「火垂るの墓」は1988年に公開された高畑勲監督による劇場用アニメーション作品である。
多くの日本人にとって「二度と見たくない映画 No1」になっている思われる作品だが、それ故に多くのことを受け取ったことも事実だろう(何を受け取ったかを言葉にするのは難しいだろうが)。
今回はそんな「火垂るの墓」の登場人物と声優を振り返りながら、それぞれの魅力や物語について考えていこうと思う。「火垂るの墓」はどんな人々に彩られていただろうか?
以下の文章では不意にネタバレが挟まれますので、その点はご注意ください。
「火垂るの墓」の主要な登場人物&声優一覧
名前 | 年齢 | 声優 |
---|---|---|
清太 | 14歳 | 辰巳努 |
節子 | 4歳 | 白石綾乃 |
叔母さん | ? | 山口朱美 |
清太と節子の母 | ? | 志乃原良子 |
登場人物&声優の基本情報とキャラクター考察
清太|声優:辰巳努
清太(せいた)の基本情報
物語の主人公、14歳の少年。「火垂るの墓」は清太による回想の物語であり、彼の命日である昭和20年9月21日にその回想は始まる。
彼の父は海軍の大尉であり、母と妹の節子と共に神戸で暮らしていのだが、神戸大空襲で家と母を失い、叔母の家で節子とともに暮らすこととなる。
ところが、叔母との中が険悪になり、母が残してくれた「7ooo円の預金」を頼りに節子と二人で近場にあった横穴(防空壕)での生活を初めてしますが、結局は栄養失調によって節子を死なせてしまい、自らも節子の死から一ヶ月の後、栄養失調によって命を落とすことになる。
清太の人物描写
彼の暴走が妹である節子の死を招き、自分自身の死をも招いてしまったわけであるが、清太はどんな人物と述べることが出来るだろうか?
一つの言い方は勿論「わがまま」ということになるだろう。親戚とはいうものの他人の家なのだからもう少し素行良くできたとは思う。
ただ、個人的に強く感じるのは、彼はわがままというよりひどく軽薄で刹那的なのだろということである。
清太が節子と作ろうとしたものはいわゆる「秘密基地」なのだが、14歳の子どもとはいえ少々幼い。しかし彼には「母が残してくれた7000円」という通常の子どもなら持ち得ないお金という強い味方があった。
それを根拠に彼は秘密基地作戦を始めてしまうのだが、彼の軽薄さは「人とのつながり」の強烈さをあまり理解できていなかった。
平時であれば別に孤立していても構わないのだが、あのような混乱期にはとにかく孤立してはならない。勿論、腹の立つことはたくさん発生する。それでも孤立のリスクを取るよりは命を繋ぐ確率が高まる場合が多いだろう。そのような実践ができないところを見るとやはり「軽薄」と表現するのが正しいと思う。
とはいうものの、彼が14歳の少年であったことを忘れてはならないだろう。本来は周りの大人が守ってやらなければならない存在である。
節子の死の責を清太に負わせることも出来るだろうが、彼らの死の本質は誰も彼らを救おうとしなかったことだって原因にすべきだと思う。勿論その理由もある。戦争という混乱期であったから。
この辺の事に関するもう少し細かい個人的な見解は以下の記事にまとめている:
皆さんはどの様に考えるだろうか。
声優の辰巳努さん
声を担当したのは俳優としても活躍した辰巳努さん。「火垂るの墓」の声を担当した方は全員すぐれた演技を見せてくれたと思うが、最も多くのセリフがあった辰巳さんの功績は大きいだろう。
意思がありそうで、依存性もあり、節子に対する責任を持とうとは思っているが、結局無責任。
こんな難しい役どころを演じきってくれたことによって「火垂るの墓」は形になったのだと思う。名演だったと思う。
節子|声優:白石綾乃
節子(せつこ)の基本情報
清太の妹で4歳の女の子。清太と共に神戸大空襲の後に叔母の元手くらすようになる。
清太は叔母の家を離れるまで母の死を節子に告げることが出来なかったが、実のところ節子はその前に叔母から母の死を知らされていた。知ってなおそれを表に出さず生活をしていたことになる。
なんとも健気な話ではあるのだが、清太と共に叔母の家を離れ、横穴生活を始めてしまった節子は栄養失調によって衰弱死を遂げてしまう。
節子の死を巡る議論
多くの場合、「火垂るの墓」を見た人は節子の死があまりにも悲しくて2度目を見ることが出来ない。したがってこの映画を「語る」ということはほとんど無いと思う(語るほど見てないしあんまし語りたくない)。
ただ、それを前提に「火垂るの墓」をあえて語ろうとすると、通常その中心に来るのはその節子の死ということになる。
具体的な議題は「どうすれば節子は死なずに済んだのか?」「節子の死の責任の所在はどこにあるのか?」といったことになるだろう。
そして、その問題に対する立ち位置としては「清太が悪い派」と「叔母さんが悪い派」に分かれる事になり、現代的には「清太が悪い派」が体制を締めていると思う。
この辺に関する自分の考えも以下の記事にまとめている:
