玉袋に包んでいた(それをカッパに変化させていた)。もちろん権太は「絶対に失敗しねえ!」とそんなみっともないことしなかったのだろう。だからあいつだけは変化していない姿だった。

もちろんこれは想像に過ぎない。根拠はなにもない。しかしこのように考えればその後のシーンとも整合性が取れるし、「平成狸合戦ぽんぽこ」のもっている「落語的滑稽さ」にもつながるだろう。金玉袋で自分自身を包んでいた彼は本気も本気だし、その秘術を伝えたおろく婆ちゃんだって本気である。でも、実際に発生したこと(自分自身を金玉袋で包むこと)はどうも間抜けである。

以上のことが、私の思うおろく婆ちゃんの言動を中心とした「平成狸合戦ぽんぽこ」序盤の面白さである。

この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。

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北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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