「火垂るの墓」は1988年に公開された高畑勲監督による劇場用アニメーションである。
今回は「火垂るの墓」で描かれた焼夷弾「M69」にまつわるミステリーと現状におけるその「解答」について紹介する。
話の根幹は「焼夷弾の空中着火問題」であり、アニメーション表現として焼夷弾を正確に描こうとした高畑勲監督のこだわりが生んだミステリーとなっている。
高畑監督は9歳の頃に岡山で実際に空襲にあっており、実体験として焼夷弾を知っている。それはまさに「火の雨」であり、そのような証言は空襲を経験した多くの人から聞かれるものである。
高畑監督としては焼夷弾の構造を理解し、いかにして空中で発火しながら落ちてきたのかを正確に描こうとしたわけなのだが・・・・演出助手のS君が自衛隊の専門家に聞いたところ「その構造上、焼夷弾が空中着火することはありえない」と言われてしまう。
では、高畑監督を始めとする空襲を体験した人々が見たものは何だったのか?
最終的な結論としては「火の雨が降った」という事実と「焼夷弾の空中着火はありえない」という矛盾するような事実が両立することが分かるのだが、まずは焼夷弾の基本的な構造を振り返ることからこのミステリーの全貌を考えていこうと思う。
モロトフのパン籠の謎
そもそもの焼夷弾の構造
神戸大空襲や東京大空襲で使用された焼夷弾は「M69焼夷弾」と呼ばれている。基本的な構造は以下の図のようになっている。
地上に到達した衝撃で先端の芯管が発火、火のついた着火剤(ナパーム)が噴出して多くの火種となって家屋を焼き尽くした(想像したより凶悪でしょ?)。焼夷弾というから分かり辛いのんだが、ナパーム弾といえばその強烈さが分かると思う。
実際の実験映像も残っている
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また、上の映像を見ても分かるのだが、B29から焼夷弾が投下される際には焼夷弾そのものがバラバラと撒き散らされるのではなく、38本の焼夷弾が装填された弾頭が投下され、それが空中700メートル付近で展開、焼夷弾が拡散されたのである(つまりクラスター爆弾)。
これも上の動画の最初の部分を見ると分かるし、以下の動画の2:35付近からの映像を見るとクラスター爆弾が投下されているのがよく分かると思う。
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ここまでの情報でも我々が持っていた焼夷弾のイメージが大分変わったのではないだろうか。私自身、焼夷弾そのものが火種となって燃えているだけだと思っていたし、クラスター爆弾として投下されたことも知らなかった。
高畑監督が直面した大問題-空中着火はありえない-
高畑監督としては自らが体験した「火の雨」を正しくアニメーションとして表現したかった。
何よりこの映画のタイトルは「火垂るの墓」なので、焼夷弾が燃えながら降ってきてくれないと物語の根幹に関わってしまうのである(「火垂る」は「蛍」と「火の雨」のダブルミーニング)。
冒頭でも述べたように、自衛隊の専門家にこの件について演出助手のS君が尋ねたところ「その構造上、焼夷弾の空中着火はありえない」と一蹴されてしまう。この件に関して「ジブリの教科書4 火垂るの墓」の中で皮肉を込めて以下のように語っている:
まったく自衛隊は優秀な科学者を育てているものだ。そしてS君もまた、「ぼくもなんとなく納得してしまったんですけど・・・」とは情けない。この分では、戦後生まれが六割を超えた今日、空襲であれだけ多くの人が死んだことさえ、統計の不備によって否定されてしまうのではなかろうか。親切に対応してくれたその専門家にはもうしわけないけれど、ぼくは事の次第に驚きあきれ、怒りをおさえることができなかった。
短い文章だが相当に腹が立っていたことが分かるだろう。
しかしだ、上で振り返った焼夷弾の構造を考えれば空中着火がありえないということも分かるだろう。
もし空中着火が発生していたとなるとそれは焼夷弾の誤作動ということになってしまうが、空襲の経験者が「火の雨」と表現するほどの誤作動を起こしたということも考えづらいだろう。
先端が地面等に衝突したときの衝撃なしに点火するようなことがあれば、日本上空に到達する前に燃え上がっていたことだろう。
では、高畑監督を始め多くの人が目撃した「火の雨」は何だったのか?