高畑監督自身は「清太が悪い」という意見が多くなると想定していたのだが、公開当時はむしろ清太を養護する意見が多かったことを「意外だった」と語っている(例えばBlu-rayに収録されているインタビュー)。高畑監督としても清太の持つ「わがままさ」は十分承知して映画を作っていたのである。
当時は今から比べるとに個人に対する「我慢」を強いていた時代かもしれないし、戦争当時の記憶も鮮明だったのかもしれない。この映画は結局「今の自分」を映す鏡になっているのだと思う。
声優の白石綾乃さん
「火垂るの墓」を根本的に支えてくれた声優さん。
声を担当したのは白石綾乃さん。この方がいなければ「火垂るの墓」は全く違ったものになっていたかもしれないほどの仕事をしている。
節子の「にいちゃん!」という台詞は何やら呪のように我々の心にこびりついているのではないだろうか。そして白石さんでなけれはそれは実現できなかっただろう。
また、「火垂るの墓」のBlu-rayに収録されている高畑監督のインタビューを見ても、白石さんの声を得られたことの喜びが見て取れる。
高畑監督自身はオーディション参加していたなかったようだが、録音されたテープから流れる「しらいしあやの、ごさい」の一言で「この子だ!」と思ったそうな。そこには「真実の4、5才の声があった」とも語っている。
あの声が「火垂るの墓」を根底の部分で支えているのである。
叔母さん|声優:山口朱美
叔母さんの基本情報
西宮在住の清太と節子の叔母。空襲にあった二人を引き取ってくれていた。
最初のうちは問題なかったのだが、徐々に清太との人間関係が悪くなり最終的には相当きつく当たる場面も見られた。
清太が節子を連れて近場の横穴生活を始める直つのきっかけとなっている。
叔母の態度をどうみるか。
叔母の清太に対する態度は少々あからさまであり、見ている我々が「そこまで言わんでも」と思うように描かれていると思う。
しかし、その態度の根本にあるものを考えれば「我慢」ということになるだろう。そしてこの「我慢」が「火垂るの墓」を考える上では重要なキーワードとなる。
叔母の家にいた清太は随分と甘やかされて育ったのか、周りを気にするとか、状況に対して貢献しようという様子がまったくない。そして何よりも「我慢」という概念が根本的に無いように描かれている(本人的には懸命な我慢があったのかもしれないが)。
一方あからさまなキツさを見せる叔母は戦争という状況の中で社会的に「我慢」を強いられている。というよりも、清太意外全ての人々がその「我慢」の中に生きており、清太という存在のほうがむしろ異質である。
あの時代すべての人々が状況の犠牲者であった。叔母さんのきつい態度をただそれだけで責めることは出来ない。
「清太のわがまま」と「叔母のキツさ」を天秤にかけながら「あの時代自分が清太ならどうできたか?」「自分が叔母ならどいうできたか?」を考えるしかないだろう。そそいてその答えはその瞬間の自分の状態に左右されることになると思う。
したがって、「火垂るの墓」を心に余裕のない時に見てはいけない。決して。
声優の山口朱美さん
「嫌な人叔母」を見事に演じきってくれたのは俳優の山口朱美さん。
叔母さんが清太や節子に小言を言うたびに自分が言われているようないたたまれない気持ちになったのは山口さんの名演あってのことだったと思う。
時代劇の出演が多かったようだが、アニメーションの声優としては「じゃりン子チエ」の竹本ヨシ江を担当している。
清太と節子の母|声優:志乃原良子
清太と節子の母の基本情報
神戸大空襲に際し、清太が備蓄品(梅干しなど)を庭に埋めている間に先に防空壕へ避難した。
だが、結果的に大火傷を負いそれが原因でなくなってしまう。
彼女の人柄についてのヒントは限りなくゼロに近いのだが、避難する前に清太と僅かに会話をするシーンを見ると、非常に穏やかでおっとりした人物であるということがうかがえる。また、心臓が弱い。
清太との人間関係についても「はい、はい」と清太を受け流す様子が見え、分かりやすく後で登場する叔母と対比されている。
清太は生活状況が一変してしまったのにもかかわらず、母と暮らしていた自分を変えることが出来なかったということになるだろう。あんな清太でも母ならきっと抱きしめてくれたに違いない。
まあ、この記事でも何度も行っているように彼が14歳の少年であることを考えれば、無理からぬことであったことかもしれない。
声優の志乃原良子さん
清太と節子の母の声を演じたのは俳優の志乃原良子さん。
「火垂るの墓」においては、ほんの一瞬しかその声の演技を見ることが出来ないのだが、その一瞬でだけで人となりが伝わり、清太や節子がどういう状況で育ってきたかを想像できる。出演時間は短いが重要な約まわりであったと思う。
山口さんは時代劇等に多く出演しているが、アニメの声優としては「じゃりン子チエ」の山下ノブ子も演じている。
その他の登場人物
清太と節子の父
海軍大尉として出世中で、本編中では写真や回想シーンでした登場しない。清太は懸命に父との連絡を取ろうと試みるが、返信が返ってくることはなかった。
父の連合艦隊が壊滅したことを終戦後に知ることになる(お金をおろしに行った銀行で)。ただ、父の生死は明確に描写されてはいない。
叔母さんの娘
登場機会は少ないが、清太や節子と共に食事をとる風景などが描かれる。叔母が清太や節子に対してはほぼ汁だけの雑炊よそったのに対して、自分たちには普通によそった「雑炊事件」の現場にいた。子どもなりに居心地の悪さを感じていたようである。
下宿人
叔母の家の下宿人。勤労奉仕に熱心な青年。
子どもの頃に初めて「火垂るの墓」を見たときからず~っと叔母さんの息子だと思い込んでいたが、息子ではなく下宿人である。
叔母の娘と同様に清太と節子を僅かに気にかけてはいるが、積極的に関わることはなかった。下宿人という立場上、叔母に物申すということも出来なかっただろうし、どうにかしてあげる力もなかったということだろう。
知人女性
物語の序盤、空襲で怪我を追った母が学校に運ばれたことを教えてくれた人物。それ以外にも清太と節子を気遣ってくれていた。「火垂るの墓」という物語の中で唯一のやさしを感じるシーンを作ってくれた存在でもある。
もしかしたら清太はこの女性を頼るべきだったかもしれない。もちろん小言は言われただろうが、子供二人を横穴で生活させることはなかったようにも思える。「遠い親戚よりも近くの知人」ということも世の中にはあるのだろう。
4人の小学生
清太と節子が二人の生活を始めた横穴に「ひやかし」に訪れた小学生。見ていて気分が良い描写では無いものの、「なんやかんや楽しそうにしている小学生がいた」という事実もあの描写は伝えているのだと思う。高畑監督が映像として残したかったことの一つがこういう側面であろうと思う。
リヤカーを貸してくれたおじさん
清太が叔母の家を出る決断をした後、次なる本拠地となる横穴に荷物を運ぶリアカーを貸してくれたおじさん。僅かな食料を売ってくれもした。
しかし、再び食料を恵んでくれるように頼まれたときには清太を諌めて叔母に謝るように促している。
もしかしたら最初に食料を提供したことも近所で噂になっていたのかもしれない。構造上、清太のクーデターを支持する形になってしまうことになるので、近所付き合いを考えれば叔母に謝るように言うのも無理からぬことであったと思う。内心でどうだったかはわからないけれど。
清太をしばき倒したおじさん
物語の終盤、食料を盗みに入った畑の主人。清太を発見し完膚なきまでにしばき倒した後に警察に突き出した。
少々やりすぎにも見えるが、清太が抵抗してしまったことも怒りに火をつけたのだろう。最終的には節子のことも引き合いに出して「泣き落とし」に転じたが、やはりこういうことは最初が肝心である。謝るなら間髪入れずに最初期にね。
警察官
清太をしばき倒したおじさんが訪れた交番の警察官。おじさんとしては厳しい措置を期待していたようだが、随分と物わかりの良い警察官であったために、結果的に清太は特段の刑罰を受けることもなく節子の元に帰ることが出来た。
いわゆる地域の「駐在さん」なわけなので、清太と節子がどういう生活をしているかも分かっていただろうし、近所で発生していた盗みの犯人が清太であることも薄々気づいていたかもしれない。そして何より海軍大尉の息子であることを強く認識していたことだろう。
いわゆる「総合的な判断」ということだったと思う。
滋養をつけてほしかった医者
物語の終盤、決定的に体調に異変を見せた節子を診察した医者。診断結果は「栄養失調からくる衰弱」であった。
清太は何かしらの治療を要求したのだが「滋養をつけることですな。」と極めて正しい主張をした。
清太が叔母に土下座をして謝るならここだったかもしれないのだが、医者に対して「滋養なんてどこにあるんですか!」と激昂して見せて変わらぬ生活に戻ってしまった。
返す返すもここがラストチャンスだったと思う。
銀行の3オヤジ
物語のラスト付近、清太がお金をおろしに行った銀行にいた3人のオヤジ。最初2人が話をしており、その後もう一人が加わった。
そして清太はこのオヤジたちから「敗戦」と「連合艦隊の壊滅」を知ることになる。
つまり、地域から離れた清太はすでに「情報弱者」となっており「敗戦」という極めて重要な事実すら知らなかったということがここで分かる。
こういったところで人々との繋がりを断つことの根本的な問題が描かれている。滋養をとれなくなることより情報を取れなくなることが本質的な問題となることもある。
炭を渡したおじさん
節子を火葬するための炭を一俵渡してくれたおじさん。清太がどういう説明をしたのかはわからないのだが、随分と晴れ晴れかつ快活に遺体の燃やし方を享受してくれた。
ある意味で不人情な対応にも見えるのだが、「そんなものだった」という事かもしれないし「遺体を丁重に火葬にできるだけよい」ということだったかもしれない。
ただ、この違和感によってもう清太が生きていける世界が存在しないことが示唆されている。別の言い方をするなら、あのシーンこそが「火垂るの墓」における最大の段落ということになる。あの後にあるのは「手のひら返しの世界」であり、清太にはそんなことは出来ない。
清太は時代の変化に取り残されながらその一生を終えることが示唆されていることになる。
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