それには現状2つの解答が用意されている。
「火の雨」の正体
以下に紹介するのはWikipediaの「焼夷弾」のページでも紹介されている2つの説である。
何れの説においてもポイントとなるのは焼夷弾につけられていたリボンとなる。あのリボンは、焼夷弾が垂直に着弾する精度を上げるためにつけられたものなのだが、それが謎の答えになっている。
説1:リボンが燃えていた
最初の説は「燃えていたのはリボン」という説。
焼夷弾はクラスター爆弾として投下されたわけだが、上空700メートルに達した時にバンドとカバーを離脱させるために使われた火薬によってリボンが発火したというものである。
説2:リボンに炎が反射していた
もう一つの説は、すでに発生していた大火災の炎の光が揺れるリボンに反射して見えたというものである。
Wikipediaによると、高畑監督が経験した岡山大空襲は午前2時45分から開始されている(1945年3月9日に行われた東京大空襲も夜間に始まった)。
となると、燃え上がる炎は夜空を照らし、照らされたリボンは光って見えてもおかしくはないのである。
ただし、神戸大空襲は「火垂るの墓」の本編で描かれているとおり日中に行われている。しかし、それでもなお街を全て焼き尽くす炎は、落ちてくる焼夷弾のリボンを照らしたかもしれない。
焼夷弾にまつわるミステリーの結論
以上のことまとめると以下のようになると思う:
焼夷弾がその性能として空中着火することはありえないし、誤作動も考えられない。しかし、焼夷弾に設置されていたリボンに発火または地上の火災がリボンに反射して発火しているように見えた。
高畑監督は自衛隊の説明に不満があったようだが、それなりに納得のできる説明になっていると思う。
で、結局のところ高畑監督は「火垂るの墓」の中で焼夷弾をどのように描いたのだろうか?
次の節からこの点について考えていこうと思う。
「火垂るの墓」で描かれた焼夷弾
高畑監督がミスったという話
「火垂るの墓」で描かれた焼夷弾を実際に見てみると以下のことが分かる:
- 落下する焼夷弾のリボンの部位が燃えながら落ちてきている。
- しかし、着火したナパームが撒き散らされている様子はないく、焼夷弾の筒だけが火種になっているように見える。
- 地上に着弾したときの爆発ない(焼夷弾が着弾した金属音はあるが爆発音がない)。
- B29から直接M69焼夷弾が投下されているように見える。
現代的な視点に立つと高畑監督は「リボンの発火」を採用したと見ることが出来るのだが、地上に着弾した焼夷弾からナパームが撒き散らされている様子もないことから、監督としては空中でナパームに着火し焼夷弾そのものが火種となっていると考えたということになると思われる。
B29から投下されたものがクラスター爆弾だったのかM69焼夷弾だったかは微妙なところではあるのだが、私の目にはM69焼夷弾が直接とうかされているように見えた。
総合的に見ると、高畑監督はミスったという見方が出来るのではないだろうか。
ただ、ここで話を終わらせてしまったら少々お粗末だろう。巨匠高畑勲が自衛隊の専門家を無視してまで「間違った焼夷弾」を描いたのは何故なのだろうか?それを考えてみよう。
高畑監督はミスってないという話
焼夷弾の構造について自衛隊の専門家にまで聞いたのににもかかわらず高畑監督の選んだ表現に僅かに「ミス」と思われるものがある理由は、自らの体験と主観を大事にしたからということになるだろう。
もちろんそれを批判することも出来る。しかしながら、事実と異なることがあり得るということを前提にしながら見るべき映画が「火垂るの墓」だとも思う。
そしてそれは「火垂るの墓」に限ったことではなく、例えは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで全てを事実だと思っていたらそれは思ったほうが悪い。
作品に描かれたことを無批判に事実として受け入れないということは「過去」を描いた作品の一般論である(もちろん自戒の念を込めて言っているのでございます)。
その上で、我々が「火垂るの墓」を見て受け取るべきものがあるとすれば「こうだったんだ!」という高畑監督の真実であろう。
9歳の時に実際に空襲にあい戦争を経験した高畑勲としてはその主観としての「真実」を映像化したかったのではないだろうか。
それは事実とは異なるのかもしれないのだが、高畑監督が見て感じたものではある。「火垂るの墓」を映像化しようとした背景にはそういった自伝的側面のあるものを作りたかったということもあるのかもしれない。
このように考えれば、高畑監督は事実と異なることを描いてミスったのではなく、自らの真実を正確に映像化したということも出来るだろう。
以上が「火垂るの墓」における焼夷弾表現にまつわる「モロトフのパン籠の謎」について個人的に調べ考えたことであございます。
戦争の時代を描いているという点でやはりセンシティブな作品なのですが、昔のことを正確に映像化することの難しさが分かったような気もします。
皆さんは「火垂るの墓」における焼夷弾の描かれ方とどのように考えるでしょうか。
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